るるの日記

なんでも書きます

源氏物語を読む「桐壺」更衣の思い出を纏い生きる帝

2022-11-11 15:58:02 | 日記
野分だちて、
にはかに肌寒き夕暮れのほど
常よりも、思し出づること多くて
「ゆげいのみょうぷ」といふを遣はす

夕月夜(ゆふづくよ)の
おかしきほどに、
出だし立てさせたまひて
やがて、ながめおはします
かうようのおりは、
御遊びなどせさせたまひしに、
心ことなる物の音を掻き鳴らし
はかなく聞こえ出づる言の葉も
人よりはことなりしけはひ
容貌の、面影につと添いひて
思さるるにも、闇の現(うつつ)には、なほ劣りけり

※野分だちて→野の草を分けて吹く強風で、台風

※ゆげいのみょうぷ→父兄または夫に「ゆげい」(武官)がいた「みょうぷ」(中級女官)

※夕月夜→夕方の月

※ながめおはします→見るともなしにぼんやりと見ながら、物思いにふける

※御遊び→管弦の催し
※言の葉→言葉
※けはひ→様子
※面影→幻影
※闇の現→うばたまの、闇の現は、定かなる、夢にいくらも、
まさらざりけり

■野分けめいた風がふいて、
急に肌寒さを感じる夕暮れ頃
帝は常よりもまして、思い出されることがいろいろあり、「ゆげいのみょうぷ」という女官を、更衣の里に遣わした

夕方の月の美しい頃に、みょうぷを出してやって、帝自身は月を見るともなしに、ぼんやり見ながら、物思いにふけっていた

このような風情のおりには
管弦遊びなどを催したりする
そうゆうとき、すぐれた音を
琴で掻き鳴らし
何気なく耳に入る言葉も
人より抜きん出ていた更衣
その更衣の気配が、今私に寄り添っている、、と感じる、、
だが、それも
「夢とはいくらも違わぬ」
と、詠んだ「闇の現」にはなお、及ばぬものだった

源氏物語を読む「桐壺」死んでからも人の心を不快にさせる可愛がられ方よ

2022-11-11 15:04:16 | 日記
■はかなく日ごろ過ぎて
後のわざなどにも
こまかにとぶらはせたまふ

ほど経(ふ)るままに
せむ方なう悲しう思さるるに
御方々の御宿直なども絶えて
したまはず
ただ
涙にひちて明かし暮らせたまへば
見たてまつる人さへ露けき秋なり

「亡きあとまで、人胸あくまじかりける人の御おぼえかな」
とぞ、弘徽殿などには、なほゆるしなうのたまひける

一の宮を見たてまつらせたまふにも
若宮の御恋しさのみ思ほし出でつつ
親しき女房、御乳母などを遣はしつつ、ありさまを聞きこしめす

※はかなく日ごろ過ぎて→あっけなく日ごろ過ぎていくさま
この「はかなく」によって夏から秋へ転回する

※後のわざ→死語49日までの、7月7日に行う供養の行事

※露けき→露が多く湿っぽいの意味から、涙がちの状態の比喩

※人の胸あく→思いを晴らして気持ちをサッパリさせる
まじける→否定

※弘徽殿→第一皇子の母

■あっけなく日数は過ぎて、
帝は、7月7日の法事などにも
懇ろにご弔問をなさる

時が経つにつれて
どうしようもないほどに
更衣の死を悲しく思われて
帝は、女御・更衣などの夜の相手は、まったく絶えてせず
ただ涙にくれて夜を明かし、日を暮らしている
その悲嘆さを見ている人までもが
涙がち、、露のような秋である

「死んだ後も、人の心を塞がせるような、お可愛いがられ方なことよ」
と、弘徽殿などは今もなお、ゆるしはせず、容赦なく言う

一の宮を御覧になるときも
帝は若宮を恋しく思い出され
親しい女房や乳母などを遣わし
若宮の様子を尋ねた



源氏物語を読む「桐壺」有る時は憎かりき、亡くてぞ人は恋しかり

2022-11-11 14:21:00 | 日記
■限りあれば、
例の作法におさめたてまつるを、
母北の方、同じ煙にのぼりなむと、泣きこがれたまひて、
御送りの女房の車に慕い乗りたまひて、
おたぎといふ所に、
いといかめしうその作法をしたるに
おはし着たる心地
いかばかりかありけむ
「むなしき御骸を見る見る、
なほおはするものと思ふが、
いとかひなければ
灰になりたまはむを見たてまつりて
今は亡き人と、ひたぶるに
思ひなりなん」
と、さかしうのたまひつれど
車よりも落ちぬべうまろびたまへば
さは思ひつかしと、人々もてわづらひきこゆ

