ある調査員をやって戸別訪問した。今日オートバイですれ違った人はすごく横柄な言い方をする人だった。内心、「このやろう」と思ったが我慢した。その時思った、「俺もそうかもしれない」と。
歎異抄を少しかじって、「この慈悲始終なし」の一節が浮かんできます。自分が正しいと思った瞬間に見えなくなるものがある。そして次第に偏っていくのが私たちだという。自分の都合だけで振り回していないか。
ちょっといい話:銭湯に行って3階からエレベータで帰ろうとし「閉まる」ボタンを押した。女湯から御婦人が急いできた。「開ける」ボタンを押し待ってあげた。「すいません」「どういたしまして」という笑顔で短い会話。別れ際御婦人が「一杯が美味しいのですね、それが楽しみで」。「私は一杯がいっぱいになって迷惑をかけるからやめたんです」あらあら・・・。では・・・。こんなたわいもない会話がまだ残っていた。すっきりしていい気分になった。
企業の公器性は
三菱自動車の不正、燃費だけではないよ
三菱自動車という不正を繰り返す企業は社会に必要か?
http://diamond.jp/articles/-/90283
三菱自動車だけの責任か?国土交通省?日産自動車は?
私たち消費者は何を信用すればいいのか。燃費、燃費というけれど。実際の燃費は環境で全く違う。安心・安全を信じてクルマ選びの条件にしているのだが。クルマは買う時ばかりではない。その後はもっと大事だ。「売ればいい」というモノではないだろう。軽はずみなマスコミの責任もあるな。
スタミナは心と脳に、そして腹に
ルーテル学院大学の公開講座でのテキストを購入した。「万葉集(一)」中西進著 講談社文庫。上村先生が筑波大の大学院で教わったのが中西先生という。この世界は「40、50は鼻垂れ小僧」と言われるという。
100分de名著の5月は宮本武蔵の「五輪書」だという。テキストを買ってきた。この番組ともっと前に出会えたら・・・。
澄めること