■南面におろして
母君もとみにえ、ものものたまはず、、、
母君
「今まで、とまりはべるが、いとうきを、かかる御使の、蓬生(よもぎふ)の、露分け入りたまふにつけても、いと恥づかしうなん」
とて、げにえたふまじく泣いたまふ
命婦
「『参りてはいとど心苦しう、
心肝も尽くるやうになん』
と典侍(ないしのすけ)奏したまひしを、もの思うたまへ知らぬ心地にも、げにこそいと忍びがたうはべりけれ」
とて、ややためらひて、仰せ言伝へきこゆ
【「しばしば夢かとのみ、たどられしを、やうやう思ひしづまるにしも、さむべき方なく、たへがたきは、いかにすべきわざにかとも、
問ひあはすべき人だになきを、
忍びて参りたまひなんや。
若宮の、いとおぼつかなく、
露けき中に過ぐしたまふも、
心苦しう思さるるを、
とく参りたまへ、、」
など、はかばかしうも、のたまはせやらず、むせかへらせたまひつつ
かつは人も心弱く見たてまつるらむと、思しつつまぬにしもあらぬ御気持色の心苦しさに、うけたまはりはてぬやうにてなん、まかではべりぬる】
とて御文奉る
★南面→正式の客を招く部屋。南向きに建てられたので、その正面は南
★母君もとみにえ、ものものたまはず→命婦もそうだが、母君もやはりものも申さず
★蓬生(よもぎふ)→蓬などの雑草の生えた庭=荒れ果てた庭
★露→露に涙の意味を含ませた
★げに→今までの母君の言葉のように
★参りては→(宮中で想像してさえそうなのに)、実際来てみるといっそう
★典侍→命婦より前に、帝の使者としてこの邸を訪問した人
★もの思うたまへ知らぬ心地→物の情を解せぬ心もち
命婦の謙遜しての自称
★げにこそ→典侍の言葉どおりに
★ためらひて→間をおいて、心を落ちつけて
★たどられしを→手探りで探し求める=思い迷う状態
★思ひしづまるにしも→思い静まってかえって
★さむべき方なく→更衣の死は夢ではなく現実で、覚めようがなく
★おぼつかなく→気がかり
★露けき中→悲しみに沈む更衣の邸
★うけたまはりはてぬやうにてなん
取り乱しながら、周囲に気がねしている帝を視るに堪えれず、仰せ言を十分うけたまわなかった
同時に、帝の悲嘆を母君に伝えきれるものではない、と断るのである
■女官の命婦を南正面に招き
母君もやはりすぐには何も言わない
、、
母君
「今まで生き残っておりますのが、まことに辛いです。このような畏れ多い使者が、荒れ果てた庭の露を分けて入られるのも、まことに恥ずかしい、、」
と言って、その言葉どおり、こらえきれす泣かれた
命婦
「『来てみると、いっそう痛わしくて、魂も消え失せるようで』と典侍が奏上しておりましたが、私のような物の情を解せぬ者にも、典侍の言葉どおりに、まことに堪えがとうございます」
と言って、命婦は少し心を落ちつかせてから、帝の仰せ言をお伝え申し上げる
【「当時は、これは夢ではないかとばかり思い悩むしかなかったが、
ようやく心が落ち着いてくると、かえって、夢ではないのだから覚めようもないことが、たまらなく辛い
この辛さをどうすべきかと、相談できる人もいない。だからあなたに忍びて参内してほしい。
あなたのことを、若宮もひどく気がかりな様子です。
悲しみに沈むところで暮らされているのが痛わしく思うから、早く参内してください、、」
などと、帝は、はきはきと全部を言うことができず、何度も涙でむせかえりになり、一方では人から気が弱いと見られるだろうと、自制されるような様子が気の毒なあまりに、私はお言葉を終わりまでうけたまわりきれぬ有様でした。同時に私が帝の悲嘆を伝えきれることはできないと思い、お断りし退出しました】
と言って、帝が伝えたい言葉を書いた、帝の手紙をさしあげた