古代日本人は死を恐れてはいなかった。死後の世界が【隣の部屋】のようなかんじであって、自由自在に行き来できたからだ。もちろん「目をつむって行く」とされていたから、精神的世界、意識の世界であると十分に理解した上である
神道という宗教があったわけでなく、【すべては神ながら(神の心のままに)】で、多種多様に神を信じていた
多種多様な信じかたを中央で統一させたが、その不足を補うとき、地獄思想を知り愕然とした。道教・儒教・仏教が、人の罪科の質と量を決め、その罪科の罰として地獄があると教える。それが日本人に死の恐怖を感じさせた
「罪業輪廻、地獄行必定」
この恐怖で【みそぎ】は無視され、諸仏に救いを求め【神仏習合】普及のきっかけとなる
神々は高天原で農耕・養蚕・織物・鍛冶・木工・土木・染色・陶工などの作業をしているとされていたが、道教の神仙界にも仏教の浄土にも生産はなく、労働がある高天原は地獄の一種とされた
古事記・日本書紀の編纂では、イザナミ命の死に神経質となり、死を「神避り坐す」「終わりましぬ」となっている
道教の黄泉を借り「よもつくに」と読ませ、その国は穢い国だと記した
イザナギ命の隠れた国はそうした表現はなく、「日のわか宮に昇りましぬ」と記している。仏教思想を受け、女人不浄の思想に影響され、イザナミを穢い国に置き去りにしないと、文明開化できないと思ったか。しかし最後は比婆山に葬ったと茶を濁してる