♦️「国王陛下!バスティーユがが市民に奪われました。陛下、これはただの暴動ではなく革命でございます」
■1789年7月14日に続いて
新しい革命の日々がはじまった
新パリ市長に、国民議会議長ジャン・シルヴァン・バイイ(平民)が任命され
武装して戦った市民たちを正規の軍隊として編成。ここに全国的組織を持つ国民衛兵隊が誕生。(しかしこれはまだ一定の財産を持った者しか入隊できないという重大な欠陥を持ったものであった)
最高司令官にはラ・ファイエット将軍が任命され、パリ市の徽章である赤と青の2色に、フランス王家をあらわす白米を配色した3色の徽章が革命のしるしだと定められた。これが現在のフランス国旗である
■8月4日ベルサイユでの国民議会
僧侶・貴族代表は、封建時代からのさまざまな特権を捨てることを決議
ただしこれは実行されず、民衆の憎しみを増すだけの結果となった
■8月26日はなはだ不十分であったにせよ、高らかに人間の自由と平等をうたいあげて、【人権宣言全17条】が採択された
♦️「国王陛下、もはや一刻の猶予もありません。国境近くのメッスまで逃げましょう。あそこならまだ革命の波は及んでいません」
しかし、国王は
「逃げたらその間に、民衆がオルレアン公を国王にしてしまうかもしれない。そんなのはいやだ!ああだけど、このままだとどうなるかわからないし、、どうしよう、どうしよう」
こんな頼りない王さまの側にいては、こっちの身が危ないと、ポリニャック夫人一族を先頭に、王一族や多くの廷臣たちは、ベルサイユを捨て、国王陛下を捨てた