テキスト主体

懐中電灯と双眼鏡と写真機を
テキスト主体で語ろうとする
(当然、その他についても、語ったりする)

感知外

2013-10-04 22:00:32 | シロートの戯言
あえて誤字のママの記事タイトルです。

日本の少子化、労働人口の減少、などの進行への対策として、色々な政策が検討実行されています。

その中で、一番勘違いだと思うのが移民受け入れを進めようと声高に叫ぶヒトビト。
偏狭な民族主義などではなしに、日本列島という島嶼群に住まうヒトは、なぜか内向性の気質で、バランスのとれたイデオロギーを受け入れるのに慣れていません。
絶対的存在としての神を認めない自己依存と普遍的な神々をごく当たり前に認識する諦観とを併せ持ち、刹那に弾ける激しさと、悠久に漂う従順さを、体現しています。
穏やかな四季がありながら、時に台風や地震など天災が牙をむく、その繰り返しの中で、現代でこそ、飢饉や飢餓は解消しましたが、数万年にわたって、日本人は世代を繰り返してきました。
外側から日本を見たときに、恐らくもっとも適切な形容詞の一つにwet、という言葉があります。もちろんdryの反意語としてのものです。戦後に劇的に変わった教育のなかで、その特徴はやや薄れこそしましたが、気質的な文化が醸成されたと思う、千年以上前の時点からの悠久に較べれば、まだまだその影響は僅かなものです。
そんななかで、最初に述べた諸問題に対応する策として、移民策や子育て支援は、良策ではないと考えます。移民推進は、日本人の一義的な閉鎖性の悪さを認めず、理解せずに、ただそれを解消しようというだけの愚策だと捉えます。
高齢化が促進したって、本来は懸念するような事ではない、というか、現代の社会、老政治家や老経済人が歯車を回し、高齢層が資産の大半を掌握する構造は、部族社会で年長の長老が畏敬を集めていた構造と、基本的には変わることがなく、それなら、解決の道は自ずと垣間見えてくると思うのです。
いびつな核家族化、これも問題の一つです。子育て支援は核家族化を前提とした、ある意味その推進策です。
おそらくは、無謀なほどの、視点の転換と、教育のありようによって、解決出来ると考えます。取りあえず、子どもをもっと見ましょう。子どもとふれあうことにより、子どもに必要なのは何か、それによって得られるもの、それが励起するものがどんな果実なのか、が理解できると思います。