九九里の半ば
2003/03/06
春3月なんとなく気分も軽やかになる時期です。冬の間は寒くてどうしても家の中にじっと我慢の中年も何故か体がむずむず(股間でないのが???)としてくるのです。テレビで山陰の昔通った丹後地方が放映されたのを見て、巡り残した西国薬師霊場結願達成にと旅立ちを決意しました。「人は何故山に登るのか」そんな言葉がありました。「貴方は何故お寺を巡るのか?」そんな難しい事は「私の足に聞いてくれ」と、返事が出来ない自分の無知を棚上げにしたいです。判らないままでも生きていかなければならない、生かされている私の人生です。札所巡りが出来る健康を実感する、感謝するそして巡る巡るです。折角巡るのならと今回は西国33観音霊場も近いので昔会社員の中年は効果と効率を重視して同時にお参りを目論見ました。2泊3日の巡礼旅です。初日は京都近辺を中心にお参りしました。近江の三井寺、大原三千院、醍醐寺等々観光でも有名な寺院がほとんどでした。しかし中年は観光地などで有名な寺院は苦手なのです。拝観は時間厳守で早くても遅くても受け付けてもらえません。そして駐車料金、拝観料等々年金暮らしの懐には打撃がキツイ。非常に世俗的な理由から苦手なのです。何かしら「地獄の沙汰も金次第」を突きつけられるようなのです。大きな文化財を維持保存するには多大な費用が要るとは、判っていても中年はやせ細る自らの懐に寂しさを隠せないのです。2日目は山陰の日本海沿岸の札所をお参りです。応挙寺の円山応挙が描かれた襖絵の八方睨みという画法には驚きの一語です。札所巡りの喜びのひとつは、このような、思いがけない所での思いがけない宝物への遭遇です。結局こちらでは肝心のお薬師さんにお手を合わすのを忘れてしまった、罰当たりな中年でした。3日目は福知山を出発し瀬戸内海方面へ南下しながらお参りするルートです。 兵庫県氷上郡にある達身寺では多くの木彫仏像群(完成、作成途中、部品)に驚かされました。戦火を避けるために土の中に埋もれていた仏様、中には朽ち果て虫に蝕まれた仏様。果てしない時の流れがそんなお姿の仏像群から強く伝わって来ました。今回のお参りで薬師霊場は結願と思いお参りを続けて来たのです。が、最後のお寺さんで「あと少しですね。」の一言で「??全部のはず??」の疑念がむくむくとわき上がって来ました。帰宅後ご朱印を見ますれば、お参りは全て済ませていますし、ご朱印帳は全て揃っているのです。が、軸の方は後3カ寺、それも始まりの1番札所(奈良薬師寺)、最後の49番(延暦寺)が残されていたのです。「百里の道を行く者は、九九里を以って半ばとする」と言う言葉がありありますが、我が巡礼の旅も、今まさに半ばです。残る3カ寺そしてその後の四国札所巡り等これからもまだまだ私、中年の暴走巡礼の旅は続くようです。
2003/03/06
春3月なんとなく気分も軽やかになる時期です。冬の間は寒くてどうしても家の中にじっと我慢の中年も何故か体がむずむず(股間でないのが???)としてくるのです。テレビで山陰の昔通った丹後地方が放映されたのを見て、巡り残した西国薬師霊場結願達成にと旅立ちを決意しました。「人は何故山に登るのか」そんな言葉がありました。「貴方は何故お寺を巡るのか?」そんな難しい事は「私の足に聞いてくれ」と、返事が出来ない自分の無知を棚上げにしたいです。判らないままでも生きていかなければならない、生かされている私の人生です。札所巡りが出来る健康を実感する、感謝するそして巡る巡るです。折角巡るのならと今回は西国33観音霊場も近いので昔会社員の中年は効果と効率を重視して同時にお参りを目論見ました。2泊3日の巡礼旅です。初日は京都近辺を中心にお参りしました。近江の三井寺、大原三千院、醍醐寺等々観光でも有名な寺院がほとんどでした。しかし中年は観光地などで有名な寺院は苦手なのです。拝観は時間厳守で早くても遅くても受け付けてもらえません。そして駐車料金、拝観料等々年金暮らしの懐には打撃がキツイ。非常に世俗的な理由から苦手なのです。何かしら「地獄の沙汰も金次第」を突きつけられるようなのです。大きな文化財を維持保存するには多大な費用が要るとは、判っていても中年はやせ細る自らの懐に寂しさを隠せないのです。2日目は山陰の日本海沿岸の札所をお参りです。応挙寺の円山応挙が描かれた襖絵の八方睨みという画法には驚きの一語です。札所巡りの喜びのひとつは、このような、思いがけない所での思いがけない宝物への遭遇です。結局こちらでは肝心のお薬師さんにお手を合わすのを忘れてしまった、罰当たりな中年でした。3日目は福知山を出発し瀬戸内海方面へ南下しながらお参りするルートです。 兵庫県氷上郡にある達身寺では多くの木彫仏像群(完成、作成途中、部品)に驚かされました。戦火を避けるために土の中に埋もれていた仏様、中には朽ち果て虫に蝕まれた仏様。果てしない時の流れがそんなお姿の仏像群から強く伝わって来ました。今回のお参りで薬師霊場は結願と思いお参りを続けて来たのです。が、最後のお寺さんで「あと少しですね。」の一言で「??全部のはず??」の疑念がむくむくとわき上がって来ました。帰宅後ご朱印を見ますれば、お参りは全て済ませていますし、ご朱印帳は全て揃っているのです。が、軸の方は後3カ寺、それも始まりの1番札所(奈良薬師寺)、最後の49番(延暦寺)が残されていたのです。「百里の道を行く者は、九九里を以って半ばとする」と言う言葉がありありますが、我が巡礼の旅も、今まさに半ばです。残る3カ寺そしてその後の四国札所巡り等これからもまだまだ私、中年の暴走巡礼の旅は続くようです。
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