生ぬるいと思うのは俺だけか
自分自身、「生ぬるい」と思うようになった。
平和ボケかも知れない。
同じ地球上で戦争が起きている。
他人事として見ているだろう。
戦争に加担してはいけない。
戦争はしないと全世界に約束したのだから。
一部の腑抜けの政治家、企業化等に騙されてはいけない。
俺たちはつぎのような声を大事にしたい。(朝日新聞 声)
無職 常松清二(千葉県 73)
「今や資本主義か社会主義かではない。これからの主たる課題は戦争か平和かである。平和な民主主義社会を維持発展させていくには、世界でも類を見ない崇高な理念に基づき構築されている平和憲法を、順守実行していくことが肝要である」
みなさんに紹介したい記事。たんたんと語っているが日本・日本人を鋭く指摘。
日経パソコン 2014.7.28号
あの人の「お気に入り」 宍戸 開氏(俳優・写真家)
番組や映画のロケで、大自然のある海外にいらっしやることが多いですね。
宍戸:子どもの頃、モンゴルや中国に母子で旅行をしたり、オーストラリアヘホームステイの経験もあるので、秘境のような場所を歩くのは苦ではありません。撮影も、日本のように時間に追われることも少ない。僕はハワイが好きで、個人的によく行くのですが、そこでは人間らしい、自然体でいられる時間を過ごすことができます。太陽が昇る時間に起きて、空腹になったら食事をして……。
日本は夜でも光があるし、高度な文明の中で教育を受け自分の進むべき道の選択肢がたくさんある分、細かいことに気を取られ、複雑に考えすぎていると感じています。便利なのはいいことだと思いますし、欲しいものを求めないと発展もないのでしょうが、何もかもが恵まれすぎて、人間が本能的に「生きる」という感覚を失っている気がするのです。苦労を知らずに生きていると、自分で考える力が身につかないし、相手を傷つけることにもなりかねない。そういうのは、僻地に行って初めて分かることですよね。
ありのままでいること、生きることの意味を知り、経験する場を、日本人はもっと持つべきだと思います。フィルムとデジタル写真のように、新しいものを取り入れつつ、でも古き良きものを大切にする……どちらもほどほど、が一番です。
輝ちゃんの7月25日 休養日 変化球の日常生活?
こんなに暑かったらどこにも出れない。
「運動や外出は控えて」という案内が出ている。
以前の俺だったら、「くそくらえ」と行動を起こしたものだが。
今は、「もし、何かあったら」が先に浮かんでしまう。
今日はおとなしくクーラーの効いている1階で遊んでいた。
「歌謡曲から『昭和』を読む」 なかにし礼著 NHK出版新書を読んだ。
2012年1月26日に購入しぱらぱらと読んでいた。昨日何げなく本棚から取出し改めて読んでみた。俺は歌謡曲と共に生きて来たんだということをおぼろげに感じた。石原裕次郎、美空ひばり。昭和歌謡曲の両巨頭だった。ページをめくりながら生きざまが浮かんでくる。小学校の登下校、高校の部活動、ベ平連のデモ、酔っ払い、メーデー等様々な場面が走馬灯のように。そこには亡くなった方々の顔が。
この本を読んで、なかにし礼さんはきちんと自分の意見を書いていることに感動した。
軍歌の制作に携わった作家の多くは、戦犯指定を逃れた後、手のひらを返すように活動を再開し、戦後の歌謡界で活躍した。彼らのつくった歌を、ただ「いい歌」でしたでは済まない。いい歌であればあるほど罪深い。いい歌であればあるほど、多くの若者を死なせている。そのことは確認しておかなければならない。歌とは、場所と機会を与えられたら何でもかんでも書けばよいというものではない。書いてはならない場所というものがある。
クーラーの効いた部屋で歌を聞いた。iPadを活用。一人悦にいっていた。
昨日の雷でチョンボした。Jちゃんのブログで雷が鳴ったらパソコンのコンセントとランケーブルを抜いたと書いてあった。何度も痛い目にあったのをもう忘れている。去年は給湯器をやられた。「雷=コンセント」を頭の中に叩き込んでおこう。
ナイターテニスの金曜日。Sさん、Yさんとコーチを入れて4人。
風がなく暑さが残っている。湿度が高い。息苦しい。
久々に気持ちいい汗を流した。テニスというより汗の方に話題がいってしまう。
恒例の深大湯で汗を流してくる。
ちょっと前だったら、「グビーッ」と生ビールだが、断じて飲まない。