輝ちゃんつれづれに 

インスタ・LINE、スレッズ、mixi2を始めました。楽しかったこと、残しておきたいことを自分の言葉で書き込みます。

葉っぱの上の水滴のようなも

2014年12月12日 23時27分04秒 | ことば

「僕たちの人生って、葉っぱの上の水滴のようなものじゃないかな」

と語る。

ドリアン助川さんと考える終活



「太陽の光にキラキラして、でも、午後には消えてしまう。自分を存在させ、やがて奪い去るものを、ある人は神といい、僕は『時』と呼びます。それといかに良い関係をつくり、最後までキラキラするか。『こんな最後を迎えたい』と相談し、一緒に考えてくれる人がいるのはいいことです。

 

 

選挙ってなんだろう  いい年してわからなくなってきた

 

戦争が好きな奴がいたんだ

戦争の匂いが好きな奴がいたんだ

それでも選挙で当選するんだ

そうすると「選ばれた」と自惚れる

勝手し放題

国家ってこれでいいのだろうか

品格もなければ当然風格もない

政治家は何をするために国民から選ばれたのだろう

戦争を誘導するために?

このような声が聞こえぬか!!

 

 

(ひととき)戦争を思い、うたう

昭和16(1941)年12月8日、太平洋戦争が始まった。私は旧制の専門学校1年生、札幌から上京して下北沢に住んでいた。

 ラジオでニュースを聞いて家を出た。日本とアメリカの国力差は分かっているつもりだった。そのアメリカを敵に。駅までの道々、体がぶるぶる震えた。そこに武者震いも加わった。

 思った通り、国民が活気づいたのもつかの間、翌年には米軍機による本土空襲があった。18年には神宮外苑で学徒出陣壮行会。私は送る側の女子学生として、日の丸の旗をちぎれんばかりに振っていた。

 好きにても嫌ひと言ふにもあらざりしを罪と思へり戦死したまひ

 私には、戦地から帰ってきたら結婚せよと兄から言われていた人がいた。兄の親友だったその人は、南洋で戦死した。好きだとか嫌いだとかいうほどの付き合いもなかったが、戦死を聞いて心が動いた。

 なぜ戦争は起きるのか、起こすのか。この単純な問いに対する答えが簡単でないことは当然である。しかし、大正13(1924)年生まれの私はうたう。

 十五年戦争生きて来し我は断じて許さじ日本の右傾化

 (東京都調布市 庄司はるみ 無職 90歳)

 

 

夢みる「はぐれ者」の背中を押す

かざみしずか

「あるばか」

夢の音

どんどんどんどん聞こえてきて
だんだんだんだんひとりだけの夢じゃなくなってきてると思うの
時々ドキドキ怖くはなるけど
大丈夫だって思いだしてごらん
みんなで叶える「夢の音」だよ



輝ちゃんの12月12日(金) テニスに熱中


こんな時もあっていいだろう。今日もマンツーマン。

心配だったのは腰痛。転倒した跡が結構痛く痺れがくる。

いい汗をかいた。思い切って振り切るって気持ちいいもんだ。

銭湯でぬるめのお湯にしっかり浸かる。夢を見ているよう。


 

今日の午後はLEO君と買い物。

府中のコジマ。LEO君のおやつ等の買い物で6000円の出費。
深大寺の郵便局。年賀状120枚。約6000円。
タカセクリーニング。仕事にはノリの効いたワイシャツを。
コジマでポータブルDVDドライブを購入。ないと不便だ。

サミット。カマンベールチーズの値段があがった。


    

 

 

 






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする