自然観察会というグループとご一緒した。
アパートから自転車で意外と簡単には神代植物園に行くことができた。
何度か来ているが、冬は初めてだ。
季節がら、花が少ないので、木の芽の展示会などもしていた。
温室では熱帯植物で、大きな花が明日あさってには咲くだろうと、いうことだった。
枯れ葉の季節なので、園を回りながら、あっ、「葉っぱのフレディ」をさがさなければと思い立ち、「つた」はありますかと聞いた。
「そこのくぬぎの木に絡まっているよと植物園の人は教えてもらった。
確かに「つた」はあった。
くぬぎの木に枯れた「つた」の葉が1枚。
最後の一枚の葉
枯れ葉が木から落ちていく。
きれいな枯れ葉はないかなと辺りを捜していた。
ふっと一枚の葉っぱの物語のことを思い出した。
40年ほど前、確か「葉っぱのフレディ」といっただろうか。
やさしい英語のサイドリーダーを読んだ。
そのシリーズの中に、「葉っぱのフレディ」という題名のものがあった。
あれ、感動的な物語だったよなと今更のように思った。
病床の病人が、窓から木の葉を見ている。
どんどん散っていくのを見て、自分の命がもうすぐ終わりだと思った。
そして最後の1枚になるとき、自分の命は終わるのだと思った。
高齢社会になって、「私の命はもうすぐ終わりだ」と思う人が多くなった。
「自分にはもう寿命がそんなにない」と、未来を嘆く。
病気をすれば、なおさらのこと。
さて、その物語はいったい誰が書いた物語だろうと思い、捜しだした。
オー・ヘンリーの「最後一葉」の物語だった。
最後の筋書きは、病床の病人が窓から見ていた最後の一枚の蔦の葉、当然雨が降り、風が吹けば落ちてしまうものだった。
しかし、病人が窓から蔦の葉を見たとき、雨が降り、風が吹いても、蔦の葉は落ちなかった。
それもそのはず、老画家が最後の蔦の葉が散らないように壁に絵を描いていたのだ。
病人は回復に向かった。
老画家は風雨のとき、一枚の蔦の葉を描いていたことになる。
そのため急性肺炎で亡くなってしまった。
老画家はかねてより傑作を描きたかった。
老画家は結果として最後の最後に人生の傑作を残した。
絵の力
絵の力というか、近頃ではウクライナでバクシーが描いた7枚のスプレー画が強烈な印象だったなと思った。
ーY.Kー