るるの日記

なんでも書きます

書くと本性顕れました。読み返し訂正なくで、読みにくいかも

2021-07-11 10:16:36 | 日記
決めるのは自分だけど、何でそう決めたのかの根底を観ていきたい。曖昧な思いを言葉にのせ文章を綴ることは、まさに決めるの連続である。

まず曖昧な思いが湧くという働き、働きかけがある。思いがわくのは今ではない。過去からわいては消え、わいては消えを繰り返していたようだ。なぜ完全に消えず、わいては消えを繰り返すのか?それは思念を行いに移さないからなんだと思う。だから私はこうやって文章化し、思いを浄化、完全燃焼、成仏させたい。そういう意味で、この文章は言霊からの自動書記の一面がある

さっき、わいた思いは十如是の最後から2番目の如是報。私個人としては「他への影響力」だと解釈している

物事を決めるときって、純粋に自分だけの意思の力だけでは決めてはいない。何らかの他者からの影響に自分の思いをからめている。
「人からどう思われるか」
「人から変に思われたくない」
「人に認められたい」
「あの人のようになりたい」
「あの人のような考え方いいなあ」「あんな生き方いいなあ」

このような他者からの影響力が、自分の本性と近いほど、余計な力はいらず、余計な気も使わず、余計な思考も使わず自然にいられる。

私はダメな自分という自己否定感が強かったから、本性と離れた理想の人間像に憧れを持つ傾向だった。分不相応な人格形成は、挫折を繰り返して、やっと

「もう、無理。私は悪人でーす」

と開き直り、楽な方向へ行くようになる。「義務ならやるけど、やってもやらなくても、どちらでもいいのなら、やらない。で、やりたいことをする」「気持ちが落ちつかないなら、義務的な、利他的なこともやる」というスタンス

宗教的には「利他」「感謝」を説くが、無理にはやらない。自分の気持ちが一番大切だから。「利他をさせてくれ!したい」と本性が叫んだらやる。その叫びは気分に現れ、落ち着かなくなるからわかる。やるまで落ち着かないから自分の気持ちをよくするために利他をやる

感謝に関しては、「有難い」ではなく「こんな感謝もできない、悪人の私に申し訳ない」という気分になって現れているのかもしれない。で、こんな私はみーんなの苦痛を背負いたいという気分がある。人の苦痛や寂しい感じを見ておられないからだ。他人のその姿を見なければならないならば、他人の苦を私に背負わせてと切に願う。要するに過剰な共感が、私の中で辛い妄想に膨らむからだ。本当は苦を他人に代わって背負うなんて、お節介で人のためにはならない。

何のために私は宗教を研究しているのか。まだまだ何にもわかっていないではないかと気づく

私以外の他者が辛いときは、学んだ法を説けばいいんだ。今まで自分のためだけに学んだことを、今からは人に説いて、楽を与え苦を抜くという実践をしていきたい。これは義務からではなく本性の叫び。。しかし反面に「私のような人間が、そんな大それたことできない」という魔の通力が同時発動する。これは私の癖なのだ。だから受動的、自らは動かない。やはり、、変わりたい、もっと命のように素直に、ひたむきにななりたい、、

文章を書いているうちに、私の本性の叫びを、こうやって知ることができました。感謝!



「この世に生まれたことの無意味さ」という意味は、ある目的にありました

2021-07-11 09:05:30 | 日記
■世界には
2つの側面があり
2つの側面が円融したもう1つがあり、合計3つの世界がある

★2つの側面とその円融
表裏→1つの物事
男女→生物
善悪→1つの物事への1つの認識
生死→命
空仮→中道
意味・無意味→目的
物質界・空→命の循環

私の認識だけでは、刹那で固定した見方しかできない。いつもいつも、その時、その場で生きている。命は生きるためのエネルギー

■視点を
私の認識(自我)【仮】
私の命【空】
命全体【中】
からそれぞれ視てみよう

1
この世に【私】が生まれた意味を見ると【無意味】なの。いつかは死ぬこの肉体を持つ私には意味がない。だから人生は死ぬまでの暇潰し
私は生まれ、生き、いつか死ぬ

2
この世に【私の命】が生まれた意味は、私という肉体を生かすという意味を持つ。そして私の命は永遠に存在し続ける。私の命が生まれたというより、私という仮の身体に命が流入したの

3
この世に生まれた私の無意味さも
この世に生まれた私に流入した意味ある命も、すべては命全体の目的のため

■無意味+有意味=1つの目的
この3つは融合している
ということは、私は目的なんだ

生まれ、生き、死ぬ無意味な私に
永遠に存在する意味ある命が
私に流入し、私を生かす
命はただひたすら完全に、ありのまま働いて私を生かしている
それは完全な事実だと思う

それはなぜか?
命全体の
本源的な目的があるから

■私も、私の命も、本体は丸い命全体
その本体にも、また本体があり、そのまた本体にもその本体があり、永遠に広がりつづける

広がり続ける本体の一番新しい部分が本体の核心であり、今の私たちの刹那の思念による行い(思念の表現、体感、体験、経験、実感)

■命全体の本源的な目的のための私は
不完全
無常
生老病死
四苦八苦
多少の楽
がわきおこるが

人生は無意味でいつかは終わるからその意味のなさを+にうけることで、四苦八苦があれど、自由、楽、軽く、今生を全うできる

そう決めるのは、私の意思の領分なんだけど、、、なぜそう決めたのかの根本を観ると、そう決めざるを得ないよう、何かに心が動かされている一面もなきにしもあらず

命全体の本源的目的は
自由、楽、軽いを人に味会わせること。そこに【この世の無意味という意味】がある

只楽しめ
区切りがあるから楽しめるだろ?
っていわれている









夢日記・黄金に光る300メートルある波の山

2021-07-11 06:30:19 | 日記

夢を見た


海から程遠い街

黄金に光る300メートルほどの波の山にのまれる私

その波の中では息ができ、身動きもできる。波の正体はたくさんの情報が隙間なく密集していた。姿形のない情報の波だから、息もできるし、身動きもできたのだ。この情報の全てから私は世界の真理を知った

そんな夢を見た