今日、とある会話のなかで出てきた、コトバです。
スマホやタブなど、モバイル情報機器を屋外でしきりに使って、精神的に、そして、やや物理的にも、引きこもっている様子を揶揄したような意味ですが、コトバとして発せられてしまうと、妙に納得できるのです。
引きこもりって言っても身近に居ないので実態は知りませんが、ネットやテレビに依存し、コミュニケーションを厭い、自らのお気に入りとともに自己に収束している方達がその典型のように思います。
実際、滅多に乗らない電車に乗ると、多数の方が一心不乱にモバイル端末に集中している姿が見受けられます。
また、今回のコトバの元になった、とある風光明媚な風景のある都会はずれの高台においても、多くの皆さんの視線は下向きで、ディスプレイと指先を凝視していたりもするようです。
極端な例になると、映画館でも碌に銀幕を観ずに、液晶画面ばかりを見ている人や、河原でバーベキューしながら、電波の受信状態の良いところを探してうろうろしてばかりいる人など、俗に言うケータイ依存症とほぼ同義ですが、その依存症の精神的な要因のひとつが「引きこもり」と一緒なのではないかという趣旨の会話内容だったのです。
私の場合、河原なら、魚が釣れそうなトコロはないか探し回り、景色が良ければ、2台以上の双眼鏡を見較べ、あるいは何かに付け地面をほじくったり、ルーペで葉っぱの裏を見たり、かまびすしいのです。
ただ、アウトドアでも天候の情報が確認できるのはモバイル端末の便利なところだと常々感じています。
スマホやタブなど、モバイル情報機器を屋外でしきりに使って、精神的に、そして、やや物理的にも、引きこもっている様子を揶揄したような意味ですが、コトバとして発せられてしまうと、妙に納得できるのです。
引きこもりって言っても身近に居ないので実態は知りませんが、ネットやテレビに依存し、コミュニケーションを厭い、自らのお気に入りとともに自己に収束している方達がその典型のように思います。
実際、滅多に乗らない電車に乗ると、多数の方が一心不乱にモバイル端末に集中している姿が見受けられます。
また、今回のコトバの元になった、とある風光明媚な風景のある都会はずれの高台においても、多くの皆さんの視線は下向きで、ディスプレイと指先を凝視していたりもするようです。
極端な例になると、映画館でも碌に銀幕を観ずに、液晶画面ばかりを見ている人や、河原でバーベキューしながら、電波の受信状態の良いところを探してうろうろしてばかりいる人など、俗に言うケータイ依存症とほぼ同義ですが、その依存症の精神的な要因のひとつが「引きこもり」と一緒なのではないかという趣旨の会話内容だったのです。
私の場合、河原なら、魚が釣れそうなトコロはないか探し回り、景色が良ければ、2台以上の双眼鏡を見較べ、あるいは何かに付け地面をほじくったり、ルーペで葉っぱの裏を見たり、かまびすしいのです。
ただ、アウトドアでも天候の情報が確認できるのはモバイル端末の便利なところだと常々感じています。