テキスト主体

懐中電灯と双眼鏡と写真機を
テキスト主体で語ろうとする
(当然、その他についても、語ったりする)

都会の鳥

2013-06-15 23:40:26 | 写真機 画像
10年以上前ですが、以前に住んでいた近くの川での鴨たちの様子です。

毎年、秋深くに姿を見せ、春深まる頃、去っていく様子をよく見ていました。
最盛期には、3種以上の鴨と、大きな3つの群れが、渡ってくる、都会のハズレのとっておきスポットでした。

チドリ類、サギなども豊富な河畔でしたが、やがて上流に新しい橋が出来ると同時に、個体数が少なくなり、滅多に行かなくなりました。

もっと昔、今では都会の貴重なスポットと知られる港の野鳥園ですが、その野鳥園や、その他の施設が出来る前、そこはずっと凄い野鳥の楽園でした。コアジサシのコロニーは両手に余り、草ボウボウの湿地は、豊富なエサの供給源となって、森林で見掛けるような野鳥も、競ってカエルなどを採りに来ていました。
ろくに港湾施設もないまま、整備された片側4車線道路には通る車も滅多になく、私がバイクで通りかかると、道路一面に羽を休めていた数百羽以上が一斉に飛び立ち、驚かされたことが幾度となくありましたし、家のベランダには、体長80センチ近い巨大なウが居たりして、ワッサワッサと飛んでいくのは、迫力がありました。
今のせせこましい野鳥園とは違い、広大な埋め立て地のほとんどが彼らの縄張りであったもだろうと思います。

ひつまぶし

2013-06-14 22:51:36 | 脱線して底抜け
昔、この時期になると、名古屋西部のとある企業(と工場)によく訪れていたのですが、その際に初めて食して、一気にファンになったのが”ひつまぶし”。
関西地方ではひつまぶし(まむし)というと俗にうなぎまぶしという、ご飯の上にうなぎの蒲焼きを載せるだけでなく、ご飯の間にもうなぎをはさんだどんぶりのおひつバージョンですが、中部地方のひつまぶしは、そのおひつに加え、空のお茶碗、大量の薬味と山葵、鰹風味の熱い出汁の入った急須、お吸い物がセットになってきます。
”ひつまぶし”というのは「あつた蓬莱軒」の登録商標らしいのですが、まずおひつから1/4をそのままお茶碗によそって食べ、つぎに薬味と山葵で食べ、さらに、出汁をかけてお茶漬けで食べ、最後に一番気に入った食べ方で食べる、というのが常道らしいのです。私は1/3ずつ、最後にお茶漬けを食べるのが好みです。

鯛茶漬け、鰹のたたき茶漬け、しめ鯖茶漬けなどは食べたことがありましたが、このように、濃い味のついた焼き魚(?)を出汁茶漬けで食べるというのは、あまり経験が無く、その後、鮭の西京焼き、秋刀魚の蒲焼き、鯵の南蛮漬けなどでも試して、まぁまぁの結果を得ています。
なにより、うなぎやさんの場合、最低でも30分以上待たされるので、空腹と香りという調味料が加わり、余計に美味しく感じる部分もあるでしょう。
そういえば、食用のうなぎに欠かせない、シラスウナギの漁獲が壊滅的に減り、もしかしたら遠くない将来にはひつまぶしも食べられなくなるかもしれません。
小学生の頃、行動範囲のぎりぎりにあった、とある河口で、シラスウナギの個人漁をしていたじいさんが居まして、たまにノレソレっぽく生で喰わせて貰ったことがあるのですが、今なら、貴金属を食べているのと対して差異はない、ってことでしょうか。

