問う
■教主釈尊は
三惑已断(煩悩断った)の仏なり
八万法蔵を演説して一切衆生を得脱せしむ
【かくの如き仏陀何をもって
我等凡夫の己心に住せしめんや】
■また教主釈尊は始成正覚の仏なり
過去の因行を尋ね求めれば
三千塵点劫の間六万、五千、六千、七千等の仏を供養し、行を積み
今の教主釈尊と成り給う
【かくの如き因位の諸行は
皆我が己身所具の菩薩界の功徳か】
★果位をもって之を論ずれば
教主釈尊は始成正覚の仏
四十余年の間、四教の色身に示顕し
一切衆生を利益し給う
十方の盧遮那
阿含経の三十四心、断結成道の仏
方等般若の千仏
大日・金剛頂の千二百余尊
宝塔品の四士色身
・
・
八十御入滅
舎利を留めて利益し給う
★本門をもって之を疑わば
教主釈尊は五百塵点已前の仏なり
因位も又かくの如し
それより已来十方世界に分身し
一代聖教を演説して塵数の衆生を
教化し給う
★本門の所化に
迹門の所化を比すれば
一滴と大海
一塵と大山
本門の一菩薩を
迹門世界の文珠、観音に対向すれば
猿をもって帝釈に比するに尚及ばず
その十方世界の断惑証果の
二乗
梵天
帝釈
日月
四天
四輪王
乃至無間大城の大火炎等
【皆我が一念の十界か
己身の三千か
仏説なりとも之を信ずる可からず】
■これをもって、思うに
爾前の諸経は事実なり
華厳経にいわく
「究竟して虚妄を離れ
染無きこと虚空の如し」
仁王経にいわく
「源を窮め性を尽くして
妙智存せり」
金剛般若経いわく
「清浄の善のみ有り」
馬鳴菩薩の起信論にいわく
「如来蔵の中に清浄の功徳のみ有り」
天親菩薩の唯識論にいわく
「余の有漏と
劣の無漏と
種は
金剛喩定が現在前する時
極円明純浄の本識を引く
彼の依に非ざるが故に
皆永く棄捨す」
■爾前の経経と法華経と
これを校量するに
彼の経経は無数なり
時説既に長し
■馬鳴菩薩は仏記に之れ有り
天親は千部の論師、四位の大士なり
天台大師は辺鄙の小僧にして一輪をも宣べず。誰が之を信ぜん
■法華経の文に何れの所にか
十界互具・百界千如・一念三千
の分明なる証文有りや
但天台一人僻見(へきけん・偏った見方)なり
伝教一人の謬伝(みょうでん・誤って伝える)なり
故に清涼国士のいわく
「天台の誤りなり」
智苑法師のいわく
「しかるに天台は小乗を呼んで
三蔵教と為し、その名謬濫するをもって」
了洪いわく
「天台独りいまだに華厳の意を尽くさず」
弘法大師のいわく
「震旦の人師等争って醍醐を盗んで、各自宗に名く」
一念三千の法門は
一代の権・実に名目を削り
四依の論師その義を載せず
漢土・日域の人師も之を用いず
如何が之を信ぜん