るるの日記

なんでも書きます

仏道研究・一生成仏抄 2 妙なる心中道一実、有に非ず・無に非ず・有無に非ず

2021-07-12 16:17:34 | 日記
一代八万の聖教
三世十方の諸仏菩薩も
我が心の外に有りとは
ゆめゆめ思うべからず

我が一念に納めたる功徳善根なりの
信心を取るべきなり
諸仏の解脱を、衆生の心行に求めば
衆生即菩提なり
生死即涅槃なり

又衆生の心穢るれば土も穢れ
心清ければ土も清しとして
浄土といい穢土というも
土に二つの隔なし
只我等が心の善悪によると見えたり

衆生というも
仏というも
亦かくの如し
迷う時は衆生と名け
悟る時をば仏と名けたり
只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり。是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし

深く信心を発して日夜朝暮に又怠らず磨くべし。何様にしてか磨くべき。只南無妙法蓮華経と唱え奉るを是磨くとは云うなり

妙とは何という心ぞや
我が一念の心不思議なる処を妙とは云うなり。不思議とは心も及ばす語も及ばすという事なり

起こるところの一念の心を尋ね見れば
有りと云はんとすれば色も質も無し
無しと云はんとすれば様々に心起こる
有に非ず
無に非ず
有無の二の語も及ばす
有無の二の心も及ばす
有無に非ずして
有無に偏して
中道一実の妙体にして不思議なるを妙と名くるなり

此の妙なる心を名けて法と云うなり
此の法門の不思議を現すに
譬を事法にかたどりて蓮華と名く

一心を妙と知りぬれば
転じて余心も妙法と知る処を
妙経とは云うなり

善悪に付いて起こり起こる処の念心の当体を指して、妙法の体と宣べたる経王なれば成仏の直道とは云うなり

此の旨を深く信じて
妙法蓮華経と唱えば
一生成仏疑あるべからず
故に経文には
「我が滅度の後に於いて、まさにこの経を受持すべし、この人仏道に於いて、決定して疑有る事無けん」
とのべたり

ゆめゆめ不審をなすべからず
穴賢穴賢
一生成仏の信心
南無妙法蓮華経
南無妙法蓮華経





仏道研究・一生成仏抄 1 我が一念を妙法蓮華経と名くるぞと深い信心発すべきなり

2021-07-12 14:57:01 | 日記
無始の生死を留めて
この度決定して
無上菩提を証せんと思はば
すべからず衆生本有の
妙理を観ずべし

衆生本有の妙理とは
妙法蓮華経なり
故に妙法蓮華経と唱え奉れば
衆生本有の妙理を観ずるにてあるなり

文理真正の経王なれば
文字即実相なり
実相即妙法なり

唯所詮一心法界の旨を
説き顕すを妙法と名づく
故に此の教を諸仏の智慧とは云うなり

一心法界の旨とは
十界三千の
依正の色心
非情草木
虚空刹土
いづれも除かず
ちりも、残らず一念の心に収めて
此の一念の心
法界に偏満するを指して
万法と云うなり
此の理を覚知するを
一心法界とも云うなるべし

但し妙法蓮華経と
唱え持つというとも
もし己心の外に法ありと思はば
全く妙法に非ず、そ法なり
そ法は今経にあらざれば
方便なり権門なり
方便権門の教えならば
成仏の直道に非ず
成仏の直道に非ざれば
多少曠刧の修行を経て
成仏すべきに非ざる故に
一生成仏叶いがたし
故に妙法と唱え蓮華と読む時は
我が一念を指して
妙法蓮華経と名くるぞと
深い信心を発すべきなり

仏道研究・十八円満 7 【十八円満は妙法蓮華経の一言を出でず】

2021-07-12 13:58:59 | 日記
天真独朗の法

問うていわく
天真独朗の法
何れの時か流布せしむべきや

答えていわく
像法に於いて弘通すべきなり

問うていわく
末法に於いて流布の法
名目如何

答えていわく
日蓮の己心相承の秘法
南無妙法蓮華経
是れなり

問うていわく証文如何

答えていわく
神力品にいわく
「その時仏、上行等の菩薩に告げたまわく。要をもって之を言わば乃至宣示顕説す」

問うていわく
「今の文は上行菩薩等に授与するの文なり。汝何が故ぞ己心相承の秘法と云うや」

答えていわく
「上行菩薩の弘通したまうべき秘法を、日蓮先だって之を弘む身に当たるの意に非ずや、上行菩薩の代官の一分なり。所詮末法に入って天真独朗の法無益なり。助行には用ゆべきなり。正行には南無妙法蓮華経なり今日蓮は塔中相承の南無妙法蓮華経の七字を、末法の時、日本国に弘通す」

十八円満の法門よくよく案じたまうべし。一心三観、一念三千の極理は妙法蓮華経の一言を出でず
敢えて忘失することなかれ
敢えて忘失することなかれ

寿量品にいわく
毎(つねに)
自らの念を作(な)す
何をもってか
衆生をして無上道に入り
速に仏身を成就することを
得せしめん

毎自作是念とは
一念三千生仏本有の一念なり
秘す可し
秘す可し
恐恐謹言

弘安三年十一月三日
日蓮 花押

仏道研究・十八円満抄 6 【天真独朗・証(果徳)円満】

2021-07-12 13:15:56 | 日記
■問うていわく
天真独朗の止観の時
一念三千・一心三観の義を立つるや

(天真独朗・形ない一念に悟入すれば、生死の別離れ、宇宙朗然とし、凡身のまま大覚の域に達する)

