るるの日記

なんでも書きます

もののあはれ・源氏物語「人の心の『本性』と、『気どり』の見定め」

2022-11-22 10:08:06 | 日記
■馬頭、物定めの博士になりて、ひひらきいたり。中将はこのことわり聞きはてむと、心入れてあへしらひいたまへり。

馬頭
「よろづの事によそへて思せ
木の道の匠の、よろづの物を心にまかせて作り出すも、臨時のもてあそび物の、その物と跡も定まらぬは、そばつきざればみたるも、
げにかうもしつべかりけりと、
時につけつつさまを変へて、
今めかしきに目移りて、
おかしきもあり。

大事として、まことにうるはしき人の調度の飾りとする、定まれるやうある物を、難なくし出づることなん、なほまことの物の上手はさまことに見え分かれはべる。

また絵所に上手多かれど、墨書きに選ばれて、つぎつぎにさらに劣りまさるけぢめふとしも見え分かれず。

かかれど、人の見及ばぬ蓬莱(ほうらい)の山、荒海の怒れる魚のすがた、唐国のはげしき獣の形、目に見えぬ鬼の顔など、おどろおどろしく作りたる物は、心にまかせてひときは目驚かして、実には似ざらめど、さてありぬべし。

世の常の山のたたずまひ、水の流れ、目に近き家のありさま、げにと見え、なつかしく柔いだる形などを静かに描きまぜて、すくよかならぬ山のけしき、木深く世離れて畳みなし、け近き籬(まがき)の内をば、その心しらひおきてなどをなん、
上手はいと勢ことに、わろ者は及ばぬところ多かめる

手を書きたるにも、深きことはなくて、ここかしこの、点長に走り書き、そこはかとなく気色ばめるは、うち見るにかどかどしく気色だちたれど、なほまことの筋をこまやかに書き得たるは、うはべの筆消えて見ゆれど、いまひとたびとり並べて見れば、なほ実になんよりける。

はかなき事だにかくこそはべれ。
まして人の心の、時にあたりて、
気色ばめらむ見る目の情をば、
え頼むまじく思うたまへてはべる。
そのはじめの事、すきずきしくとも申しはべらむ

とて、近くい寄れば、君も目覚ましたまふ。中将いみじく信じて、頬杖をつきて、向ひいたまへり。
法の師の、世のことわり説き聞かせむ所の心地するも、かつはおかしけれど、かかるついでは、おのおの睦言もえ忍びとどめずなんありける

★ひひらきいたり
ぺちゃくちゃしゃべる

★もてあそび物
手遊びの道具

★その物と
これはこうしたものであると

★跡も定まる
前例、型、手本となるもの

★そばつきざればみたる
そばからちょっと見た外見

★墨書き
主任格の画師
絵を作るには、主任格の画師が、下書きの線を墨で書き、彩飾等の指示を与え、下級の画師が彩飾した後で、墨で描き起こしをして、画面を引き締める

★点長に走り書き
走り書きをすると、点と点が連なり、点が長くなる

★はかなき事
当時の人は、政治、学問、宗教などに比べれば、絵や書はまわいもない技だという考え方だった

★気色ばめらむ見る目
気どってみせる

★そのはじめの事
女性を知りはじめた頃の事

★近くい寄れば
話がのってきて膝をのりだす

★法の師
僧侶

★世のことわり
世間(人生)の筋道

★所の
仏法を聴聞する所
このへんの文章によって、構成全体が、法華経の方便品、譬喩品、化城喩品になぞらえている

★睦言
寝室でかわふ男女の語らい事


■馬頭(うまのかみ)は、論議の博士となって、ぺちゃくちゃしゃべりたてていた。

馬頭
「いろんな事に比べて考えてみなさい。
木工職人がいろんな物を思い通りに作る場合、その場かぎりの遊び道具によって、これはこうと型も決まっていないものを作れば、それは、ちょっと見、しゃれていて、こんなふうに作ることができるのかと感心し、時に応じて形も変えて作るし、それらが目新しく見えて、おもしろいなぁ、と思うこともあります。

だが
大事な仕事として職人が、真に格式ある調度で一定の型のあるものを、無難に作り上げるのを見たとき、『なんといっても本当の名人は格別なもんだ』と、誰の目にも分かるものです。

また、宮中の絵所に、名人がたくさんいますが、それらの人々が墨書きの役に選ばれて次々に書いたものは、その優劣の差は、ちょっと見ただけでは分かりません。

それに、人がとうてい見ることができない、蓬莱山、荒海の恐ろしい魚の姿、唐国の猛獣の姿、目に見えない鬼の顔など、おおげさに作った絵は、想像にまかせていちだんと人目を驚かせるように描けるもので、実物には似てはいないでしょうが、それはそれでまあ、いい

しかし、世間通常の山の有様、水の流れ、見馴れている人の家の様子などの絵は、見る人が『いかにも名人だ』と言われるくらいに、人を惹き付ける作品があります
柔らかい形などを静かに描き交ぜ、遠くの山の景色は、木を深く茂らせ、俗世間を離れた感じに幾重にも重なるように描き、
近くのまがきの中は、配置の仕方まで細やかな心配りをする
このように名人の描く絵は、実に勢に優れていますが、未熟者はそこに及ばぬところが多いのです。

文字を書く場合も、深い素養はなくても、あちこちの点を長く引いた走り書きをし、なんとなく気取っているような字は、ちょっと見ると才気がきいて見えるが、本当の筆法を丹念に書き込み得ている字は、表面的には筆の勢いはないように見えますけど、もう一度取りあげて両方を並べてみると、やはり本物に良さを認めます。

ちょっとしたことでも、こんなふうなのです。
まして、人の心の、何かの時には気どってみせるような、見せかけだけの風情は、とてもあてにできないのです。
では、私が女性を知った最初の頃のことを、好色めいてはいますが、お話ししましょう

と言って馬頭は近くに膝を進める。
光源氏も居眠りから目を覚ます。
中将はたいそう信心したようで、頬杖をつき馬頭に向かい合って座っている。
まるで、偉い僧侶が仏法の道理を説く所のように思え、またそれが面白くもあり、こういった機会には、おのおのの、女との夜の語らい事も、ついに隠しきれないのであった。