Ⅱ 哲学堂と時代
哲学堂の建物は、とてもすてきで、その建築物は心を安らかにしてくれる。
哲学堂の庭園にはいろいろな哲学の言葉が書いてある。
その中で一番響いた言葉があった。
「理外門」の説明板に書いてあった。
「哲学を論究し尽くした上は、必ず理外の理の存在することを知るが故に、本堂の裏門に当たる現地をかく名付けている」と説明している。
「理外の理」が存在すると指摘しているので、思わずウムウムとうなずいてしまった。
哲学堂の聖人たちはもういちど、なぞってみると、つぎの通りである。
四聖(孔子、釈迦、ソクラテス、カント)、六賢(聖徳太子、菅公、荘子、朱子、龍樹大士、迦比羅仙)、三学(平田篤胤(ひらたあつたね→神道)、林羅山(はやしらざん→儒道)、釈凝然(しゃくぎょうねん→仏道))。
いかにも明治から大正の時代の思潮を反映している聖者の組み合わせだ。
聖人の選択を見るに、忠孝思想が色濃く反映されている。
円了は単行本だけでも160冊を残している。
哲学、倫理、宗教などの著作があるが、注目するのは『忠孝活論』、『勅語玄義』なども書いていることだ。
「諸学の道」、「真理の追求」などとしているが、軍国主義がはびこって行く時代とは言え、国家主義や忠孝主義の上に載ってしまっていることだ。
円了の生きた時代のなせる業といって、自分の問題として考えてみても、見過ごすことはできない。
哲学堂公園案内版(令和三年三月、中野区教育委員会)には次のように書いてある。
社会教育のための公園が目的としたのは「多様な価値観を理解し先入観・偏見にとらわれない、論理的・体系的に深く考える人間の育成でした」。
必要な思想は忠孝とか教育勅語ではないはずである。
時代が逆流して、次第に軍事力強化し、国家権力を強めていけば、戦前の道にならないか。
(つづく)
ーY.Kー