るるの日記

なんでも書きます

るるの随筆「神仏」

2022-11-28 12:28:03 | 日記
愚かだけど尊い、貴い
器として存在する私たちには、三位一体。
★人間という器(家系、遺伝子、本能、脳)
★永遠の業(カルマ、自我)
★永遠の魂(すべての法則力)

業は、業に似通った人間器に組み込まれる
魂は、組み込ませる法則力

では神仏とは何か?
業の持つ信じる力(自力)を引き出すことで、魂の法則力(他力)が働き、人間としての自我の趣き(表層意識)が中道に変わり、物事の捉え方が変わり、快適になる
(人間の脳には信じるはない)
それを、神仏のお陰とする
そうした方が信じやしはいかも

るるの随筆「業火の炎は、辺りを照らす光」

2022-11-28 11:58:43 | 日記
業火
業は肉体を求め人間となりました。
業は何度か人間として体験を積むうちに、「いろんな体験をした。今は暖かに燃えて、そして燃え尽きて、最後は光になりたい」と願うようになりました。

ずっと永い間、業を見守っている光は、業の念願は叶えるべき法則でしたので、光は暖かな火と化し業を燃やしはじめ、光と業は一つの炎となりました。

業は燃料
光は火
環境は酸素
3つの関係が合致し
激しくも柔らかな炎となり
あたりを照らし出す。

業は煩悩が苦しみの元だとは解ってはいた。それでも煩悩を棄てることもできない、そんな自分が惨めすぎて、泣きながらも、ただただ光に照らされた場所をさがして歩いているうちに、おのずから光自体になりたいと願ったその刹那、煩悩は、慈悲と智慧におのずから転換し、業は今度は慈悲と智慧を燃やす炎の光として、他の人を照らして歩むようになりました。


るるの随筆「るるの脳と自我と魂」

2022-11-28 10:57:27 | 日記
■脳と自我と魂

【脳】受精した瞬間から脳は働き、オギャーと生まれ瞬間から本能は働く。誰も教えないのに吸い付くし、不快な時は泣く

【自我=業(カルマ)】3歳頃には喜怒哀楽豊かになり、自分を表現したり、性格傾向が確立してくる。前世、宿業の続きがはじまることが
自我の確立

自我とは業、カルマ、霊
人間という器を必要とし、似通った脳・遺伝子に引き寄せられて、合体し、その器に組み込まれる。
器に組み込まれる目的は体験し学び成長すること。不幸であろうと、犯罪を犯そうと、それは学びと成長となる。

だから、本来、器と自我は別物。
器が消滅したら、自我の成長はそこで停止はするが、消滅しない。
器のない成長停止した自我は

【魂】法則とその働き。心臓や血流が、眠っていても働くような働き。法則を司る働き

※器の法則→耐用年数まで生きる
※自我の法則→成長
耐用年数のある器に、自我が組み込まれることで、自我は器個人として体験し成長することが可能
器個人が消滅すれば、自我はそこで成長停止。
変化無くして時間も無し
休息であり、眠りであり、リセットである。

極楽浄土、地獄などの死後の世界というのは、自我が休息中に見る夢。
自我の記憶の中を浮遊している夢。

だから、自我は連続しているが、
器は、途絶えているので、器としての前世は無い。
永遠の生命とは、法則の働きと、成長し続ける自我である。








るるの随筆 「自分に飽き飽きしたから」

2022-11-28 09:29:31 | 日記
★幅10センチの板の上を歩むように生きる(精魂こめた真剣な歩み)
★幅1メートルの板の上を歩むように生きる(余裕を持った歩み)

中道とは、自分の進むべき板なく
進むべき道はない
その都度、その時々、その場が
そのように現れ流れる

固定された建造物
固定された山川海
固定された肉体
固定された物
そこに縛られた心

自分の器として縛られている
それを呪(しゅ)という
自分で自分として自分を縛る
自分が自分にかけた呪詛

自分のためだけに生きるのも飽きたし、貪欲に心地よいことを求め続けてきたけれど、それはとても窮屈な思いになりました
見る景色に飽きました
これはこうゆうもんだ
こうなればこう感じるもんだ
自分の感じ、自分の思いに飽きました

自分に飽きたし
今度は人を快適にすることに
楽しみを見つけたいな
喜んでくれるはずという
喜んでくれるためという
期待は、期待はずれになりがちだから、なんだろう、思いや欲は邪魔なんだよ
ただ行うこと、機械的思考のみで生きていきたい
情熱的感情は邪魔