るるの日記

なんでも書きます

仏法研究・当体義抄・自己の仏性に背くべからず

2021-07-15 10:58:42 | 日記
★南岳釈していわく
「一切衆生、法身の蔵を具足して
仏と一にして異り有ること無し」

★是の故に法華経にいわく
「父母所生清浄常眼耳鼻舌身意
亦復如是」
ふ・ぼ・しょ・しょう・しょう・
じょう・じょう・げん・に・び・
ぜつ・しん・に・やく・ぶ・にょ・ぜ

★又南岳いわく
「大強精進経(だいごうしょうじん経)の中に
衆生と如来と同じく
共に一法身にして
清浄妙無比なるを
妙法蓮華経と称す」

■法華経に同共して信ずる者は
妙経の体なり
不同共の者は仏性法身如来に背くが故に、妙経の体に非ざるなり

正直に方便を捨て但法華経を信じ
南無妙法蓮華経と唱うる人は
煩悩・業・苦の三道
法身・般若・解脱の三徳と転じて
三観・三諦・即一心に顕れ
其の人の所住の処は常寂光土なり

■本門寿量の当体蓮華の仏とは
日蓮が弟子檀那等の中の事なり
是れ即ち法華の当体
自在神力の顕す所の功能なり
あえて之を疑う可からず

♦️るるは日蓮の弟子ではないから、当体蓮華の仏ではない、、というのではなく、この御書は日蓮大聖人が、日蓮弟子用、もしくは折伏相手にあてた文書なのでこのような表現の仕方なのだと解釈したい






仏法研究・当体義抄・因果具足の法華経だから方便道の次第行は不要

2021-07-15 09:21:36 | 日記
★問う
一切衆生皆ことごとく
妙法蓮華経の当体ならば
我等が如き愚痴闇鈍の凡夫も
妙法の当体なりや

★答う
当世の諸人多しといえども
いわゆる権教の人は
妙法蓮華経の当体と云わず
実教の法華経を信ずる人は
当体蓮華、真如の妙体なり

■南岳大師いわく
衆生と如来と
同共一法身にして
清浄妙無比なるを
法華経と称す

法華経を修行するは
此の一心一学に
衆果あまねく備わる
一時に具足して
次第入に非ず

蓮華の一華に
衆果を一時に
具足するが如し
是を一乗の衆生の義と名く

二乗及び鈍根の菩薩は
方便道の中の次第修学なり
利根の菩薩は正直に方便を捨て
次第行を修せず
法華三昧を証すれば
衆果ことごとく具足す
是を一乗の衆生と名く

★これらの文の意を案ずるに
三乗、五乗、七方便、九法界、四味三教、一切の凡聖等をば
大乗の衆生、妙法蓮華経の当体とは名く可からざるなり
たとい仏なりといえども
権教の仏をば
仏界の名言を付く可からず
権教の三身は未だ無常を免れざる故に



仏法研究・当体義抄・無明(迷)=明(法性)

2021-07-15 08:36:10 | 日記
■大円覚修多羅了義教にいわく

一切衆生の無始の幻無明は
皆、諸の如来の円覚〈完全に円満な覚り〉の心より建立す

■天台大師の止観にいわく

無明
本是れ法性なり
癡迷をもっての故に
法性変じて無明を作る

■妙楽大師の釈にいわく

理性体無し
全く無明に依る
無明体無し
全く法性に依る

■法華経にいわく
是の法は法位〈真如〉に住して
世間の相常住なり

■大論にいわく
明と無明と異なく別なし
かくの如く知るをば
是を中道と名く

■華厳経にいわく
心、仏、衆生これ無差別

■南岳大師いわく
心体に染浄の二法を具足して
しかも異相無く一味平等なり

■大乗止観の釈にいわく
三千、理に在れば無明と名け
三千、果に成ずれば
ことごとく常楽と称す
三千、改むこと無ければ
無明 即 明
三千並びに常なれば
倶体倶用(くたいくゆう)なり

♦️るるの訳
三千世間、道の途中なら
無明
三千世間、仏性と成れば
最高の幸福
三千世間の構造は
無明=明

三千世間は常に
生命の本体(仏)も
生命の働きも(九界の衆生)
共に備わる


仏法研究・当体義抄・一心〈法性真如〉に種々の善悪の夢〈無明法性〉を見る

2021-07-15 07:31:49 | 日記
★問う
一切衆生の当体
妙法蓮華経の全体ならば
地獄乃至九界の業因業果も
皆是れ妙法蓮華経の体なるや

★答う
■法性(法本体)の妙理(不思議な道理)に、染浄の二法有り

染法は燻じて迷と成り
浄法は燻じて悟と成る
悟は仏界
迷は衆生

■この迷悟の二法
二なりといえども
法性真如の一理なり

水晶の玉、日輪に向かえば火を取り
月輪に向かえば水を取る
玉の体一なれども
縁に随てその功
同じからざるが如し

真如の妙理もまたかくのごとし
一妙真如の理なりといえども
悪縁に遇えば迷と成り
善縁に遇えば悟と成る
迷は無明
悟は法性

人夢に種種の善悪の業を見
夢覚めて後に之を思えば
我が一心に見る所の夢なるが如し
一心は法性真如の一理
夢の善悪は迷悟の無明法性なり

かくの如く意得れば
悪迷の無明を捨て
善悟の法性を本と為す可きなり


仏法研究・当体義抄・妙法蓮華経の本体について

2021-07-15 06:56:10 | 日記
★問う
妙法蓮華経とは其の体何物ぞや

★答う
十界の依正
即ち妙法蓮華経の当体(本体)なり

【依正・依報と正報
過去の業の報いとして受ける環境と身体】

★問う
しかれば我等が如き一切衆生も
妙法の全体なりと云わる可きか

★答う
勿論なり、経にいわく
「所謂諸法・乃至・本末究竟等」

■妙楽大師釈していわく
「実相は必ず諸法
諸法は必ず十如
十如は必ず十界
十界は必ず身土」

■天台いわく
「十如、十界、三千諸法は
今経の正体なるのみ」

■南岳大師いわく
「いかなるを名けて
妙法蓮華経為すや
答う
妙とは衆生妙なるが故に
法とは即ち是れ衆生法なるが故に」

■又、天台釈していわく
「衆生法妙」