後部ナンバープレートの取り付け部分

2013-06-13 23:27:33 | 日記
毎日、交通量の多い道で、クルマを運転していて、ぼんやりとウォッチングしているのが、クルマのデザイン。
昨今の乗用車は、ほとんどがモノコックボディー、しかも、昔の金属バンパーのような、緩衝機構が無く、薄い鋼板で作られているので、ボディー外装の全域にわたって複雑な曲面で構成され、平面部分がほとんどありません。
唯一平面なのが標題のナンバープレート部分で、ここのデザインは規格(サイズ)の関係から、共通なようでいて、結構アプローチが違います。日本は北米等と同じ縦横比1:2ですが、EU、ロシア等は1:5、また日本では大中小と3つのサイズがあり、それぞれ、供給先に応じて、コストとの兼ね合いで、その部分のデザインが決まります。
要は、軽自動車は、同一ボディー異エンジンの姉妹車が輸出されている一部の車種(ジムニーN-boxなど)以外はプレートサイズと同じものが多く、乗用車は1:5地域への供給状況に応じ、縦横とも余裕のあるサイズ、特定のモデルのクラウンなど、国内専用車はプレートと同サイズ、欧州車やトヨタのオーリスなどのEU規格のプレートに合わせてあるため、日本のプレートでははみ出るもの、一部のメルセデスの様に、鋼板の加工は大きめにして、樹脂のディッシュプレートでサイズを合わせたもの、などなどです。
ウエッジシェイプ(ヒップアップ)デザインが主流になる前の、平べったいトランクの時代は、一部の輸入車で、日本のプレートでは、はみ出して取り付けることも出来ず、斜めにしてテールに押し込んでいたようないびつなものもありましたが、最近では、デザインとコストを妥協させてまとめてあるものが多いようです。
プレートの変わり種と云えば有名なカナダのノースウエスト準州のシロクマ型プレートです。

どこか気骨のあるメーカーさんが、このカタチにぴったり合うようなプレート取り付け部分のあるボディー(当然限定販売)を出してくれたら、諸手で拍手なのですが。

最新型のエアコン

2013-06-12 23:40:38 | 電器屋さんなどで売ってるモノ
おそらく、いまの日本の家庭用エアコンは、数十年前、家庭用の冷房クーラーとして登場した機器からは、想像もつかないくらいの進歩を遂げています。
フロンなどの気化熱を利用して温度をコントロールしている基本構造は変わりませんが、インバーターと各種センサー、コントロールルーチンの制御が、例え10年前の製品と比べても、格の違う性能になっているようです。
ただ、30年以上のクーラー、エアコンの普及の道程のなかで、それを設置する住居側の都合というか、構造で、旧態依然としたカタチのままではありますが、自動クリーニングや、各種センサーなど、一見小手先の技術に見えますが、その積み重ねが、総合的な性能を大いに高めています。
対する住居側は、今でこそ、エアコン用のダクト穴とコンセントが、気流の関係から部屋の入り口出口と対角線上の天井付近に備えられているという基本構造が確立していますが、一部のホテルや船室、オフィスなどと同様に、調度を含めた空間と気流を考慮しているわけではないので、その性能を最大限に発揮しているのではないはずなんですが、それでも進化した性能は、快適な空間を作り出せるようです。
もっとも、製品寿命が10年でかつそれを超えて使用すると不具合がでたりするよなんてわざわざ本体に明示してあるあたり、

20年以上平気で稼働した在りし日のクーラーなどとは、設計思想のベクトルが違ってきているのかもしれません。

クレルボ交響曲

2013-06-11 23:02:25 | 脱線して底抜け
フィンランドの作曲家、シベリウスの初期の交響曲です。
シベリウス自身は、まだ若い頃でもあるし、未完なところも見えていたのか、「独唱者と合唱、管弦楽のための交響詩」として譜面に記していたようですが、その内容、構成などから充分に合唱交響曲として認められている作品です。
このCDのライナーノーツに従い、”クレルボ”としましたが、現在では原語の発音にちかい、クッレルヴォ、クレルヴォと呼ばれることが多いようです。




