みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌 認知機能の障害、『徳島新聞、読者の手紙』より

2019-11-12 05:30:00 | 日記


実家の前の広葉樹が色づいて来ました。


高城山が朝日に照らされています。昨日の朝は、梅やんをデイサービスに送り出す前に少しだけの時間がありウオーキングしました。気晴らしになります。梅やんはグジグジ言いながらやっとデイサービスへ行きました。


夕方、梅やんはデイサービスから帰ると洗濯物を取り入れました。職員さんの話では、デイサービスでは機嫌が良くなり大丈夫でした。明日はデイの行事で黒滝寺まで遠足に行くので御賽銭の用意をしておいてください、とのことです。


私は昼間にゆずとりの作業をしたので四季美谷温泉に入ってきました。宿泊の方がいて夜景が輝いています。
梅やんの今夜のおかずはハッポウサイです。白菜とハヤトウリを入れて既製品の袋をあけて炒めると出来上がりました。


テレビを見ながら夕食を食べる梅やんです。テレビは「家族に乾杯」をやっていますが、梅やんの耳にはほとんど音声は聞こえません。私は日曜日の新聞を見て先に寝ることにしました。


読者の手紙の欄に「認知症カフェをふやしたい」との記事を13歳の中学生が投稿されています。私たちの孫の世代がこうした素晴らしい意見を持ってくれています。「本人はもちろん家族にとってもかなりのストレスと大きな不安」…まったくその通りです。中学生さん!ありがとう!未来のために、がんばれ!沢谷小の同級生のお孫さんらしいです。
さて、今日は午前中はデイサービスに行き、午後に木沢診療所の受診です。梅やんは体調よろしければインフルエンザ予防接種を予定しています。私は午前中、吉野川市鴨島まで所用に行って、夕方には梅やんを迎えに行きます。
それでは今日はこの辺で。








みなみの梅やん介護日誌 梅やん柚子を搾らず、手伝わず。

2019-11-11 05:29:00 | 日記
今朝は私の身体が筋肉痛です。昨日、6時間も場の悪いユズの畑を上下へ歩行し、古木を切り倒すのにチェンソーを使ったからです。
昨日、梅やんはいつもの様に朝食を食べました。セツ姉一家とその友だちの森さんが9時にやってきてユズ搾りをしました。去年までの梅やんはユズ取りを手伝いましたが、今年は手伝おうとしません。
食卓に座ったままでした。昼食時も皆と話をしませんでした。2日間は安定剤を飲ましていませんから、認知症の薬をやめているから脳の活力が低下しているのかも知れません。
家の裏は県道が通っています。この道は剣山方面奥槍戸まで続き、途中から剣山スーパー林道となってカシドマルや高城山を経て神山へ行くことが出来ます。川成峠から木屋平へ下れば剣山見の越峠を越えて祖谷山へ行くこともできます。西祖谷のかずら橋まで3時間くらいです。
かつて、梅やんとリキさんはこの道を通る観光客に路上で柚子を販売して、2〜3万円の売り上げをしていました。無農薬で実生の柚子は味が良くて人気がありました。が、とうとう今年は路上に出ることもしようとしませんでした。
このユズの木は67年生の古木です。今年は実が少ないので高い所の実を取るために3本の古木を切り倒しました。見通しが良くなり対岸の山の紅葉が鮮やかに見える様になりました。
柚子を搾り終えて帰るセツ姉たち。
見送る梅やんです。
昨夜の梅やんは、また、「平井のツネヤンは生きとるのか?」と何度も何度も聞いてきました。私は、もう同級生は小川のヒデヤンが徳島市に居るだけであろう、お母さんは90歳超えたのだから、同級生がおらんようになるのは当たり前だと言うてあげました。「死んだら出る保険をかけとったのう」と梅やんは言いました。この記憶は確かです。
夜にエミちゃんから電話がかかりました。12月14日、徳島市のいつもの店で同窓会をしますとの事。そういえば、寺岡君は17歳、中山君は50代でなかったか、浅田君は65歳、男の子が3人少なくなりました。
それでは今日はこの辺で、今日の梅やんの予定はデイサービスです。

みなみの梅やん介護日誌 梅やんの情緒安定

2019-11-10 04:34:00 | 日記


夕暮れの沢谷
昨日は紅葉し始めた釜が谷を下り、観光客の車をよけながら実家に来ました。




沢谷。
梅やんはセコいとも言わず、頭が痛いとも言わず落ち着いていました。


木頭出原のアキ姉の写真を出して見ていました。93歳まで生きた人です。
梅やんの認知症の薬を中断して6日目になります。しばらく薬無しで観察してみようと思います。血圧と貧血の薬は飲ませます。