内裏より御使あり
三位の位贈りたまふよし
勅使来て、その宣命読むなん
悲しきことなりける

女御とだに言はせずなりぬるが
あかず口惜しう思さるれば
いま一階の位をだにと
贈らせたまふなりけり
これにつけても、憎みたまふ人々多かり

もの思ひ知りたまふは
さま容貌などのめでたかりしこと
心ばせのなだらかにめやすく
憎みがかりしことなど
今ぞ思し出づる
さまあしき、御もてなしゆえこそ
すげなうそねみたまひしか
人がらのあはれに
情ありし御心を
上の女房なども
恋ひしのびあへり
「なくてぞ」とは、かかるおりにゃと見えたり

※さもあしき→はたむもかまわぬ帝の寵愛ぶり
※あへり→複数の者が同時に同一のことをする、同一のことを思う

※なくてぞ→「ある時は、ありのすさびに憎かりき、なくてぞ人は恋しかりける」

■きまりもあることなので
作法どおりに葬儀を行うのだが
母北の方は「娘の亡骸を焼くのと同じ煙となって空へのぼってしまいたい」と亡き焦がれながら、御葬送の女房の車の後を追いかけて乗って、
おたぎという所で、まことに厳粛に儀式を行っている所に到着したときの気持ちはいかばかりだったか、、

「むなしい遺骸を目の前に見ながらも、やはりまだこの世に生きていると思われてならず、灰になるところを拝見したとき、今こそこの世に亡き人と、すっかりあきらめをつけましょう」と、健気に言われるけれど、そのときになると、車から落ちてしまいそうに倒れられ、こんなことになるだろうと思ったと
人々は相手をしかねている

宮中から御使いがある
三位の位を追贈される旨を
勅使が来てその宣命を読むというのは、悲しいことである
生前、女御とさえも、言わせず終わったことが、じつに心残りなことであろうと思われて、せめてもう一階上の位をだけでもと、お贈りになるのであった
このことにつけてもまた故人を
憎む人々が多かった

しかし、物の情理をよくわきまえ知っている人は、更衣の姿や顔立ちの美しかったことや、気立てが穏やかで難がなく、憎もうにも憎めなかったことなどを、亡くなった今になってはじめて思い起こしになる
見苦しいほどの帝の御寵愛ぶりのゆえに、冷ややかに妬んできたが、
人柄が優しく情の深かった心を
上の女房などもみなが思いだし
恋しく思った
「なくてぞ」というのは、こんな場合のことを詠んだものに思える




源氏物語を読む「桐壺」死に行く更衣の気持ち・命が欲しい、生きたい、、

2022-11-11 12:25:42 | 日記
■限りあれば、
さのみえも、止めさせたまはず
御覧じだに送らぬおぼつかなさを
言ふ方なく思ほさる

いとにほひやかに
うつくしげなる人の
いたう面痩せて
いとあはれとものを思ひしみながら
言に出でても聞こえやらず
あるかなきかに消え入りつつ
ものしたまふを、御覧ずるに
来し方行く末思しめされず
よろづのことを
泣く泣く契りのたまはすれど
御答へもえ聞こえたまはず
まみなどもいとたゆげにて
いとどなよなよと
われかの気色にて臥したれば
いかさまに思しめしまどはる
てぐるまの宣旨などのたまはせても
また入らせたまひて
さらにえゆるさせたまはず

「限りあらむ道にも、後れ先立たじと、契らせたまひけるを、さりともうち棄てては、え行きやらじ」
とのたまはすりを

女もいといみじと見たてまつりて
「かぎりとて別るる道の悲しきに
いかまほしきは命なりけり
いとかく思ひたまへましかば」
と息も絶えつつ
聞こえまほしげなることはありげなれど、いと苦しげにたゆげなれば
かくながら、ともかくも、ならむを
御覧じはてむ
と思しめすに
「今日(けふ)、はじむべき祈祷(いのり)ども、さるべき人々、
うけたまはれる、今宵より」
と聞こえ急がせば、わりなく思ほしながら、まかでさせたまふ

御胸つとふたがりて
つゆまどろまれず
明かしかねさせたまふ
御使の行きかうほどもなきに
なほいぶせさを
限りなくのたまはせつるを
「夜半うち過ぐるほどになむ
絶えはてたまひぬる」
と、泣き騒げば、
御使もいとあへなくて帰り参りぬ
聞こしめす御心まどひ
なにごとも思しめし分かれず
籠りおはします

