わたし自身が幸せを求めてかなりの間彷徨っていました
わたしの心が満たされないは、遊びが足りないと思った時期にはやたら外へ遊びに出かけ、人と積極的に交流することを試してみたり
それでも満たされないと、遊び方がいけないんだと思い、お金のかかるちょっと豪華な遊びを試してみたり
満たされない心は恋人のデートのチョイスが悪いんだと、休日には必ずわたしが楽しめることを!!なんて無茶ぶりをふっかけていたり(今思えばそうとうワガママ、ひどい彼女ですね~笑)
自分ではない他の誰かや物事で心の隙間を埋めようとしていました
わたしがアスペルガーという概念を受け入れてからは、満たされない心の原因を探して彷徨うことをやめることが出来ました
ようやくわたしの中での答えが分かったような気がしたからです
今は、わたしの心が満たされることはないということを前提に、その心と上手に付き合い、隣り合わせに感じながら生きているといった表現が一番しっくりきます
そう思えるようになったのは、身体や脳にとって必要な栄養素をサプリメントで摂取している事や、食事療法によって私自身がベストな体調でいられるように常に意識し、物理的に取り組んでいることが一番の要因だと思います
物理的にアプローチしなければ、例えアスペの概念を取り入れたところで、暗闇から抜けることは難しいと思います
決してこの孤独感や心の空虚感が0になることはないのかもしれない
多分、それはわたしがアスペだからです
けれど、今のわたしは例えこの孤独や心の空虚感がなくならかったとしても、それはそれでいい…。それでも良いんだ、幸せなんだと思えるように変化したのです
綺麗な空や、風になびく綺麗なグリーンの葉っぱを見て、美しいと思う
ほっぺにあたる気持ちの良い風を感じて、わたしの心が幸せを感じて満たされる
そんな時ほど、わたしは生きていてよかったと本当に心から思えるのです
その幸せを感じる感覚は、もしかしたら人とは違うのかもしれない…、人が幸せを感じる物事は千差万別だから
自分の幸せの感覚を、人と合わせることはないのです
社会の中に身を置くと、時にそれが分からなくなります
皆がああしているから…、こうしているから…、それが普通だから…、沢山の情報に埋もれ、時は余計な情報に埋もれ、幸せの基準のような枠に押し当てて考えがちです
周りの価値観や、概念に囚われることなく、自分が何に幸せを感じるのか、自分の物差しではかってみるといいでしょう
普段の生活や日常の中での幸せや喜びが希薄な分、自分の中でそれらを見つけた時、またそれらを感じた時の喜びは、例え一瞬だとしても、きっと普通の人が感じる何十倍もの喜びと幸せを感じるよう、そこでバランスがとれるようになっているのかなって…、
それをわたしは神様からのプレゼントだといつも思っています