分子栄養学講師の気ままなブログ

メンタルを変えるために奮闘!
栄養のこと、健康のこと、分子栄養学や日常やつぶやきなど
気ままに綴っています

失敗"なし"の梨とチーズのいなりシュー

2018年08月31日 | おやつ

本日の低糖質スイーツのご紹介

油揚げを使った、絶対に失敗しないシュークリームもどきスイーツです

 

先日、美味しい梨を頂きました🍐

果物は糖質が高く、いくらビタミンなどの栄養がたっぷりとはいえ

糖代謝異常の持ち主であるわたし的には、身体の中で砂糖と同じブドウ糖になるものは極力控えるのが鉄則

 

なので一度に大量に食べずに、1週間以上かけて、ちまちまと食べておりました

果物ってなんて美味しいんでしょう

 

1週間かけて1個の梨を食べるなんて…大丈夫かしら?

傷まないかしら??と、思い、心配しておりましたが…

 

悪くならないのは、切った梨をクエン酸パウダーをかけて変色を防いだり、

さらにそれを電子レンジでチンして加熱しておくことで、傷む気配”なし”🍐でした

 

ちなみに、クエン酸パウダーはアイハーブで、453gが700円以下という格安っぷり

クエン酸はTCAサイクルをまわす(TCAサイクル…身体のエネルギーを作り出すために必須の場所(?)のようなところ)

 

わたしは水に溶かしたりしていつも飲むようにもしているんです(クエン酸は食品添加物にも使えるし、元気パウダーとしても使えるから重宝してます)

 

話が逸れましたから、今日のスイーツに話を戻しまして

その保存しておいた梨を使って、シューもどきのスイーツにしたのがこちら

 

わたしにとって油揚げを使って作るレシピは毎度のことですが(過去記事のレシピ参照

今回は、クエン酸と甘味で甘く煮た(というかレンちん・笑)梨を油揚げで包み、オーブンで焼きました

 

サクサクで美味しい~

よく味をかみしめてしまうと、そこはやはり油揚げでしたけど…ね。。(笑)

 

食事制限があり甘いものを我慢している人にとっては、なかなか美味しい低糖質スイーツになるかと思います

糖質は1個あたり2.3gくらいと、糖質の高い梨を使っても量を加減してなんとか低糖質

お試しあれ

 

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発達障害の診断

2018年08月28日 | 発達障害

昨日は、発達障害になりたがる人…という批判(?)に物申しました

発達障害になりたがる人…という批判(?)に物申す


もちろん、発達障害の正しい改善策対応策がアメリカやイギリスなどに比べてかな~り遅れている日本においては、

発達障害という言葉ばかりだけが一人歩きしている感は否めなく


もし仮に”発達障害になりたがる人”というのがいるとしたならば、

その当人すらも、発達障害と診断されただけで人生が楽になると勘違いしている人もいなくはないかもしれません


つまり、発達障害になりたがる人がいるなどと批判する人が一方で、

実は本人も診断だけで、自分の努力は必要ないと思っちゃっている人がいるかもしれないということです


残念なことに、とんでもないです

発達障害と分かっただけで、診断されただけでは少しも変わらない

発達障害と向き合い、対策に取り組んでいかなければ、現状なにも変わらないのです


さらに取組みはスモールステップでしか取り組めないので、いきなり劇的に変わるということでもありません


数年取り組んできているわたしですら、やはり今でも派遣やアルバイトで慣れない仕事に入ったりすると、

職場の環境や仕事の内容によってはみんなのように落ち着いて出来ずに、パニックになり、それを必死で隠し、

そんな自分が悔しくて悲しくて、休憩や帰り道にそんな自分恨みながら泣きべそをかくことがあります

(そんな時ほど、こんな苦しいだけの世界から消えていなくなれたらどんなにいいことだろうと心底思いますね


 