※限りあれば→更衣の死期が近いことを語っている
皇后、妃も宮中で死ぬことは禁忌
宮中は神事、帝は神、、だから

※御覧じだに、送らぬ→せめて見送るだけでも、、できず

※われかの気色にて臥したれば→我が人が、意識がぼんやりして臥している

※てぐるまの宣旨→手でひく屋形車
勅許を得て乗用し、宮門を出入りする。破格の待遇

※限りあらむ道→前世の因縁で、その時期も定められている死出の道
にも関わらず「後れ先立たじ」と約束が交わされていたほど、帝と更衣は無類の仲だった

※さりとも→希望、いくらなんでも

♦️かぎりとて、別るる道の悲しきに
いかまほしきは、命なりけり

別れ路は、これや限りの旅ならむ
さらに行く(生きる)べき
心地こそせね
【新古今・離別道命法師】

♦️いとかく思ひ、たまへ、ましかば
ましかば→、、であったら、、であろうに
なまじ帝のご寵愛をいただかなければ、、(よかったろうに)の
よかったろうに、を更衣は言えなかった

更衣の退出をなかなか許しえない帝の執着に対して、死を自覚している更衣は、この歌のほかに、言うべき言葉は無い

■掟のあることだから
帝はそうそうも引き留めになれず
お見送りさえもできない心もとさを
言いようもなく悲しく思う

じつに艶々と、美しくかわいい方の
すっかりやつれた姿に
まことにしみじみと
世の悲しみを感じ
言葉に出しても更衣には聞こえない
人心があるか、ないかのように
消えていく様子を御覧になると
帝は後先の分別も無くし
あらんかぎりの事を
泣く泣く約束するけれど
更衣は答えることができない

眼差しなども、ひどくだるそううで
ひどくなよなよと、正体なく臥している。帝はどうしたものかと思い惑う

てぐるまの宣旨を出してからも
また部屋に入っては
どうしても退出を許さない

帝は
「決められている死出の道にも
一緒にと、約束したではないか
いくらなんでも、私を棄てては行かないだろう!」と言われるのを

女も帝の気持ちを本当に痛わしいと感じて
「限りとて、今はこれよりほかなく、別れることになる死別道が悲しい。私が欲しいのは生きる道。命なのです、、
このようになると知っていたならば、、(その後は言えなかった)→【なまじ帝のご寵愛をいただかなければよかったろうに、】」
と、息も絶え絶えに言った
まだ言いたいことはある様子であるが、ひどく苦しそうで、帝は、いっそこのまま、ともかく見届けたいと思っていたが、、

「今日から始める数々の祈祷を
しかるべき人々が承れます。それを今夜から始めます」と急き立てられ
帝はたまらない悲しみのなか
更衣を退出させた

帝は胸が一杯になって
まどろみもせず
夜の明けるのを待つ
御使が行って帰るだけの時間もたたないのに、たまらなく気がかりでならぬ気持ちでいた

「夜中を過ぎるころ、とうとう亡くなりました」と更衣の里の者が泣き騒ぎ、使いもまたがっくりして、宮中に帰参した
この知らせを聞いた帝は、動転し何の分別もつかず、ただ部屋に閉じ籠もった



源氏物語を読む「桐壺」若宮の母・更衣、とうとう帝と別れて退出

2022-11-11 10:25:01 | 日記
■その年の夏、
御息所(みやすどころ)、
はかなき心地にわづらひて
まかでなん、としたまふを
暇(いとま)さらにゆるさせたまはず

年ごろ、
常のあつしさになりたまへれば
御目馴れて
「なほしばし、こころみよ」
とのみ、のたまはするに
日々に重りたまひて
ただ五六日(いつむいか)のほどに
いと弱うなれば
母君泣く泣く奏して
まかでさせ奉りたまふ
かかるおりにも
あるまじき恥もこそと
心づかひして、
皇子をば止めたてまつりて、
忍びてぞ出でたまふ

※御息所→皇子を生んだ女御・更衣の敬称

※恥もこそ→万一死の穢れによって、神聖な宮中を穢すという、不面目なことにはなってはいけない

■その年の夏
若宮の母君は、なんとなく体調が崩れ、養成のため里に下がろうとする
だが、帝はどうしても暇を許さない

この何年か、病気がちだったので
帝はそれをいつも見ていたから
「このまましばらく様子を見よ」
とばかり言われているうちに
日に日に病は重くなられ
わずか五六日の間にひどく衰弱した

更衣の母が泣く泣く帝にお願いし
退出するように計らう
こうした折りにも、死の穢れによって不面目な事態になってはと用心した
若宮の方は宮中に残し
人目を避けて退出した