フィンランドの国民的叙事詩、カレワラ(牧場の少女カトリなどで紹介されていました)のエピソード、剛力無双のクレルボについて唄われています。
不幸な境遇に生まれ育ち、剛力ばかりが空回りするクレルボが父に代わって務めを果たし、橇にのって旅する途中、3人の乙女に声をかけ、ことごとくふられてしまう。ところが3人目を無理矢理橇に乗せ、金銀を見せびらかして、籠絡し、思いを遂げた。ところがその乙女は、母とともに生き別れた妹で、彼女は身を投げて自殺してしまう。その後、クレルボは、父や自分の家系の簒奪者へ復讐を遂げるが、その部分は歌われず行進曲調の楽曲のみで表現される。怨敵を討ち果たしたクレルボは、妹が自害した水のほとりで胸を突いて自殺する。といった内容です。
音楽を言葉で表現するほど、難しいことはないので、この曲については興味のある方はCDなどを手にとって頂くとして、フィンランドについて少し触れたいと思います。
ご存じの方もおられると思いますが、北はラップランドから広がり、自国語では、国全体を指してスオミ、と言います。ジャパンと日本のような感じです。
カレワラはもともとは口伝の昔話で、19世紀に一人の医師によって、現在の形にまとめられました。柳田国男のとその著作のような感じです。ただ、その口伝説話の伝承されていた中心であるカレリア地方はほとんど旧ソ連に奪取されています。

ケケ・ロズベルグを嚆矢とするF1ドライバー、バタネン、マキネンなどのラリードラバーそしてノキアや高い教育水準でも知られていますが、私には、ラップランド地方、およびカレリア地方がスオミらしさであり、トゥオネラの白鳥などシベリウスの曲がそのイメージです。

お肌とLED照明

2013-06-10 22:56:39 | 懐中電灯
スマホに限らず、ガラケーでもカメラ機能のついた携帯電話には、ストロボ代わりのLEDライトがついてます。
iPhone5も4Sからカメラ機能が強化され、結構明るいLEDを採用していて、懐中電灯モードにすると、ちょっと前の高輝度砲弾型LED並の明るさで、広範囲を照らします。
ただ、光色は、懐中電灯趣味の世界で鼻水色と呼ばれる、高輝度のLEDによくありがちな色で、色再現性はよくありません。

上は、手元にあったWOWOWプログラムガイドの表紙ですが、左がiPhon5、右がSunDropXR-Uです。
LEDライトのなかでもトップクラスの色再現性を誇る機種と比べるのも大人げないのですが、印刷物などでは分かりづらい比較も、肌で比べれば、一目瞭然です。

ホワイトバランスを曇天相当で撮ったので、より差異が出てますが、赤みを再現した(白人のような肌)SunDropXR-Uとの色再現性の違いがよく分かると思います。
少なくとも、iPhoneの光では、歯茎の充血など、粘膜の状態を医学的に判別するのは難しそうです。
また、懐中電灯を使った、応用(医療分野というか、知己の看護師さんに教えて、感謝された)に、もっと高照度のLEDライトを直接肌に押し当てて、見えない静脈を照らす、というのがあります。

写真に撮ると非常に分かりづらいですが、左端に一本、真ん中あたりに二本、太めの静脈が明瞭に見え、細い静脈もいくつか照らし出されています。
波長分布にムラのないフィラメント電球や、それなりにこなれて、ある程度の色再現性を持つ製品が多い蛍光灯などと違い、LEDは(特に高輝度を狙いすぎた製品で)色再現性に乏しいものがまだまだ多く、照明として使う場合は、よく吟味する必要があります。
おすすめは日亜、オスラム、フィリップスのLEDを使ったそれなりの価格の製品です。

コメント欄についておねがい

2013-06-09 23:20:44 | 日記
昨日より、幾つかのマルチ投稿らしきものが当ブログのコメントに書き込まれました。
(該当記事と関係のない投稿、かつ、Web上でマルチが確認できるものです)
ご意見、罵倒、主義主張、なんでもコメント欄に書き込んでいただくのは構いませんが、
マルチ、に関しては厳正に対処いたします。

一旦、見えないようにしていますが、不都合がございましたら、ご連絡下さい、
アドレスは、Gooブログのドメインの後のID(XXXjp/のあとの6文字)、あっとまーく、mail.goo.ne.jp です。ご要望を充分考慮して、対処させていただきます。

