「僕たちの人生って、葉っぱの上の水滴のようなものじゃないかな」
と語る。
ドリアン助川さんと考える終活
「太陽の光にキラキラして、でも、午後には消えてしまう。自分を存在させ、やがて奪い去るものを、ある人は神といい、僕は『時』と呼びます。それといかに良い関係をつくり、最後までキラキラするか。『こんな最後を迎えたい』と相談し、一緒に考えてくれる人がいるのはいいことです。
選挙ってなんだろう いい年してわからなくなってきた
戦争が好きな奴がいたんだ
戦争の匂いが好きな奴がいたんだ
それでも選挙で当選するんだ
そうすると「選ばれた」と自惚れる
勝手し放題
国家ってこれでいいのだろうか
品格もなければ当然風格もない
政治家は何をするために国民から選ばれたのだろう
戦争を誘導するために?
このような声が聞こえぬか!!
(ひととき)戦争を思い、うたう
昭和16(1941)年12月8日、太平洋戦争が始まった。私は旧制の専門学校1年生、札幌から上京して下北沢に住んでいた。
ラジオでニュースを聞いて家を出た。日本とアメリカの国力差は分かっているつもりだった。そのアメリカを敵に。駅までの道々、体がぶるぶる震えた。そこに武者震いも加わった。
思った通り、国民が活気づいたのもつかの間、翌年には米軍機による本土空襲があった。18年には神宮外苑で学徒出陣壮行会。私は送る側の女子学生として、日の丸の旗をちぎれんばかりに振っていた。
好きにても嫌ひと言ふにもあらざりしを罪と思へり戦死したまひ
私には、戦地から帰ってきたら結婚せよと兄から言われていた人がいた。兄の親友だったその人は、南洋で戦死した。好きだとか嫌いだとかいうほどの付き合いもなかったが、戦死を聞いて心が動いた。
なぜ戦争は起きるのか、起こすのか。この単純な問いに対する答えが簡単でないことは当然である。しかし、大正13(1924)年生まれの私はうたう。
十五年戦争生きて来し我は断じて許さじ日本の右傾化
(東京都調布市 庄司はるみ 無職 90歳)
夢みる「はぐれ者」の背中を押す
「あるばか」
夢の音
どんどんどんどん聞こえてきて
だんだんだんだんひとりだけの夢じゃなくなってきてると思うの
時々ドキドキ怖くはなるけど
大丈夫だって思いだしてごらん
みんなで叶える「夢の音」だよ
輝ちゃんの12月12日(金) テニスに熱中
こんな時もあっていいだろう。今日もマンツーマン。
心配だったのは腰痛。転倒した跡が結構痛く痺れがくる。
いい汗をかいた。思い切って振り切るって気持ちいいもんだ。
銭湯でぬるめのお湯にしっかり浸かる。夢を見ているよう。
今日の午後はLEO君と買い物。
府中のコジマ。LEO君のおやつ等の買い物で6000円の出費。
深大寺の郵便局。年賀状120枚。約6000円。
タカセクリーニング。仕事にはノリの効いたワイシャツを。
コジマでポータブルDVDドライブを購入。ないと不便だ。
サミット。カマンベールチーズの値段があがった。