郷土教育全国協議会(郷土全協)

“土着の思想と行動を!”をキャッチフレーズにした「郷土教育」の今を伝えます。

私の少年時代ー11(初恋)

2021年06月12日 | 日記

年を重ねるに従い語ることに躊躇しなくなるものの一つ、それが「初恋」ではないだろうか。

私の「初恋」は小学校5年生の時だった。
いや、正確に言うとはっきり特定の女子を意識したのが5年生の時だったということだ。

Mちゃんは、おかっぱ頭で丸顔の目がパッチリした小柄な女の子だった。
彼女とは入学以来の同級生だった。
当たり前だ、卒業まで単学級だったのだから・・・。

何故、あれを「初恋」と定義するかというと、つまり、その、子どもながらにも通常の感覚でいられなくなる状態だったからだ。
まともに顔を見られなくなったり、二人だけでの会話なんてとてもできない。
でも、そんなことを友達や親には絶対知られたくなかった。

思い起こせば、3・4年生の頃はMちゃんとは普通に話したり遊んだりしていた。
その頃から「可愛いな・・・」という思いはあったが、でも、普通に過ごせた。
だから、その頃から目をつけていたのかもしれない。

決定的な出来事が起こったのは5年生の運動会の時期だった。
フォークダンスが全盛の時代にあって、それは高学年の定番種目であった。
因に組体操はなかった。

女子と二人組で手をつなぐ・・・。
これは、とっても楽しかったが、Mちゃんの姿を見ると、もう私はダメだった。
他の子とは普通に手をつなげるのだが、パートナーチェンジして次はMちゃんだと思うと心臓が高鳴り手には汗がビッショリという状態だった。

きっと私の手が汗で濡れていたのに気づいたかもしれない・・・。
そう思って、何げに彼女の顔をチラッと見ると、全くのポーカーフェイスだった。

こんな練習が本番まで続いたが、私にとっては嬉しさより恥ずかしさが上回っていたようだ。

しかし、いつでも恥ずかしがってばかりではなかった。
それは、ライバルが現れたからである。
Mちゃんを好きなのは私ばかりではなかった。
彼らは、より積極的に彼女に話しかけたりしていた。

私は、自分の存在をアッピールしなければならない。
その場は草野球だった。
敢えて彼女の住まいの地区まで遠征して試合をした。

Mちゃんは私たちのチームの応援に来てくれた。
ここで恥ずかしがってはいられない。
いつも以上に張り切って声を出し、バットをおもいっきり振った。
彼女の笑顔が私の目に飛び込んできた。

しかし、翌日、学校へ行くとまたいつもの恥ずかしがり屋の自分に戻っていた。
どうしてなんだろう・・・。
冷静になって考えても、どうしようもなかった。

結局そのまま卒業し、同じ中学校へ入学しながらも、ついぞ同じクラスにはならなかった。

今でも、あのMちゃんの顔を忘れることができない。

 

-s.s-


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