神ってる アモーレ セコイ
広島東洋カープが四半世紀ぶりにリーグ優勝を果たした。去年は、黒田・新井の「男気」ムードで優勝できると信じていた。チームとしての力が分散したのかクライマックスにも残れず。
今年は黒田の引退が心配されたが現役続行で安堵したが、マエケンの大リーグ移籍。マエケンの抜けた穴はデカイ。現有勢力でたたかう?
結果は「神ってる」力が逆転力を読んだ。
緒方監督「神ってる」発言の由来は… 妻かな子さん語る
http://digital.asahi.com/articles/ASJ9C578YJ9CPITB00D.html
俺にも神懸かり的な力をくれないかな。
でも、上辺だけ見て「おねだり」しても何も出てこない。見えないところの努力がある。プロは練習しかない。それが結果となる。それでしか評価は出ない。だから「優勝」という結果はデカイのだ。
https://geinou-news.jp/articles/流行語-候補-神ってる-鈴木誠也
もっと奥深いところや幅広い活動を検証すると広島東洋カープの独特のよさが出てくる。
100分de名著 石牟礼道子“苦海浄土” 「近代の闇、彼方の光源」
石牟礼は「私の責任じゃないんです」といった責任回避の論理を徹底して否定する。そんな曖昧な捉え方をしていては、今起こっている出来事の正体を見過ごしてしまう。近代には、我々が普通に考えている人格とは違う、「化け物」のような人格があることを見極めることが大事だと石牟礼はいう。第二回は、近代が解放してしまった人間の強欲、自然をことごとく破壊しても何かを成し遂げようとする「近代の闇」と向き合うすべを学ぶ。
第一回目を見損なってしまった。水俣病の問いかけはいつも胸に突きつけられる。何が原因か。やっと今日わかった。宇井純さんの「公害には第三者は存在しない」言葉を聞き、我々も加担者だということが理解できた。番組で記憶に残った言葉を書き残そう。
水俣のことは、近代詩のやりかたではどうしても言えない。詩壇に登場するための表現でもない。闘いだと思ったのです。一人で闘うつもりでした。今も闘っています。(石牟礼道子)
杉原彦次さんの次女ゆり。41号患者。むざんにうつくしく生まれついた少女のことを、ジャーナリズムはかつて“ミルク飲み人形”と名づけた。現代医学は、彼女の緩慢な死、あるいはその生のさまを、規定しかねて「植物的な生き方」ともいう。(第5章「地の魚」)
人を番号で呼ぶ、魂・いのちのあり方の問題。人間を量的なものとしかとらえない。国や企業などが尊厳を持って受け止めていない。
今日の定点 曇り時々晴れ(10時過ぎ)、気温26度、湿度73%。
LEO君と午後9時半ごろ近所を散歩した。風が冷たくなってきた。天文台の騒々しいこと。虫の鳴き声の大合唱。幸せ至極の時をおくらせてもらっている。感謝。