■答えていわく
両師の伝不同なり

★座主のいわく
天真独朗とは
一念三千の観なり

★山家師のいわく
一念三千も指南と為す
一念三千とは
一心より三千を生ずるに非ず
一心に三千を具するにも非ず
並立にも非ず
次第にも非ず
故に理非造作と名く

★和尚のいわく
天真独朗に於いても多種あり
迹中に明かす所の
不変真如もまた天真なり

★但し大師本意の天真独朗とは
三十三観の相を亡し
一心一念の義を絶す
この時は解無く行無し
教行証の三箇の次第を経るの時
行門に於て一念三千の観を建立す
故に十章の第七の処に於て
始めて観法を明かす
是れ因果階級の意なり

★大師内証の伝の中に
第三の止観には
伝転の義なしと云々
故に証分の止観には
別法を伝えざることを

今止観の始終に録する所の諸事は
皆是れ教行の所摂にして
実証の分に非ず

♦️玄師相伝にいわく
言をもってこれを伝うる時は
行証ともに教と成り

心をもってこれを観ずる時は
教証は行の体と成る

証をもってこれを伝うる時は
教行不可思議なり

この語に意を留めて更に忘失することなかれ、あたかもこの宗の本意・立教の元旨なり
和尚本義源これより出でたるなり

教→仏説の教法
行→教によって立てられた修行
証→教行によって得た果徳

🤔証(果徳)にすべてがある




仏道研究・十八円満抄 5 五重玄

2021-07-12 12:09:40 | 日記
問うていわく総説の五重玄とは如何

答えていわく妙法蓮華経の五字なり

妙は名(万物の名前)
法は体(万物の本体)
蓮は宗(万物各特質)
華は用(万物各働き)
経は教(働きの影響)

又総説の五重玄に二種有り
一には仏意の五重玄
二には機情の五重玄

♦️仏意の五重玄とは

■諸仏の内証に
五眼の体を具する
即ち妙法蓮華経の五字なり

仏眼は妙
法眼は法
慧眼は蓮
天眼は華
肉眼は経

妙は不思議に名く
故に真空冥寂は
法眼なり

法は分別に名く
法眼は仮なり
分別の形なり

慧眼は空なり
果の体は蓮なり

華は用なる故に
天眼と名く
神通化有なり

経は破迷の義に在り
迷をもって
所対と為す
故に肉眼と名く

■仏智の内証に
五眼を具する
即ち五字なり
五字又五重玄なり
故に仏智の五重玄と名く

■また五眼即五智なり
法界体性智は仏眼
大円鏡智は法眼
平等性智は慧眼
妙観察智は天眼
成所作智は肉眼

一家に既に九識を立つ故に
五智を立つべし
前の五識は成所作智
第六識は妙観察智
第七識は平等性智
第八識は大円鏡智
第九識は法界体性智


♦️機情の五重玄とは
機のために説く所の
妙法蓮華経
即ちこれ機情の五重玄なり
五重の一心三観あり

【一心三観】
★一心とは
凡夫の無明の一心

★三とは
空仮中の三諦
相生体の三如是
法報応の三身

★観とは
明らかに見る

★森羅万象のことごとく
三諦
三如是
三身

我が己心の生命は
三諦
三如是
三身

それぞれ三つが別々でなく
即一身に備わっているものとして
明かに見ていく

【妙】
不思議の一心三観
天真独朗(形ない一念に悟入すれば生死の別離れ宇宙ははっきりし、大覚の域に達する)
の故に不思議なり

【法】
円融(完全に融けあって一体)の
一心三観
理性円融なり
総じて九箇を成す

【蓮】
得意の一心三観
果位なり

【華】
複疎の一心三観
本覚の修行なり

【経】
易解の一心三観
教談なり

■不思議
智者己証の法体
理非造作の本有の分
三諦の名相無き中に於いて
強いて名相をもって説くを
不思議と名く

■円融
理性法界の処に
本よりこのかた三諦の理あり
互に円融して九箇と成る

■得意
不思議と円融との三観は
凡心の及ぶ所に非ず
聖智の自受用の徳をもって
量知すべき
故に得意と名く

■複疎
無作の三諦は
一切法に遍して
本性常住なり
理性の円融に同じからず
故に複疎と名く

■易難
三諦円融等の義知り難き故
暫く次第に附して
その義を分別する
故に易難と名く
これを附文の五重と名く

♦️本意に依て亦五重の三観あり

■一に三観一心
入寂門の機

■二に一心三観
入照門の機

■三に住果還の一心三観
上の機ありて
知識の一切の法は皆是れ仏法なり
と説くを聞いて真理を開す
入真已後観を極めんが為に
一心三観を修す

■四に為果行因の一心三観
果位究竟の妙果を聞いて
此の果を得んがために
種種の三観を修す

■五に付法の一心三観
種種の教門を聞いて
此の教義をもって心に入れて
観を修す
故に付法と名く

♦️三千三観の妙行を修し
解行の精微によって
深く自性門に入る我汝が
証相を領するに
【法性寂然なるを止と名け
寂にして常に照らすを観と名く】