問う
自他面の六根
此の十界に於いてはいまだに之を見ず。如何が之を信ぜん
答う
法華経・法師品にいわく
「難信難解」
宝塔品にいわく
「六難九易」
天台大師いわく
「二門ことごとく難信難解なり」
章安大師いわく
「法此れをもって大事と為す
何ぞ解し易きこと得可けんや」
伝教大師いわく
「此の法華経は最も難信難解なり
随自意の故に」
在世の正機は過去の宿習厚き上
教主釈尊、多宝仏、十方分身の諸仏
地涌、文珠、弥勒等これをたすけて諫暁(かんぎょう・相手の誤りを諭す)せしむるに、なお信ぜざる者これ有り。五千席を去り
汝之を信ぜば正法に非ず
問う
火をもって水と云い
墨をもって白しと云う
たとえ仏説といえども信を取り難し
今しばし他面を見るに但人界に限り
余界を見ず、自面もまたかくの如し
如何が信心を立てんや
答う
しばし他面を見るに
或時は喜び・天
或時は怒り・地獄
或時は平に・人
或時は貪り・餓鬼
或時は愚か・畜生
或時は諂曲(媚びへつらう)阿修羅なり
これ他面の色法に於いては六道これ有り。四聖は冥伏して現れざれども
委細に之を尋ねれば之れ有る可し
♦️なぜ媚びへつらうのが修羅か?
修羅の本質は他者と争って優位に立とうとするが、相手が強いと媚びへつらうことで少しでも自分を優位に見せようとする