洗い物。


きょうだいとの電話の話も元気にしています。


夕方、神奈川の孫からミカンが届きました。地元の無農薬のミカンです。甘くて美味しい。



イクセロンパッチとメマリー錠の併用で梅やんは薬を使ってきましたが、少々きつすぎたのかも知れません。両方の薬ともに激越、攻撃性、頭痛の副作用がありと参考書には書いてあります。血圧上昇も。


今日は日曜日で下からセツ姉たちが柚子取りにやって来ます。今年のゆずは少ないので10升搾れるかどうか。
それでは今日はこの辺で。夜明けが遅くなりました。梅やんはまだ寝ております。









みなみの梅やん介護日誌 移動時の休憩

2019-11-09 04:38:00 | 日記
昨日の朝の梅やんは、夜に飲ませたデパスのためか、朝食後のデイサービスの迎えまでの時間も寝所に入り寝ていました。私は梅やんを送り出してから1時間余り柚子を取り、弁当を買うため坂州の農協へ行き、その足でデイサービスに立ち寄り梅やんの様子を聞いてから、また家の食卓に弁当を用意して、11時半に実家を出発しました。


土須峠で霧雨になりました。神山の岳人の森で蕎麦定食を注文して休憩しました。
一旦、車は神山の上分川又に下りてからまた倉羅峠へ上ります。ここでまた20分間、座席を倒して休憩します。頭を低くして意識がもうろうとしてくると、ハンドルを回す感覚が回復します。
旧美郷村の道を下り、山川の国道192号線へ出て西へ向かい、つるぎ町貞光道の駅で缶コーヒー飲んで椅子にうつ伏せて休みます。それからまた西へ走り、午後4時に三好市井川町の自宅に着きました。4時半に実家に電話すると梅やんが出ました。
夕食は家人と池田州津のアサンで焼魚定食。8時前に木沢のチイ叔母に電話してみると、「梅ねえは、うちの電話番号は覚えてないけど、娘のセツ宅は覚えていてかけてきたらしいぞ」との事でした。088-664-0000は梅やんの記憶に残っているようです。番号を書いた紙はカギのある戸棚に隠しておいたのですから。
今日はこれから新聞の早朝配達をして、昼には木沢へ向かいます。グッスリ寝たので途中休まずに早く帰ることが出来るでしょう。それでは今日はこの辺で。



みなみの梅やん介護日誌 柚子の季節

2019-11-08 06:08:00 | 日記


実家には実生の柚子の木が17本あります。昔からのゆずは玉のてっぺんにこぶがあります。同じものが三好市井内の山の農家にもありました。実がなり始めるまでには17年かかります。
さて、昨日の朝は梅やんの調子が良くて、私が先に家を出て吉野川市へ所用の会議に行き、帰ってみると、チャンと洗濯物を干してからデイサービスに行っていました。
しかし、デイサービスの職員さんの話では、梅やんは終日、「せこい」と言って機嫌が悪かったそうです。


夕食時の梅やん、ああせこい。
とはいえ、パンは食べたし、焼いてあげたキビも食べたし、食欲はあります。
ただ、聞いてくることが、「梶屋の姉はいきとるのか、タカ姉は生きとるのか、平井のツネヤンは生きとるのか」と言うことばかりです。死んだと言うてあげると、「死んだと言う便がなかった。死んで6年にはならん」と言う。「お前はワシが死んだらくつろぐと思うとんだろう」と言う。
梅やんには平成15年ごろ、父リキさんの在宅介護をしていて介護疲れで「ああせこい」と言い出し、リキさんを入院させた事があります。梅やんは頭がボーっとしていて、その後梅やんは上那賀病院へ入院となりましたが大したことなく快復しました。私は三好市の精神科病院に梅やんを連れて行って見てもらいましたが、精神科の病名はつきませんでした。
また、平成22年の暮れにも「ああせこい」と言うて、年明けて、診療所で認知症の検査を受けさせたら30点満点で28点取れたのでした。
今朝の5時、梅やんは「ふろをわかしてくれ、いつ入ったか覚えとらん。早う死んだらくつろぐんだろう」と言いました。ついでに私も朝風呂に入りました。
柚子の事ですが、昨日午後半日柚子をとりました。今日は午前中柚子をとってから、私は移動日で三好市へ帰ります。明後日にはセツ姉たちが柚子を搾りに来てくれます。今年は全部取ってもコンテナに5杯分あるかないかぐらいで少ないです。
今夜、梅やんはデイサービスから帰ると、一人置いておきます。長電話をしているので番号を書いた貼り紙は取っておきます。
それでは今日はこの辺で。