もし仮に発達障害の診断が成されなかったのならば、

みんなとは明らかに違う、出来ないことだってあるのに、それをみんなと同じ方法、やり方で、、

無理くり"みんなと同じように"と型にはめ込まれてしまいます

 

(二次障害の多くはこうして生まれる‼︎)

それは、腕を本来とは逆の方向へ曲げようとするようなもの…

 

だからこそ、腕を曲げる方向を間違えないためにも、発達障害の診断が大事になるのです

(と言っても現在の病院で発達障害の診断がグレーゾーンにくだることはまずないので、自分が発達障害の気があると認めることが大事)

 

発達障害と分かったことで、その人に合った、発達障害なりの対策が見えてくるようになるわけで、

彼・彼女たちはある意味これまでとは違った視点からの努力が必要になってくると言えのです

 

それは、みんながしている努力とは

少し違うと言えるかもしれません

 

(というか、みんなは当たり前のように出来るわけだからそれは別に努力でもなんでもない、とも言える

 

脳の構造上に問題がなくて、何の気なしに掃除も片付けも出来る人に

脳の構造上の問題で片付けが上手く出来ない、得意ではない人に、【努力が足りない】などと言われる筋合いはないかもしれません

 

その人は努力なんてしないで出来るのだから、”片付けられない人たち”からすると、定形発達の人はずるい(羨ましい)と思えることでしょう

 でも、

 

 脳の構造上の問題で片付けが出来ないのではやはり困るのです

だったならば、その人はその為の対策を練っていくしかない…

 

それを出来ないのだから仕方がないと諦めて良しとするか、

対応策によって改善させてマシにしてくかは…

もちろん本人次第です

 

ただでさえ生きづらさに悩み、苦労しているというのに、

改善策に取り組んでいかねばならない戦士たちに、

 

 それを知らずして発達障害になりたる人などと言うのはお門違いなのです…

 

発達障害になったところで、改善策に取り組まなければならいわけですから、大変なのです

多くの人が発達障害と分かると安堵するのは、"この腕は曲がらないのだ"と分かるからです

 

そこから正しく曲がる方向を模索出来るようになり、義腕で対応するなどの向かうべき方向性が見えてくるようになるのです

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発達障害になりたがる人…という批判(?)に物申す

2018年08月27日 | 発達障害

発達障害の認知度が広まるにつれ、

”もしかしたら自分も発達障害なんじゃないか??”

と、病院を受診する人が増えている…

 

というような話題をよく目にするようになりました

 

なんでも、そういうことを言う人たち、書く人たちの言い分というのをよくよく見てみると、

彼彼女たちは、「あなたは発達障害じゃないですよ」と言われるとがっかりして肩を落として病院を後にする

つまり、多くの人が”発達障害なりたがっている”という現象が起きている

 

というようなことが書かれています

 

こういう話題を耳したり目にしたりするたびに、生きづらさに苦しんでいる人を、

厳しい視点からズバリと斬っているように感じてしまうのは、

わたしだけでしょうか?

 

わたし自身、発達障害の気があると分かってすごく安心したし、

それに実際に自分が発達障害なのだと分かって、胸をなでおろす人は多いと聞きます

(逆に、発達障害と分かって絶望する人もいるみたいだけど)

 

なぜ、彼彼女たちが発達障害になりたがるのか、

訳の分からない生きづらさに苦しんだことのある人間なら、理解できることでしょう

 

それを嫌味のようにズバリと斬る人は、当人の長年の苦しみなど、知る由もないからです…

(目の見えない人に、色彩というものを一生懸命伝えてみても、理解出来っこないもの)

 

そして、そんなことを言いまわっている人というのは、

近年、代謝障害と言われるようになった発達障害を全く理解していないと言えるし、(もちろんわたしも理解はしていないけど…)

代謝障害をフォローする方法があるということも知らないから、そんなことを言うのではないでしょうか

 

発達障害に甘えるな

自分で努力しろ

と、遠回しに厳しく批判しているようにも思えてしまうのです

 

