■日蓮に怨(あだ)をなすなら
日本国一切衆生兵難にあうべし
日本国の一切衆生の父母なり
章安大師いわく
「彼が為に悪を除くは
即ち是れ彼が親なり」
されば日蓮は当帝の父母
念仏者、禅衆、真言師等が師範なり
又君主なり
しかれば
上一人より下万民にいたるまで
怨をなすをば
日月いかでか彼等を照らし給うべき
地神いかでか彼等の足を載せるべき
提婆達多は仏を打ちしかば
大地揺動して火炎いでにき
蒙古の攻めも又かくのごとし
日本国の一切衆生兵難にあうべし
されば日蓮が法華経の行者にて有る無きかはこれにて見るべし
教主釈尊記していわく
「末代悪世に法華経を弘通する者を悪口罵詈等する人は、我を一劫が間怨せん者の罪にも百千万倍過ぎたるべし」
と説かせ給えり
■日蓮を憎み責める人々が、身を裂かれないのは、日蓮が法華経行者でないからか?
今の日本国の国主、万民等
我が意にまかせて父母(日蓮)を
宿世の敵よりもいたく憎み
謀反、殺害の者よりも強く責める
は(なのに)
現身にも大地割れて入り
天雷も身を裂かざるは不審なり
日蓮が法華経行者にてあらざるか
もししからば大きに嘆かし
今生には万人に責められて
片時も安らかず
後生には悪道に堕ちん事をあさましとも申すばかり
又日蓮法華経の行者ならずば
いかなる者が一乗の持者にて
あるべきぞ
法然が「法華経をなげすてよ」
善導が「千中無一」
道綽が「未有一人得者」
と申すが法華経の行者にて候か
又弘法大師のいわく
「法華経を行ずるは戯論なり」
と書かれたるが法華経の行者なるか
■経文の如くならば、日本国で伝教大師と日蓮だけが法華経行者だ
経文には
「能持是経能説此経なんどこそ」
と書かれて候
「能説」と申すは
「於諸経中最在其上」と申して
大日経、華厳経、涅槃経、般若経等に法華経は勝れて候なりと申す者をこそ、経文には法華経の行者と説かれて候
もしこの経文の如くならば
日本国に仏法渡って七百年
伝教大師と日蓮と外は
一人も法華経行者は無きぞかし
■一人二人身を裂かれないのは道理だ、同時にたくさんの人が大難にあうべし
如何に如何にと思うところに
頭破作七分
口則閉塞
なかりけるは道理にて候けるなり
これ等は浅き罰なり
但一人二人等の事なり
日蓮は閻浮提第一の法華経の行者なり
此れを謗り、此れを怨む人は
閻浮提一の大難にあうべし
これは日本国を振り揺るがす正嘉の大地震、一天を罰する文永の大彗星等なり
これ等を見よ
■しかしそんな大難は一度もなし
仏滅後の後、仏法を行ずる者に怨をなすといえども、今の如く大難は一度もなきなり、南無妙法蓮華経と一切衆生にすすめたる人一人もなし
此の徳はだれか一天に眼を合わせ四海に肩を並ぶべきや