■馬頭
「はやう、まだいと『げらふ』にはべりし時、あはれと思う人はべりき。
聞こえさせつるやうに容貌など
いとまほにもはべらざりしかば、
若きほどのすき心には、
この人をとまりにとも思ひとどめはべらず、よるべとは思ひながら、さうざうしくて、とかく紛れはべりしを、もの怨じをいたくしはべりしかば、心づきなく、いとかからで、
おいらかならましこばと思ひつつ、あまりいとゆるしなく疑ひはべりしもうるさくて、かく数ならぬ身を見もはなたで、などかくしも思ふらむと、心苦しきおりおりもはべりて、自然に心をさめらるるやうになんはべりし。」
★げらふ
官位身分の低い者
★まほ
十人並で優れている
★とまり
最後にとどまる所=終生の妻
★よるべ
頼り所、立ち寄る所=妻の一人
★さうざうしくて
寂寂しい
★紛れはべり
人目をごまかして、行動する
女の目をごまかして、他の女の所へ行く
★ましかば
事実に反すること
★見もはなたで
見放す
遠ざけて世話をしないようになる
愛想をつかすに、強い感情の意味の「も」が入った
■馬頭
「ずっと以前、私がまだ官位が低い頃に、愛しく思う女がいました。
先程申し上げたように、容貌などは、特に優れているというほどでもなかったので、若い頃の浮気心では、この人を本妻に決めることもせず、頼りにする妻の一人と思いながらも、ものたりなくて、あれこれとこの女の目をごまかして、遊んでおりますと、女はひどく嫉妬したので、私はそれが気にくわなくて、これほど嫉妬などせず、おおらかでいてくれたならば、と思いつつ、
一方であまりに容赦なく疑われるのが煩わしくて浮気心が冷めたり、また『こんな、数にも入らない卑しい私に、愛想もつかさずに、どうしてこんなふうに思ってくれるのか』と、妻が気の毒になる思いにもなって、自然に浮気心が冷めるような有様でした」