前回は、
”ありのままの自分を見つめて自分を好きになる”
多くの人が勘違いしてしまっている、とてもとても重要なポイントである!!
と書きました
前回の記事はこちらから☞”ありのままの自分を愛しましょう”のトンデモ勘違い
また、逆を言えばそれは”痛い”ポイントでもあります
痛い子にならないように、きちんとポイントを抑えておきましょう
ホンモノ認知行動療法を身に付け、メタ認知がきちんと鍛えられれば、
”ありのままを愛しましょう”というポイント、その着眼点が、
かなりズレちゃってる痛い奴だという事に…気付いてしまいます
以前の記事でも書きましたが、お釈迦様がこの世はマーヤ(幻想)であると言い、
”無駄である”と言ったのは、
決して”幸福ハッピーな境地に辿り着いたわけではない”ことを意味しています
お釈迦様が言ったこの世はマーヤ、幻想だよ~んと言ったのは、
(だよ~んとは言っていないか)
自分を愛してありのままを好きになって…
とか、そういう次元の話ではないのです
それが分かれば、今のありのままの自分を受け入れ愛して…などとやる必要もなければ、思う必要もないことが分かります
お釈迦様はそのことに気が付いて、”すべては幻想だ”、”無駄だ”と言ったのです。。
自分を好きになろう
わたしは今のままで素晴らしい存在なんだ
ありのままを愛そう
と、必死に思っていること思おうとしていること自体が、無駄なこと
自分を好きになろうとは、自分を好きになれないことの現れでもあり
今のままで素晴らしいと思うことは、今のままのわたしは素晴らしくない存在だと思っていることの現れでもり
ありのままを愛そうとは、ありのままを愛せないことの現れでもあります
けれど、そんなことはどうでもいい
どっちだっていいのです
(現に、キラキラ系の"自分愛して、ありのまま"とか言っちゃうその本人だって、生きてりゃ四六時中自分愛して自分大好き!とか言ってらんないことだってあるでしょうよ…)
ただ、”今そう思っている自分がそこにいる”
という、自分という存在を常に冷静に客観視出来る状態になること←これでいいのです。
お釈迦様は、それに、そのことに”気づいた”からこそ、《悟った》と言われているのです
”悟り”とは、とんでもない世界に行くことなんかじゃありません
目と鼻の先、すぐそこです。。
人によっては、すぐにこの感覚が掴めるのですが、
気を付ければいけない人がいるのも事実…
認知行動療法でやる細かなプロセスを踏まないと、
人によっては解離障害を引き起こしてしまう人がいる!ということには注意が必要です
もともと現実逃避しやすい人はこの手のタイプです
行動活性・認知再構成法を行うなどの細かな認知行動療法のプロセスを踏むことがこの手のタイプには重要になってきますが
そのプロセスを遂行していくのには、本人の地道なコツコツとした積み重ねなしにはあり得ません
やったらやっただけ、いつか必ず身になって返ってくることは確かです
昨日まで全く意味不明が続いていたけど、ある時突然に、”悟り”の感覚が分かる時が必ずきます
なにせ、”悟りの境地”とは、イメージしていた想像していた(?)そんな凄いところなんかじゃありませんからね
この地球次元で生きている以上、どこのどなたもみな同じ穴の狢なのです…