トカゲ

2013-06-08 23:41:22 | 日記
今日、出先で駐車場にクルマを停め、ふと見るとトカゲが留まっていました。




しばらくじっと見ていましたが、まったく動く様子がありません。
普段はすいてる駐車場なのですが、今日は混んでいて、ほかの人もいたので、自分のクルマから、ズームアップして撮りました。ニホントカゲの様ですが、尻尾が長め、そして指がかなり短めです。首のくびれがほぼないので、ヤモリでもなさそうです。
直射日光がきついので、陰から出ようとしていない様子でした。
よく見ると、背中に2本の筋状の模様があり、カナヘビかなとも思ったのですが、それにしては、尾も短めでなにより指が短すぎます。
で、駐車場をあとにして、7時間後戻ったのですが、まだいます。



見た感じで、まったく朝と変化がありません。途中、この駐車場に車を停めようとした知り合いから、満車で他に廻った、と聞いていましたので、結構クルマと人の出入りが激しかった筈ですが、意に介さず、しかもまったく同じ姿勢のままです。
人間の場合、同じ姿勢でいるというのは、筋肉の緊張と循環系の負担を伴う行為なのですが、さすが変温動物、同じ姿勢でほぼエネルギーを消費せず、じっと佇んでいたようです。
ゴルゴ13の逸話で、ある狙撃のために、まったく同じ姿勢で長時間じっとしていなければならないような状況にあたって、デューク東郷は、専門のトレーナーによる訓練とドーピング薬剤を用いてそれを実行し、それでもその後、変調をきたした肉体のために窮地に陥ったというようなものがありましたが、かのトカゲ氏はなら、じっとしていることに関しては、デューク東郷より優れていそうです。

エスプレッソーダ

2013-06-07 23:34:36 | 日記
昨夏販売され、微妙な評価とともに、投げ売りされ、消えていった(?)商品。
個人的には、美味しいとは思わないものの、よく購入して飲んでたのです。
以前、口にした事のある、マンハッタンスペシャルのエスプレッソコーヒーソーダと比べると、甘みは抑えてあるもののコーヒーのコクには劣るという感じで、のどごしを重視したような味でした。まあ、この製品自体には、さほど思い入れはないのですが、コーヒー+炭酸という組み合わせには、興味がわいていたのです。

今日、ドライアイスを沢山入手し、まぁ、子供のころ、遊んだように、水の中に入れて、ブクブクとさせていて、ふと、コーヒー+炭酸への微かな郷愁を思い出しました。
で、早速、充分なコクのあるコーヒーをたて、陶器やガラスのカップでは割れるかもしれないので、ステンマグにいれ、ドライアイスをいくつか放り込んでみました。
子供のころは、ドライアイスを入れた水に果汁を入れたりして、簡易に炭酸飲料を作って飲んだりしたので、同様のことを試みたわけです。





消えない泡がボコボコと発生し、コクのあるコーヒーが無くなるまであふれ続け、妖怪人間でも出現するかと危惧しました。
甘くなくてコクのある炭酸珈琲への野望は潰えました。

キリンラーメン

2013-06-06 23:02:01 | 日記
中部地方の知人曰く、小笠原製粉のキリンラーメンを知らない名古屋民はいない、ということなので、以前、スーパーの店頭に並んでいたのを買ってあったのですが、数ヶ月の熟成期間を経て、食してみました(大げさ)。



国産原料使用の文字が誇らしく、まだ家庭用即席ラーメンがさほど出回る前の時代の名残りのような「家庭用ラーメン」の謳い文句。
聞くところにはカピバララーメン
ペンギンラーメンもあるらしく、キリンの3種の味(しょうゆ、みそ、しお)と合わせ、5人の戦隊ヒーローのような扱いらしい(ホントか)。
味はあっさりしています。他の即席麺の味噌味と比べると、濃い味が好きな人には、”味噌風味”レベルかもしれません。定番っぽいサッポロ一番にくらべてもごくあっさりした味付けで、他のこってりした味の製品の場合、粉末スープが小袋の内側にこびりついたりするものですが、この製品はさらっと綺麗に出てきます。ただ、味噌味の粉末スープによく見られるように、溶けはよくなく、具たくさんでつくる場合など、よくかき混ぜないと、ダマが残りそうです。麺のコシはフツーです。米粉や豆乳の所為でしょうか、まろやかな感じで付け合わせに入れた根と芽を取ったもやしと食感がよく合います。
国産原料、無添加、化学調味料なし、の製品でありますが、商品企画としては、昔ながらのままで、この味に馴染んだ人に安心して食べて貰おう、という姿勢がうかがえます。
マルちゃん生麺、やラ王などと比べると、物足りないかもしれませんが、他の製品に惹かれて一旦離れてしまっても、戻ってきやすい、そんな感じです。

