るるの日記

なんでも書きます

仏法研究・如来滅後五五百歳始観心本尊抄・争うばかりでなく、媚びへつらうも修羅

2021-07-19 16:40:04 | 日記
問う
自他面の六根
此の十界に於いてはいまだに之を見ず。如何が之を信ぜん

答う
法華経・法師品にいわく
「難信難解」

宝塔品にいわく
「六難九易

天台大師いわく
「二門ことごとく難信難解なり」

章安大師いわく
「法此れをもって大事と為す
何ぞ解し易きこと得可けんや」

伝教大師いわく
「此の法華経は最も難信難解なり
随自意の故に」

在世の正機は過去の宿習厚き上
教主釈尊、多宝仏、十方分身の諸仏
地涌、文珠、弥勒等これをたすけて諫暁(かんぎょう・相手の誤りを諭す)せしむるに、なお信ぜざる者これ有り。五千席を去り
汝之を信ぜば正法に非ず

問う
火をもって水と云い
墨をもって白しと云う
たとえ仏説といえども信を取り難し
今しばし他面を見るに但人界に限り
余界を見ず、自面もまたかくの如し
如何が信心を立てんや

答う
しばし他面を見るに
或時は喜び・天
或時は怒り・地獄
或時は平に・人
或時は貪り・餓鬼
或時は愚か・畜生
或時は諂曲(媚びへつらう)阿修羅なり
これ他面の色法に於いては六道これ有り。四聖は冥伏して現れざれども
委細に之を尋ねれば之れ有る可し

♦️なぜ媚びへつらうのが修羅か?
修羅の本質は他者と争って優位に立とうとするが、相手が強いと媚びへつらうことで少しでも自分を優位に見せようとする

仏法研究・如来滅後五五百歳始観心本尊抄・法華経と摩訶止観で己の一念三千を知れる

2021-07-19 15:57:43 | 日記
問う
観心の心如何

答う
観心とは我が己心を観じて
十法界を見る
是を観心というなり

譬えば他人の六根を見るといえども
いまだ自面の六根を見ざれば
自具の六根を知らず
明鏡に向うの時始めて
自具の六根を見るが如し
法華経並びに天台大師所述の
摩訶止観等の明鏡を見ざれば
自具の十界・百界千如・一念三千を知らざるなり

問う
法華経は何れの文ぞ

答う
法華経方便品にいわく
「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」
これは九界所具の仏界なり

寿量品にいわく
「かくの如く我成仏してよりこのかた、はなはだ久遠なり
寿命無量阿僧祇劫常住にして滅せず、諸の善男子、我本菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命今なお未だ尽きず。復上の数に倍せり」
これは仏界所具の九界なり

経にいわく
「提婆達多・乃至・天王如来」
これは地獄界所具の仏界なり
経にいわく
「惑説己身惑説他身」
これは仏界所具の仏界なり

【惑説己身(わくせつこしん)
或いは己身を説く
己身→法身・釈迦自身・随自意
随自意→相手にかまわず自分の思う所に従う、相手の機根にかまわず法を説く】

【惑説他身(わくせつたしん)】
或いは他身を説く
他身→応身・他仏・随他意
随他意→相手の立場を考慮し順応する、相手に合わせた法を説く


仏法研究・如来滅後五五百歳始観心本尊抄・草木は仏そのもの

2021-07-19 15:03:21 | 日記
問う
百界千如と一念三千と差別如何

答う
百界千如は有情界に限り
一念三千は有情非情に亘る

問う
不審していわく
非情に十如是亘るならば
草木に心有って有情の如く成仏を為す可きや如何

答う
■此の事、難信難解なり
天台の難信難解に二有り
一には教門の難信難解
二には観門の難信難解なり

★教門の難信難解とは
一仏の所説に於いて
爾前の諸経には二乗・闡提未来に永く成仏せず

教主釈尊は始めて正覚を成ず
法華経に来至し給い
彼の二説を破る

一仏二言水火なり
誰人か之を信ぜん
此れは教門の難信難解なり

★観門の難信難解は
百界千如一念三千
非情の上の色心の二法十如是これなり
しかりといえども
木画の二像に於いては
外典内典共に之を許して本尊と為す
其の義に於いては天台一家より出でたり
草木の上に色心の因果を置かずんば
木画の像を本尊に恃み奉る事無益なり