けれど、これは大きな間違いです

これは、腕を逆方向に曲げようとするのと同じであり、方向を間違えているので、その言葉を鵜吞みにしてはいけません

 

そもそも、発達障害だと分かって、例えば障害者手帳を手に入れたからって、

人生が楽になるわけでもないし、これから一生の生活が保障されるわけでもありません

 

むしろ、発達障害の診断ははじめの一歩であり、

発達障害と分かったことで、本人はこれまでの生活を180度ガラリと変え

山のようにあるやるべきことと、発達障害だからこその生きづらさを軽減するための対策というものに、

必死で挑戦していくことを意味しているのです

 

TVやゲーム、飲み会、ソファに寝転がってぐうたら生活などしている時間は、微塵も無くなる

あらゆる娯楽を自分できちんと制御し、

これまでの苦しみと少しでもおさらばするため、自分の人生向上のため、様々ことにこれから取り組んでいかねばならないというのに…

 

このことを分かっていれば、知っていれば、

発達障害という診断に甘える人がいる

発達障害になりたがる人がいる

などと、そんなこと決して言えないはずです

 

”発達障害になりたがる人がいる”などと、どこの口が言えたものでしょう


発達障害だと分かったのならば、当人たちはそれ相応の対策に挑んでいかねばならないわけで、

それを知らずして、発達障害になりたがる人が増えているなどと、何をとんちんかんなことを言っちゃっているのか…


発達障害と診断されることで、正しい方向に努力を向けられるようになることを意味しているのに、これのどこがいけないのか…



つづく

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発達障害と客観視

2018年08月26日 | 発達障害

 発達障害に限らず、メンタルに問題を抱えている人

(不安が強い、強迫観念がある、うつ傾向などなど)

というのは、自分を客観視するのが苦手です

 

”客観視するのが苦手”というより、

考えの幅が極端に狭いと言った方が正しいと思います

 

自分で自分のことを、本人的には客観視出来ていると思っており、

自分に客観視が必要などとは思ってもいないことでしょう

 

たとえば、グレーゾーンの発達障害

(とくに女性の場合に多いらしい)空気を読めないどころか、

周りの視線や評価を気にして、気を使い過ぎたりして空気を読み過ぎる人がいます

(☝詳しくは吉濱ツトムさん著・隠れアスペルガーという才能参照)

 

これは一見自分のことを客観視出来ているようにも見えますが、

人から嫌われたらどうしよう…人から〇〇と思われたらどうしよう…

などと、自分の中にある固執した考えからきていることが多いです

 

つまり、

嫌われたって別に良いじゃん 嫌われるとは限らないじゃん

とかっていう考えにまで、幅を利かせていくことが出来ないわけです

 

自分のなかにある確固たる信念に気付かず、

(たとえば、人から嫌われたらお終いだ、わたしは価値のない人間だ。など)

それを”もと”に全手の物事を脳で情報処理する癖がついてしまっているわけですね

 

ちょっとした知人の友人宅にお邪魔したりするだけなのに、その一家全員のお土産を用意することを真剣に悩んだり、

相手がトイレに行ったときにお会計を済ませておかなければならないと思ったり、

飲み会では盛り上げ役をやらなければならないと思ったり、

遠く離れた席の人の料理の取り分けまでも自分がやらなければならないと思ったり、

 

行き過ぎたサービス精神を発揮したりします

(それが”行き過ぎている”ということにすら本人は気づきません)

 

安定した心をつくる神経伝達物質の働きに不具合がある人や(つまりは代謝障害)

理性・知性、客観視を司る脳の前頭前野の働きに不具合がある人というのは、(血流が不安定)

脳の構造上、黙っていても、行為売った何気ない日常生活を送るうえでの”生きづらさ”という壁にぶち当たるわけです

 

わたしの場合、会社の警備員、看守のおじさんの、

【おはようございますの挨拶の声のトーンだけで、

その日のわたしの気分が左右されていたほどです…

 