バリヤー

2013-06-05 23:13:42 | シロートの戯言
最近古いSFや、空想漫画映画を観ていて、いろいろと現実になったこと、ならなかったこと、当時の空想を凌駕したことなどを、つらつらと考えていました。
21世紀になったら、、ということで、予見されていた最終戦争は、予想された形では起こらなかったし、エアカーはまだ実用化されていません。医療では、全ての病気の治療法が見つかったわけではないですが、再生医療、遺伝子治療の分野では、全く予見しなかったような進歩が見られます。インターネットとそれに繋がる個人端末の影響も想像以上で、一個の人格が扱うにはあまりにも多すぎる人格の群れとのふれあい、生物的能力を超えた社会性の要求に、ギシギシと軋みが生じるこの状態が、こんな早い時期に訪れるとは、殆どの予想を上回っていると思います。
そのようなギャップのなかで、概念的にもっとも実現していないモノに、バリヤーがあります。敵の武力攻撃、砲弾やミサイルや光線を阻止する障壁ですが、どのような古典SFにも必ずといってもイイほど登場し、特撮、アニメを問わず、SF的設定のある作品には必須アイテムでした。現代においても、ATフィールドや結界などなどに形を変えて登場するバリヤーについては、現実にはその概念に適う成果は乏しく、あえて云えば、ECM(電子対抗手段)、ファイアウォールが、やや近いモノであるかもしれません。
ただ、思うのは、実はもっとも必要であった空想かもしれなくて、例えば、核抑止力に代表される冷戦と呼ばれる均衡は、限度のない軍備によってしかもたらされず、専守防衛に徹する国々でも、異常ともいえる規模の軍備を持たずには居られない世の中を作り出してきました。打撃に対する抑止力が、それに拮抗する打撃であるという状態のなか、現代のイージス艦は、一隻で、WW2の機動艦隊に匹敵する戦闘能力を持っています。もし、恐らくはバリヤーという概念を実現する兵器が出来ていれば、それは、有事以外には、稼働させる必要のない障壁であるはずで、それを陵駕、無効化するような強力な一点突破型の兵器の競争をこそ新たに産むかもしれませんが、物量という打撃力の一面に大きく依存した現代の抑止力とは違ったものになっていたかもしれません。
もっともうがった見方をすれば、物量を必要とし、膨大な資金が流れ込むからこそ、現代の軍備拡大競争が奨励されてきたとも言えますので、存外、バリヤーが実現しなかったのは、資本主義経済の所為かもしれません。

30℃

2013-06-04 23:09:44 | 日記
今年も、暑く感じる、気温30℃を超える日々が始まりました。
暑い季節は好きだけれども苦手で、大汗をかくので、困りものでもあります。
冬の寒い時期は着る物の工夫や、身体を動かすことで調整できますが、暑さには、薄着にも限度がありますし、吸湿発汗を妨げない衣類、発汗に見合う十分な水分補給、蒸散気化熱を促進する風通し、などの消極的対策しかないのが、その事由です。
クルマの場合でしたらエアコン、屋内なら空調、とそれぞれ抜本的対策ではあるのですが、屋外での行動には、上記の気休め対策しか無く、暑さを疎う気分は変わりません。
今後、梅雨を経て、35℃以上の時節がくると思うと、さらに滅入ってきますし、どうも刺す虫に好かれやすい体質なので、懸念は増すばかりなのです。身につけるタイプの虫除けや、スプレーなどもいつもの鞄に準備することになります。

郭公(カッコウ)

