最近古いSFや、空想漫画映画を観ていて、いろいろと現実になったこと、ならなかったこと、当時の空想を凌駕したことなどを、つらつらと考えていました。
21世紀になったら、、ということで、予見されていた最終戦争は、予想された形では起こらなかったし、エアカーはまだ実用化されていません。医療では、全ての病気の治療法が見つかったわけではないですが、再生医療、遺伝子治療の分野では、全く予見しなかったような進歩が見られます。インターネットとそれに繋がる個人端末の影響も想像以上で、一個の人格が扱うにはあまりにも多すぎる人格の群れとのふれあい、生物的能力を超えた社会性の要求に、ギシギシと軋みが生じるこの状態が、こんな早い時期に訪れるとは、殆どの予想を上回っていると思います。
そのようなギャップのなかで、概念的にもっとも実現していないモノに、バリヤーがあります。敵の武力攻撃、砲弾やミサイルや光線を阻止する障壁ですが、どのような古典SFにも必ずといってもイイほど登場し、特撮、アニメを問わず、SF的設定のある作品には必須アイテムでした。現代においても、ATフィールドや結界などなどに形を変えて登場するバリヤーについては、現実にはその概念に適う成果は乏しく、あえて云えば、ECM(電子対抗手段)、ファイアウォールが、やや近いモノであるかもしれません。
ただ、思うのは、実はもっとも必要であった空想かもしれなくて、例えば、核抑止力に代表される冷戦と呼ばれる均衡は、限度のない軍備によってしかもたらされず、専守防衛に徹する国々でも、異常ともいえる規模の軍備を持たずには居られない世の中を作り出してきました。打撃に対する抑止力が、それに拮抗する打撃であるという状態のなか、現代のイージス艦は、一隻で、WW2の機動艦隊に匹敵する戦闘能力を持っています。もし、恐らくはバリヤーという概念を実現する兵器が出来ていれば、それは、有事以外には、稼働させる必要のない障壁であるはずで、それを陵駕、無効化するような強力な一点突破型の兵器の競争をこそ新たに産むかもしれませんが、物量という打撃力の一面に大きく依存した現代の抑止力とは違ったものになっていたかもしれません。
もっともうがった見方をすれば、物量を必要とし、膨大な資金が流れ込むからこそ、現代の軍備拡大競争が奨励されてきたとも言えますので、存外、バリヤーが実現しなかったのは、資本主義経済の所為かもしれません。
21世紀になったら、、ということで、予見されていた最終戦争は、予想された形では起こらなかったし、エアカーはまだ実用化されていません。医療では、全ての病気の治療法が見つかったわけではないですが、再生医療、遺伝子治療の分野では、全く予見しなかったような進歩が見られます。インターネットとそれに繋がる個人端末の影響も想像以上で、一個の人格が扱うにはあまりにも多すぎる人格の群れとのふれあい、生物的能力を超えた社会性の要求に、ギシギシと軋みが生じるこの状態が、こんな早い時期に訪れるとは、殆どの予想を上回っていると思います。
そのようなギャップのなかで、概念的にもっとも実現していないモノに、バリヤーがあります。敵の武力攻撃、砲弾やミサイルや光線を阻止する障壁ですが、どのような古典SFにも必ずといってもイイほど登場し、特撮、アニメを問わず、SF的設定のある作品には必須アイテムでした。現代においても、ATフィールドや結界などなどに形を変えて登場するバリヤーについては、現実にはその概念に適う成果は乏しく、あえて云えば、ECM(電子対抗手段)、ファイアウォールが、やや近いモノであるかもしれません。
ただ、思うのは、実はもっとも必要であった空想かもしれなくて、例えば、核抑止力に代表される冷戦と呼ばれる均衡は、限度のない軍備によってしかもたらされず、専守防衛に徹する国々でも、異常ともいえる規模の軍備を持たずには居られない世の中を作り出してきました。打撃に対する抑止力が、それに拮抗する打撃であるという状態のなか、現代のイージス艦は、一隻で、WW2の機動艦隊に匹敵する戦闘能力を持っています。もし、恐らくはバリヤーという概念を実現する兵器が出来ていれば、それは、有事以外には、稼働させる必要のない障壁であるはずで、それを陵駕、無効化するような強力な一点突破型の兵器の競争をこそ新たに産むかもしれませんが、物量という打撃力の一面に大きく依存した現代の抑止力とは違ったものになっていたかもしれません。
もっともうがった見方をすれば、物量を必要とし、膨大な資金が流れ込むからこそ、現代の軍備拡大競争が奨励されてきたとも言えますので、存外、バリヤーが実現しなかったのは、資本主義経済の所為かもしれません。