【木像の本尊、紙に描かれた本尊は非情の心をもつ

非情の心とは煩悩なき心=生命そのもの=仏
有情の心とは煩悩ある心=生命+業=仏性という種子が在る凡夫


問う
疑っていわく
草木国土の上の十如是の因果の二法
何れの文に出でたるか

答う
止観第五にいわく
「国土世間また十種の法を具す
ゆえに悪国土、相、性、体、力、、」

★釈籤(しゃくせん)第六にいわく
「相は唯色に在り
性は唯心に在り
体・力・作・縁は色心を兼ね
因果は唯心
報は唯色に在り」

【桜の心は「唯咲きたい」という生命そのもの。煩悩は無いので仏性しか存在しない

相・桜の姿🌸
性・桜の春に「唯咲きたい」心
体・桜は毎年春咲いて散る
力・桜の生命力
作・桜の成長
因・桜の種子
縁・桜に注ぐ陽射し具足、雨量、虫
果・桜の今年の咲き方
報・桜の姿が人々へ与える影響


★金ぺい論にいわく
「すなわち是れ一草一木一礫一塵
各一仏性
各一因果あり
縁了を具足す」

【縁了を具足す
縁因仏性〈善行〉
了因仏性〈智慧〉

草木はそのままで
自然に生命善行を行い
それを行う智慧を持つ】


仏法研究・如来滅後五五百歳始観心本尊抄・摩訶止観では一念三千は明かさず

2021-07-19 13:16:00 | 日記
■摩訶止観第五にいわく
「世間と如是と一なり
開合の異なり」

一心に十法界を具す
一法界に又十法界を具すれば
百法界に即三千種の世間を具す
此の三千一念の心に在り
もし心無んば而已(心が無いという事はあり得ないのだ)
介爾(一刹那)で心有れば
即ち三千を具す
ゆえに称して不思議境と為す意
ここにあり
一界に三種の世間を具す

【不思議境・思義すべからず→言葉でも心でも顕せない→妙と同義】

■一念三千を明かさず
※問う
玄義(奥深く微妙)に一念三千の
名目明かすや

※答う
妙楽いわく明かさず

※問う
文句に一念三千の名目を明かすや

※答う
妙楽いわく明かさず

※問う
其の妙楽の釈如何

※答う
まだ一念三千と云わず

※問う
止観の一、二、三、四、等に
一念三千の名目を明かすや

※答う
之れ無し

※問う
其の証如何

※答う
★妙楽いわく
「止観に至って正しく観法を明かす、並びに三千をもって指南とす」

★玄義第二にいわく
「一法界に九法界を具すれば
百法界に千如是」

★文句第一にいわく
「一入に十法界を具すれば
一界又十界なり
各十如是あれば即ち是れ一千」

★観音玄にいわく
十法界交互なれば即ち百法界有り
千種の性相、冥伏して
心に在り
現前せずとも宛然(えんねん→そのまま)として具足す

※問う
止観の前の四に
一念三千の名目を明かすや

※答う
妙楽いわく明かさず

※問う
その釈如何

■妙楽の一念三千の解釈
※答う

★弘決第五にいわく
「もし正観に望めば
(正観・正しく法を観る)

全くいまだ行を論ぜず

二十五法に歴(へ)て

事に約して解を生ず
(事の道理を絞り解答を生ず)

まさによく正修の方便と為すに
堪えたり(もちこたえる)

是の故に前の六をば皆解に属す

又いわく
★「故に止観の正しく観法を明かす
に至って

並びに三千をもって指南と為す

即ち是れ

終窮究竟の極説なり

【終窮究竟(しゅうぐうくきょう)の極説・天台が摩訶止観五上で説いた一念三千の法門は、法華円経の深旨の中でも最終究極の説法】

故に序の中に〈説己心中所行法門〉と云う

【説己心中所行法門
(せつこしんちゅうしょぎょうほうもん)
法華経の教えを自分の事として、天台が自分で修行を重ねた体験】

請う、尋ね、読まん者心に異縁無かれ」