10年以上前ですが、以前に住んでいた近くの川での鴨たちの様子です。
毎年、秋深くに姿を見せ、春深まる頃、去っていく様子をよく見ていました。
最盛期には、3種以上の鴨と、大きな3つの群れが、渡ってくる、都会のハズレのとっておきスポットでした。
チドリ類、サギなども豊富な河畔でしたが、やがて上流に新しい橋が出来ると同時に、個体数が少なくなり、滅多に行かなくなりました。
もっと昔、今では都会の貴重なスポットと知られる港の野鳥園ですが、その野鳥園や、その他の施設が出来る前、そこはずっと凄い野鳥の楽園でした。コアジサシのコロニーは両手に余り、草ボウボウの湿地は、豊富なエサの供給源となって、森林で見掛けるような野鳥も、競ってカエルなどを採りに来ていました。
ろくに港湾施設もないまま、整備された片側4車線道路には通る車も滅多になく、私がバイクで通りかかると、道路一面に羽を休めていた数百羽以上が一斉に飛び立ち、驚かされたことが幾度となくありましたし、家のベランダには、体長80センチ近い巨大なウが居たりして、ワッサワッサと飛んでいくのは、迫力がありました。
今のせせこましい野鳥園とは違い、広大な埋め立て地のほとんどが彼らの縄張りであったもだろうと思います。
毎年、秋深くに姿を見せ、春深まる頃、去っていく様子をよく見ていました。
最盛期には、3種以上の鴨と、大きな3つの群れが、渡ってくる、都会のハズレのとっておきスポットでした。
チドリ類、サギなども豊富な河畔でしたが、やがて上流に新しい橋が出来ると同時に、個体数が少なくなり、滅多に行かなくなりました。
もっと昔、今では都会の貴重なスポットと知られる港の野鳥園ですが、その野鳥園や、その他の施設が出来る前、そこはずっと凄い野鳥の楽園でした。コアジサシのコロニーは両手に余り、草ボウボウの湿地は、豊富なエサの供給源となって、森林で見掛けるような野鳥も、競ってカエルなどを採りに来ていました。
ろくに港湾施設もないまま、整備された片側4車線道路には通る車も滅多になく、私がバイクで通りかかると、道路一面に羽を休めていた数百羽以上が一斉に飛び立ち、驚かされたことが幾度となくありましたし、家のベランダには、体長80センチ近い巨大なウが居たりして、ワッサワッサと飛んでいくのは、迫力がありました。
今のせせこましい野鳥園とは違い、広大な埋め立て地のほとんどが彼らの縄張りであったもだろうと思います。