★南岳釈していわく
「一切衆生、法身の蔵を具足して
仏と一にして異り有ること無し」
★是の故に法華経にいわく
「父母所生清浄常眼耳鼻舌身意
亦復如是」
ふ・ぼ・しょ・しょう・しょう・
じょう・じょう・げん・に・び・
ぜつ・しん・に・やく・ぶ・にょ・ぜ
★又南岳いわく
「大強精進経(だいごうしょうじん経)の中に
衆生と如来と同じく
共に一法身にして
清浄妙無比なるを
妙法蓮華経と称す」
■法華経に同共して信ずる者は
妙経の体なり
不同共の者は仏性法身如来に背くが故に、妙経の体に非ざるなり
正直に方便を捨て但法華経を信じ
南無妙法蓮華経と唱うる人は
煩悩・業・苦の三道
法身・般若・解脱の三徳と転じて
三観・三諦・即一心に顕れ
其の人の所住の処は常寂光土なり
■本門寿量の当体蓮華の仏とは
日蓮が弟子檀那等の中の事なり
是れ即ち法華の当体
自在神力の顕す所の功能なり
あえて之を疑う可からず
♦️るるは日蓮の弟子ではないから、当体蓮華の仏ではない、、というのではなく、この御書は日蓮大聖人が、日蓮弟子用、もしくは折伏相手にあてた文書なのでこのような表現の仕方なのだと解釈したい