るるの日記

なんでも書きます

仏法研究・如来滅後五五百歳始観心本尊抄💢質問者日蓮聖人にキレて法華経を信じられない理由を述べる💢

2021-07-20 09:55:29 | 日記
問う
■教主釈尊は
三惑已断(煩悩断った)の仏なり
八万法蔵を演説して一切衆生を得脱せしむ
【かくの如き仏陀何をもって
我等凡夫の己心に住せしめんや】

■また教主釈尊は始成正覚の仏なり
過去の因行を尋ね求めれば
三千塵点劫の間六万、五千、六千、七千等の仏を供養し、行を積み
今の教主釈尊と成り給う
【かくの如き因位の諸行は
皆我が己身所具の菩薩界の功徳か】

★果位をもって之を論ずれば
教主釈尊は始成正覚の仏
四十余年の間、四教の色身に示顕し
一切衆生を利益し給う
十方の盧遮那
阿含経の三十四心、断結成道の仏
方等般若の千仏
大日・金剛頂の千二百余尊
宝塔品の四士色身
八十御入滅
舎利を留めて利益し給う

★本門をもって之を疑わば
教主釈尊は五百塵点已前の仏なり
因位も又かくの如し
それより已来十方世界に分身し
一代聖教を演説して塵数の衆生を
教化し給う

★本門の所化に
迹門の所化を比すれば
一滴と大海
一塵と大山
本門の一菩薩を
迹門世界の文珠、観音に対向すれば
猿をもって帝釈に比するに尚及ばず

その十方世界の断惑証果の
二乗
梵天
帝釈
日月
四天
四輪王
乃至無間大城の大火炎等
【皆我が一念の十界か
己身の三千か
仏説なりとも之を信ずる可からず】

■これをもって、思うに
爾前の諸経は事実なり

華厳経にいわく
「究竟して虚妄を離れ
染無きこと虚空の如し」

仁王経にいわく
「源を窮め性を尽くして
妙智存せり

金剛般若経いわく
「清浄の善のみ有り」

馬鳴菩薩の起信論にいわく
「如来蔵の中に清浄の功徳のみ有り」

天親菩薩の唯識論にいわく
「余の有漏と
劣の無漏と
種は
金剛喩定が現在前する時
極円明純浄の本識を引く
彼の依に非ざるが故に
皆永く棄捨す」

■爾前の経経と法華経と
これを校量するに
彼の経経は無数なり
時説既に長し

■馬鳴菩薩は仏記に之れ有り
天親は千部の論師、四位の大士なり
天台大師は辺鄙の小僧にして一輪をも宣べず。誰が之を信ぜん

■法華経の文に何れの所にか
十界互具・百界千如・一念三千
の分明なる証文有りや
但天台一人僻見(へきけん・偏った見方)なり
伝教一人の謬伝(みょうでん・誤って伝える)なり

故に清涼国士のいわく
「天台の誤りなり」

智苑法師のいわく
「しかるに天台は小乗を呼んで
三蔵教と為し、その名謬濫するをもって」

了洪いわく
「天台独りいまだに華厳の意を尽くさず」

弘法大師のいわく
「震旦の人師等争って醍醐を盗んで、各自宗に名く」

一念三千の法門は
一代の権・実に名目を削り
四依の論師その義を載せず
漢土・日域の人師も之を用いず
如何が之を信ぜん





仏法研究・如来滅後五五百歳始観心本尊抄・自見で法華経を見る故に法華経を下す

2021-07-20 08:12:28 | 日記
■問う
十界互具の仏語分明なり
といえども
我等が劣心に仏界を具すること
信を取り難き者なり

今時之を信ぜずば
必ず一闡提と成らん
願わくば大慈悲を起して
之を信ぜしめ阿鼻の苦を救護したまえ

★一闡提〈いっせんだい・仏教の正しい法を信じない為、成仏の素質や縁を欠き、救われる望みの無い者〉

♦️「るるにも信心をください
信じることができない私を、信じさせて欲しいです」


■答う
汝すでに一大事因縁の経文を見聞きして之を信ぜざれば
釈尊より已下四依の菩薩並びに末代理即の我等如何が汝を救護せんや

【信じないなら、救護しません💧】

★しかりといえども試みに之を云わん
仏に値い奉って覚らざる者阿難等にして得道する者之れ有ればなり

★それ機に二有り
一には仏を見奉り法華にて得道す
二には仏の見奉らざれども法華にて得道するなり

★その上、仏教已前は外道をもって
縁と為して正見に入る者あり

★また利根の菩薩凡夫等
諸大乗経を聞きし縁をもって
久遠の下種を顕示する者多々なり

❌過去の下種無き者の
権教・小乗教に執着する者は
たとえ法華経にあい奉れども
権・小の見を出ず
自見をもって正義と為るが故に
かえって法華経をもって
小乗経に同じ
或いは華厳大日教と同じ
或いはこれを下す
これらはしばらく之を置く

★十界互具を立つるは
石中の火
木中の花
信じ難けれども
縁におうて出世すれば之を信ず

人界所具の仏界は
水中の火
火中の水
最も甚だ信じ難し

しかりといえども
竜火は水より出
竜水は火より生ず
心得られざれども
現証有れば之を用ゆ

すでに人界の八界之を信ず
仏界何ぞ之を用いざらん

【人は八界の地獄~声聞縁覚までは信じているのに何で仏を用いない】

不軽菩薩は所見の人(所見・見た結果の判断・声聞の人?)に於て、仏身を見る

悉達太子(釈迦)は人界より仏身を成ず
これ等現証をもって
之を信ず可きなり


仏法研究・如来滅後五五百歳始観心本尊抄・無常の悪人は菩薩界を無意識に現じるが仏界は現じ難し、無常の凡夫は法華経を信じる事で人界に仏界を具足する

2021-07-20 06:52:16 | 日記
■色法(物質的存在)に於いては
六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天)共に之れ有り
四聖(仏、菩薩、縁覚、声聞)は
冥伏して現れざれども
委細に之を尋ねれば之れ有る可し

★問う
六道に於いて分明ならずといえども
粗之をを聞くに之を備うるに似たり
【六道は明確にならないが、おおざっぱにこれを聞くと、人は六道を備えていることに似ている】

四聖は全く見えざるは如何


★答う
前には人界の六道を疑う
しかりといえども強いて之を言って
相似の言を出だせしなり

四聖も又しかる可きか試みに
道理を添加して万か一之を宣べん

世間の無常は眼前に有り
無顧の悪人【無顧(むこ)の悪人・全く他人をかえりみない悪人】もなお妻子を慈愛す菩薩界の一分なり

但仏界ばかり現じ難し
九界を具するをもって
強いて之を信じ疑惑せしむる事勿れ

法華経の文に人界を説いていわく
「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」

涅槃教にいわく
「大乗を学する者は肉眼有りといえども、名けて仏眼と為す」

末代の凡夫出世して
法華経を信ずるは
人界に仏界を具足する故なり