るるの日記

なんでも書きます

ベルサイユのバラ🌹裁判の事実・アントワネットが母子相姦を行ったという女性軽視告発

2021-11-28 11:26:57 | 日記
★エベールの告発
「ジャンヌ・バロアの本でも知られるように、この男狂いの女はタンプルの塔に閉じ込められていた間に、相手の男に不自由したあまり、年端もいかない自分の息子に襲いかかり、おそるべき母子相姦を行ったということを、ルイ・シャルル自身が告白したのであります」

★マリーアントワネット
しばらく無言、、
「これは人間のすべての母親、すべての女性に対する恥ずべき侮辱です。母たるものに加えられたこのような下劣な告発に答えることを自然が拒むのです
私はこの法廷におられる、すべての女性にうったえます」

★法廷の女性たち
「そうだ!女性全体への侮辱だ」
「エベール、引き下がれ」

ベルサイユのバラ🌹裁判の事実・愛しているはずのフェルゼンを逃亡協力者とすんなり認める

2021-11-28 11:10:25 | 日記
■1793年10月12日
大法廷にてマリー・アントワネットの最初の裁判が始まった

フランス国王未亡人
オーストリア生まれ
マリー・アントワネット・ジョゼファ・ジャンヌ・ド・ロレーヌ・オートリッシュ(38歳)
数日間にわたる最後の戦いのはじまりである

★裁判長
「被告マリーアントワネット、
あなたは、人民の汗の結晶である国費を、自分の快楽のために浪費し、お気に入りの廷臣には多額の黄金を与えました

その上、あなたのお気に入りの廷臣たちを集め遊び暮らしていたプチトリアノン宮に、膨大な金額が使われたことを認めますか?」

★マリーアントワネット
「はい。認めます。私が考えていた以上のお金がかかったと思います」

★裁判長
「首飾り事件の際に、あなたの罪をかぶって犠牲になったといわれているジャンヌ・バロアと会ったことはありますか?」

★マリーアントワネット
「私は一度も彼女に会ったことはありませんし、首飾り事件とも関係ありません」

★裁判長
「では、宝石商の手紙をあなたが焼いてしまったのはなぜです?証拠を消してしまうためではありませんか?」

★マリーアントワネット
「ちがいます!」

★裁判長
「革命が起こってからもフランスの自由をつぶすため、あなたはオーストリアをはじめ外国と連絡をとり陰謀をたくらみました。ヴァレンヌへ逃亡する際、あなたと協力して計画をすすめたのは、どこの国の誰ですか?」

★マリーアントワネット
「スウェーデン人、ハンス・アクセル・フォン・フェルゼンです」


ベルサイユのバラ🌹マリーアントワネット、女囚280号として独房へ

2021-11-28 10:38:59 | 日記
1793年8月2日
マリーアントワネットは裁判にかけられるため、コンセルジュリー牢獄へ移されることになった
女囚第280号、、それが、かつてはレーヌ・ド・フランス(フランス王妃)と呼ばれた女性の最後にたどり着いた運命であった

独房の家具は
わら布団のベッド
木のテーブルにイス
ついたて、便器
アントワネットに許された最後の家具だった

マリーアントワネットに親切にしていた憲兵や牢番の心づくしは、悲劇の王妃にひとときの安らぎを与えてくれた。しかしやがて彼らは「王妃に親切にしすぎた」ことで全員投獄された

ベルサイユのバラ🌹8歳の王子を母親マリーアントワネットから引き離し、共和思想に洗脳

2021-11-28 10:21:49 | 日記
■1793年1月21日
フランス国王ルイ16世(38)が処刑された

■7月
国民公会は王子ルイ・シャルルを母親から引き離すことを決定。8歳の幼い少年に、自分が王位継承者であることを忘れさせ、共和国の一市民として成長させるためであった

★アントワネット
「なぜこんなことまでしなければならないの?あなたたちは私から何もかも奪った。私の地位も、私の夫も、私の幸せも、何もかも奪いました。それなのにこの子まで奪おうというの?あなたたちも人の子の親でしょう?」

★国民
「そうとも、私たちにも子どもがいた。私たちが飲ませてやるミルクもなく栄養失調で死んでいくのをただ見ていることしかできなかった時、、あんたは贅沢な宮殿で高価な宝石を身につけ笑っていた」

■そして、育ち盛りの少年は母を忘れ、国王であった父を忘れ、自分の名前、フランス王太子の身分を忘れ、兵士たちに混じって革命歌を歌うようになった
「貴族のやつらを縛り首~🎶」



ベルサイユのバラ🌹「アデュウ(さらば)」ルイ・オーギュスト・カペー処刑

2021-11-28 10:02:41 | 日記
1793年1月20日
裁判中家族から引き離されていた国王は、死刑の前日ようやく愛する家族との別れを許されることになった
処刑は翌日10時から行われる

愛のない政略結婚ではあった。しかし妻と呼び夫と呼び、20数年間をともに生きた男性の深い愛情と誠実なやさしさは真実のものであった。激しい恋愛感情ではないにせよ、私はあの人を愛していたのだと、これもまた1つの愛であったのだと、長い夜にアントワネットは思いつづけていた

1月21日
「私の国民たちよ、私は罪なくして死んでゆく。しかし私を殺そうとする者たちを私は許そう。私の血が祖国フランスの幸福のいしずえにならんことを!
アデュウ、、(さらば)」

ルイ・オーギュスト・カペー(38)
王者にふさわしい立派な最期であった