るるの日記

なんでも書きます

革命のない日本

2021-11-28 16:48:44 | 日記
フランス革命が起きていた頃日本はどのような時代だったかを調べました。なんと日本では革命の起きない国だというのです。そもそも革命とは何なのでしょうか?


現在は革命の意味はいろいろある
本来の革命の意味は王朝が変わることで、その意味でいえば日本に本来の革命は起きていない。約2000年天皇は代々同じ血筋で受け継がれるのだから。もしも日本が天皇廃止となれば、ヤバイことになる。天皇ロスによって命を絶つ人が多発するんじゃないかなあ。私は眞子さまが小室圭氏と結婚し日本を捨ててニューヨークへ行ったことさえも哀しい思いをしたので、天皇そのものがなくなったとしたら相当な精神的ショックだろう。だからこれからも「本来の革命」のない日本であってほしい



処刑された恐怖政治家ロベスピエール

2021-11-28 15:46:29 | 日記

ベルサイユのバラの漫画を読み終わった。実在した登場人物の1人であるロベスピエールも処刑されたという顛末を知り、なぜ処刑されたのか調べてみた。国王と国王妃を処刑においやったのは革命家ロベスピエール。彼はは貧しい庶民の味方でしたが、政治のやり方は極端すぎ、独裁者ロベスピエールによる恐怖恐怖政治が展開されたのである。しかしこれが革命家の運命なのかしら?

季節の移り変わりをより的確に掴むために設けた日→雑節・土用

2021-11-28 14:54:56 | 日記
■雑節
雑節とは二十四節気・五節句などの暦日のほかに、季節の移り変わりをより的確に掴むために設けた日

★土用
1月17日

★節分
2月3日

★彼岸
3月18日

★土用
4月17日

★八十八夜
5月2日

★入梅
6月11日

★半夏生
7月2日

★土用
7月20日

★二百十日
9月1日

★二百二十日
9月11日

★彼岸
9月20日

★土用
10月20日

■土用
立春・立夏・立秋・立冬の直前およそ18日間をいい、土の気が盛んになる。さまざまな禁忌があり、例えば土用中に土いじりをしてはいけないと伝えられている

1月17日~2月2日
4月17日~5月4日
7月20日~8月6日
10月20日~11月6日


二十四節気・今日11月28日は小雪にあたります。寒さがすすみ雪が降り始める頃です。

2021-11-28 13:47:00 | 日記
■二十四節気
節分を基準に24等分し、約15日ごとに分けた季節のこと。その区分点となる日に春夏秋冬などの名称をつけました

★小寒(しょうかん)
1月5日
寒さが一段と厳しくなる頃

★大寒(だいかん)
1月20日
1年で最も寒さが厳しい頃

★立春(りっしゅん)
2月4日
暦の上で春が始まる日

★雨水(うすい)
2月19日
降る雪が雨に変わり氷がとけだす頃

★啓蟄(けいちつ)
3月5日
土の中の虫が動き出す頃

★春分(しゅんぶん)
3月21日
春の最中、昼と夜の長さが同じになる日

★清明(せいめい)
4月5日
万物がすがすがしく明るく美しい頃

★穀雨(こくう)
4月20日
穀物の成長を助ける春の雨が降る頃

★立夏(りっか)
5月5日
暦の上では夏が始まる日

★小満(しょうまん)
5月21日
いのちが次第に満ち満ちて行く頃

★芒種(ぼうしゅ)
6月6日
稲など芒(穂)を持った植物の種を蒔く時

★夏至(げし)
6月21日
1年中で最も昼が長く夜が短い日

★小暑(しょうしょ)
7月7日
梅雨明けが近づき、暑さが本格的になる頃

★大暑(たいしょ)
7月23日
最も暑い真夏の頃

★立秋(りっしゅう)
8月7日
初めて秋の気配が表れてくる頃

★処暑(しょうしょ)
8月23日
暑さが少しやわらぐ頃

★白露(はくろ)
9月8日
大気が冷え、露を結ぶ頃

★秋分(しゅうぶん)
9月23日
秋の最中、昼と夜の長さが同じになる日

★寒露(かんろ)
10月8日
露が冷気によって、凍りそうになる頃

★霜降(そうこう)
10月23日
露が冷気によって、霜となって降り始める頃

★立冬(りっとう)
11月7日
冬の気配が感じられる頃

★小雪(しょうせつ)
11月22日
寒さがすすみ雪が降り始める頃

★大雪(たいせつ)
12月7日
いよいよ本格的に雪が降り始める頃

★冬至(とうじ)
12月22日
1年中で最も昼が短く夜が長い日

ベルサイユのバラ🌹わたくしには最後に残された仕事がある「ただ、立派に死ぬこと」1793年10月16日午後零時15分革命広場にて

2021-11-28 12:09:47 | 日記
■1793年10月15日
判決
マリーアントワネット死刑
処刑は明日、革命広場にて

マリーアントワネットは、長い苦しみが終わろうとしているその夜、義妹に最後の手紙を力強くしたためる

「愛する義妹よ、、私は今、判決を受けたところです。しかし屈辱的な死刑(死刑は犯罪者のみ屈辱的)の判決ではなくて、あなたの兄に会いにいけるのです。私の気持ちは平静です。子どもたちを置いていくことだけが心残りでなりません。そしてすべてを犠牲にして私のそばにとどまってくれたあなたを、私は何という境遇に置き去りにしていくことなのでしょう、、、
これをもって、みなさまに永遠にお別れいたします。さようなら、やさしい義妹よ、この手紙がどうかあなたに届きますように」

あぁ神よ、さようなら、さようなら

■1793年10月16日
「まだ私には残された仕事がある
それは、、ただ立派に死ぬこと
見るがいい、マリーアントワネットの死に方を
この首が落ち血がしたたろうとも、私は永遠に眼を見開き、フランスの行く末を見つめるだろう、、
しっかり見るがいい!
これがフランス王妃の死に方です
そして、、
フェルゼン、最後のその瞬間まで、のめり込むように私はあなたを愛します」

1793年10月16日
午後零時15分
処刑

■1794年までに革命広場のギロチンは、ロベスピエールらを含む2600人の血を吸った
後にフランスは英雄ナポレオン・ボナルドの出現を待つことになる

■フェルゼンは祖国スウェーデンへ帰り、生涯妻をめとらずアントワネットの面影だけを追って生きつづける。やがて愛するアントワネットを奪いとった民衆を憎悪するあまり冷たい権力者となった
1810年6月20日フェルゼンを憎むスウェーデンの民衆の手によって彼は虐殺された
運命は死をもって愛しあう2人をあの世で結びつけた、、のであろうか、、?



1755年9月4日
スウェーデンにフェルゼンが

1755年11月2日
オーストリアにマリーアントワネットが

生まれる

FIN