2013-06-03 22:27:18 | 日記

よく通る、もの悲しいような声で、カッコー  カッコーとさえずる鳥です。
その声が、主な住処である森林で、空間を感じさせるくらい、よく響くことから、閑古鳥という俗称でその鳴き声のうら寂しさを表したりもするようです。
いろんな国で、その鳴き声から名称がつけられており英語独語のCuckoo、フランス語のCoucou、オランダ語のkoekoek、イタリア語のcuculo、スペイン語のcuco、ロシア語のкукушка、中国語では布穀鳥(ふふどり)と云うそうです。
他の種の鳥の巣に卵を押しつけ、元の巣の卵より先に孵化して、他の雛や卵を押しのけ、エサを独り占めにする”托卵”の習性が知られており、言葉のさりげなさとは違う、極悪非道な繁殖方法を企んでいる悪賢いヤツです。
いままであまり近所で声を聞くことがなかったのですが、先日、よく通るカッコウの声が聞こえてきて、少し感銘したのです。



信号のない交差点事故

2013-06-02 23:56:35 | シロートの戯言
今日、よく通る、信号がなく一時停止もない交差点で、事故車が裏返っているのを見ました。
以前から、3~4度くらい事故を見掛けたことのある、危ない交差点で、高架道路の側道と、直交する片側一車線道路の交差点です。
お互いの道路から、直交する道路の様子が見えず、普通なら、自主的に一時停止して、直交する道路の様子を確認するのが常識だと思うのですが、よく、速度を上げたまま通過するクルマがいて、危ないなぁと感じていたところです。
ひっくり返っていたのは、1500CCクラスの角張った2BOX車で、左のドアから車体が大きくへこんでいて直交するどちらの道路に対しても120°以上アタマを反対向きにしていたので、どちらの道路を走っていたのかは分かりませんが、優先道路側に居たとしても、カーブミラーも見ずに走り抜けようとしていたのは間違いないところです。見えない道路の状況よりも自車が優先するような運転をしていたことに尽きるとは思うのですが、少し、お気の毒です。
もっとも、見える道路、障害物のない直交する交差点でも、自車の進行速度と、直交する道路を走るクルマの進行速度が、視角が変化しないようにシンクロしてしまうと、見えていても気づかないということもあるようです。5年ほど前になりますが、前を走っていたクルマが50mほど先の交差点に差し掛かろうとするとき、直交する道のクルマに全く気づかない様子でそのまま突っ込み、お互いに交差点の中で、ノーズをぶつけ、はじかれて、一台はメンコが裏返るように田んぼの中へ、もう一台はビー玉がはじかれるように、畦の盛り土へ斜めに飛ばされていきました。両方とも目立つ色のクルマだったのですが、なぜ気づかなかったのかというと、ひっくり返った方の運転手の話を聞くと、単なる不注意というよりは、交差点からの距離と進入速度がシンクロして、視界内で互いの位置が変化せず、見落とした、という可能性が高いように思いました。もちろんどちらかが例え見通しの良い交差点でも、速度を落とすか、あるいは視線を動かして確認していれば防げた事故かもしれません。

時効

2013-06-01 23:44:10 | シロートの戯言
刑法犯における時効の概念は、理解できるけど納得できない、という立場で、なんら煩悶することはないのです。
常々疑問に思うことは、国家(間)の犯罪、国際法という概念はまったく新しい物なので、何を持ってそれを認定するのか、あやふやだとは思うのですが、例えば、紛争や戦争があり、降伏や休戦をもって終結し、戦争賠償金や、領土の接収などが行われたら、遺恨や軋轢は残れども、通常の犯罪が服役罰金などの刑の履行によって法律上の罪が購われるように、国家間の贖罪も行われたとする考え方がなければ、そもそも、国家の犯罪など、定義すら出来ないと思うのです。また、遺恨、軋轢や怨嗟ですらも、年月をもって、薄まり、解消する努力をしていく、そう思います。
こういう基本的な考え方を土台に、WW2、朝鮮戦争、ベトナム戦争、フォークランド紛争、中東戦争はじめ数々のイスラム圏での戦いを考えると、何を問題にして、何を問題にすべきでないかが、明瞭になり、現在のニュースメディアの鈍重で悪意のある小賢しさが分かります。
なによりも、ここから先のこと、未来を形作る現在、が、重要であって、時効制度の存在理由(論理的に否定するのは難しい)の根幹でもあります。