一代八万の聖教
三世十方の諸仏菩薩も
我が心の外に有りとは
ゆめゆめ思うべからず
我が一念に納めたる功徳善根なりの
信心を取るべきなり
諸仏の解脱を、衆生の心行に求めば
衆生即菩提なり
生死即涅槃なり
又衆生の心穢るれば土も穢れ
心清ければ土も清しとして
浄土といい穢土というも
土に二つの隔なし
只我等が心の善悪によると見えたり
衆生というも
仏というも
亦かくの如し
迷う時は衆生と名け
悟る時をば仏と名けたり
只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり。是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし
深く信心を発して日夜朝暮に又怠らず磨くべし。何様にしてか磨くべき。只南無妙法蓮華経と唱え奉るを是磨くとは云うなり
妙とは何という心ぞや
我が一念の心不思議なる処を妙とは云うなり。不思議とは心も及ばす語も及ばすという事なり
起こるところの一念の心を尋ね見れば
有りと云はんとすれば色も質も無し
無しと云はんとすれば様々に心起こる
有に非ず
無に非ず
有無の二の語も及ばす
有無の二の心も及ばす
有無に非ずして
有無に偏して
中道一実の妙体にして不思議なるを妙と名くるなり
此の妙なる心を名けて法と云うなり
此の法門の不思議を現すに
譬を事法にかたどりて蓮華と名く
一心を妙と知りぬれば
転じて余心も妙法と知る処を
妙経とは云うなり
善悪に付いて起こり起こる処の念心の当体を指して、妙法の体と宣べたる経王なれば成仏の直道とは云うなり
此の旨を深く信じて
妙法蓮華経と唱えば
一生成仏疑あるべからず
故に経文には
「我が滅度の後に於いて、まさにこの経を受持すべし、この人仏道に於いて、決定して疑有る事無けん」
とのべたり
ゆめゆめ不審をなすべからず
穴賢穴賢
一生成仏の信心
南無妙法蓮華経
南無妙法蓮華経