笑顔も見せない…

声のトーンも低い…

 

この人、わたしのこと絶対嫌いなんだと、本気で思い、(わたし何かしたっけ?)と本気で考え、

(朝と夜、会社の門を通る時にだけしか会わないのにも関わらず!)その警備のおじさんのことを考えるだけで気分が暗くなる…

このようなことを日常茶飯事として繰り替えしていたわけです

 

そうとう重症でしょう?笑

 

だからわたしのような、この手のタイプの人は、

”客観視する”

”物事を大きな視点で全体から眺める”

このように癖付けに変えていかなければならないのです

 

そうすることで、半分くらいは苦痛が軽減されます

(全部ではありません)

私自身、このようなことを思わなくなる、無くなるということではないからです

 

 

そして、これら客観視、考えの幅を広げるという行為は、

黙っていて勝手に出来るようになるものではありません

 

毎日の訓練、意識付けによって脳に刷り込んでいく必要があり、

時にそれは”書く” ”書き留める”という行為が重要になることもあります

 

考えの幅を広げ、客観視が出来るようになってくると、

無駄に感情や思考に飲み込まれなくなっていきます

 

実はこれ☝

古神道で言われるところの”お祓い”に近い作用があるのです

以前の記事でも書きましたが、古神道の考えには感情や思考の全てはゴミと捉えるとお伝えしました

伯家神道、古神道の世界観

 

良いも悪いも全てを払うことが”祓い”なのだと…

 

客観視、物事に考えの幅を利かせられるようになるということは、

決して一つの考えに固執しない

そこだけに捉われない

常にこのような状態になることを意味しているのです

 

まさに毎日が”祓い”なのです

祓いに始まり、祓いに終わる!!

 

古神道の修行は、

現代版に訳すと客観視を鍛えることであると言えるかもしれません

 

発達障害の診断あるなしに関わらず、

(そもそもグレーゾーンの場合、発達障害などとは決して言われず、どこまでも常識人に他人からは見受けられる場合がほとんどです)


生きづらいのなら、

それを本気でどうにかしたいと思っているのなら、

軽減のためにやれることを地道にやる

 

これしかないのです…

 

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ゼラチンで簡単ぷるんゼリー

2018年08月22日 | ご飯

ゼラチンを溶かすだけの簡単即席ゼリーを、近頃食べまくっています

 

甘味も入れずに、ココナッツミルクやデカフェコーヒに溶かしたゼラチンを加えるだけ

(始めは毎度甘くしてましたが、ゼリーのぷるんとした食感が食べたいだけなので近頃は甘味なしに慣れました)

 

デカフェコーヒーとサイリウムハスクはアイハーブ

 

わたしはサイリウムハスクも加えるのが好きで、(気持ちムチっとした食感になる気がする)サイリウムのおかげでお腹に溜まり、腹持ちも良いし便秘にも良い一石二鳥

 

大量のゼラチン(200g入り)を買ったのですが、みるみる消費されていきます

 

動物の皮で作られたゼラチンには、コラーゲンたっぷりですが、コラーゲンは外から補っても結局分解されてしまうので、これだけ毎日ゼラチンゼリーを食べてもわたしのお肌に影響は……(ない?)

 

実は無くはないのです

 

その理由は、コラーゲンの材料が入ってきたことで、身体が体内のコラーゲンが分解されたと勘違いを起こし、合成が促されることがあるから💋

 

詳しくはこちらの記事でもまとめています👉コラーゲン鍋で肌がプルプルに?これってプラシーボ効果?

夏のデザートにはぴったりなゼラチンゼリー

 

お腹は空いていないのに、🧠

脳が何か食べたいと感じている時には、

(そんな時ってありませんかっ)

 

限りなく0カロリー、0糖質に近いゼリーがおすすめです

ゼライス AUゼラチン アルファ 200g
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