俺にとっての宗教とは 宗教って難しい
あえて定年退職してから自分の苦手な、いや未知の分野に足を踏み込んでみた。一番かんたんな方法として三鷹市報の公開講座から選んでみた。その中に、ルーテル学院大学の「日本宗教の源流」があり受講した。講師は偶然以前の知り合いだった上村敏文先生だった。古事記が中心だが、キリスト教は入り、仏教も入り頭の中はぐちゃぐちゃ。悔しいから今年もう一度受講した。なんだろう、調べてみようと気持ちが一歩前向きになってきた。五木寛之さんの「親鸞」を読み、加賀乙彦さんの「殉教者」を読み、もっと知りたくなり仏教学入門講座を受講している。並行して、「70歳 人と社会の老いの作法」五木寛之・釈徹宗共著を読んでいる。今朝、こんな記事に注目した。(p133からp134)
(釈)…そうすると今の60代70代の不幸は、戦後の合理性追求の教育の波を正面から受けて、歪んだ宗教像を提示され、宗教性を成熟させてこなかったところにあるのでしょうか。
(五木)もしかすると、一番宗教から遠い世代かもしれません。宗教に触れることが穢れること、というような部分がありましたからね。本来は、宗教に触れると清らかになるはずなんですが。
(釈)少し前まで「私は無宗教です」って言わないと知識人ではないような雰囲気がありました。この世代の宗教的感度は、彼ら自身が「70歳」を迎えた時、どうなるのでしょうか。
(五木)わかりませんが、少なくとも、晩年になっていきなり宗教と付き合うのは難しいですね。何かしら、宗教に対するバリアを下げておく、アンテナを立てておくことが必要でしょうね。
俺は、70歳にして偶然宗教入門の立ち位置にある。俺も、人生逃げるように。訳も分からず「私は無宗教です」と言い続けてきた。団塊の世代700万の人たちがどの方向に向かうのか楽しみであり不安である。でもこれからの時代は「私は無宗教です」では済まされないような気がする。
今日は楽しみだ 尾崎豊の長男のドキュメンタリー
父・尾崎豊を見つめて 裕哉 26歳の旅立ち
http://natalie.mu/music/news/200475
26歳で世を去った伝説のミュージシャン尾崎豊。自由、反抗、愛。歌には言葉がほとばしるように溢れかえる。そんな尾崎の一人息子が決断をした。裕哉26歳。父が人生を閉じたその年に同じ音楽の道をめざし始めたのだ。裕哉の声と姿は父の生き写し。しかし当時、裕哉は2歳。父の記憶はない。尾崎豊とは何者だったか?そして自分とは?父から旅立ち、尾崎豊の息子ではなく尾崎裕哉になるために。苦悩、葛藤、成長の1年に密着。
本があった「二世」 自らの半生 自分は何者か 何者かになっていく。
誰もが、誰かの二世である カメラ好きで笑顔が綺麗。
71の楽曲 魂の叫び、社会に対する責任。
父の歌は父親からの助言。生きることの責任感。
ギターもピアノもほぼ独学
音楽プロヂューサー 須藤晃
http://www.m-on-music.jp/0000002532/
ボストンで自分は何者かを探し曲作りのヒントを探し求めた。
悲しい時に笑うことを覚えた。高校は寮生活。父親探しで父親の曲を聴いた。
尾崎豊の看板、十字架を背負うのは俺と母親しかいない。最近自分も母もやっと前に進めるようになってきた。過去ではなく今の自分を見つめて。
27歳の誕生日を迎えた。結局自分は変わり続ける。本当の自分はなくて、今の自分に向き合うしかない。自分の曲で自分の生きざまを歌うしかないだろう。
デビュー曲 始まりの街 母のために感謝の気持ちを込めて作った曲。