刑法犯における時効の概念は、理解できるけど納得できない、という立場で、なんら煩悶することはないのです。
常々疑問に思うことは、国家(間)の犯罪、国際法という概念はまったく新しい物なので、何を持ってそれを認定するのか、あやふやだとは思うのですが、例えば、紛争や戦争があり、降伏や休戦をもって終結し、戦争賠償金や、領土の接収などが行われたら、遺恨や軋轢は残れども、通常の犯罪が服役罰金などの刑の履行によって法律上の罪が購われるように、国家間の贖罪も行われたとする考え方がなければ、そもそも、国家の犯罪など、定義すら出来ないと思うのです。また、遺恨、軋轢や怨嗟ですらも、年月をもって、薄まり、解消する努力をしていく、そう思います。
こういう基本的な考え方を土台に、WW2、朝鮮戦争、ベトナム戦争、フォークランド紛争、中東戦争はじめ数々のイスラム圏での戦いを考えると、何を問題にして、何を問題にすべきでないかが、明瞭になり、現在のニュースメディアの鈍重で悪意のある小賢しさが分かります。
なによりも、ここから先のこと、未来を形作る現在、が、重要であって、時効制度の存在理由(論理的に否定するのは難しい)の根幹でもあります。
常々疑問に思うことは、国家(間)の犯罪、国際法という概念はまったく新しい物なので、何を持ってそれを認定するのか、あやふやだとは思うのですが、例えば、紛争や戦争があり、降伏や休戦をもって終結し、戦争賠償金や、領土の接収などが行われたら、遺恨や軋轢は残れども、通常の犯罪が服役罰金などの刑の履行によって法律上の罪が購われるように、国家間の贖罪も行われたとする考え方がなければ、そもそも、国家の犯罪など、定義すら出来ないと思うのです。また、遺恨、軋轢や怨嗟ですらも、年月をもって、薄まり、解消する努力をしていく、そう思います。
こういう基本的な考え方を土台に、WW2、朝鮮戦争、ベトナム戦争、フォークランド紛争、中東戦争はじめ数々のイスラム圏での戦いを考えると、何を問題にして、何を問題にすべきでないかが、明瞭になり、現在のニュースメディアの鈍重で悪意のある小賢しさが分かります。
なによりも、ここから先のこと、未来を形作る現在、が、重要であって、時効制度の存在理由(論理的に否定するのは難しい)の根幹でもあります。