分子栄養学講師の気ままなブログ

メンタルを変えるために奮闘!
栄養のこと、健康のこと、分子栄養学や日常やつぶやきなど
気ままに綴っています

アスペと幸せ(2)

2016年06月10日 | 発達障害

わたし自身が幸せを求めてかなりの間彷徨っていました 

わたしの心が満たされないは、遊びが足りないと思った時期にはやたら外へ遊びに出かけ、人と積極的に交流することを試してみたり

 それでも満たされないと、遊び方がいけないんだと思い、お金のかかるちょっと豪華な遊びを試してみたり

満たされない心は恋人のデートのチョイスが悪いんだと、休日には必ずわたしが楽しめることを!!なんて無茶ぶりをふっかけていたり(今思えばそうとうワガママ、ひどい彼女ですね~笑)

自分ではない他の誰かや物事で心の隙間を埋めようとしていました

わたしがアスペルガーという概念を受け入れてからは、満たされない心の原因を探して彷徨うことをやめることが出来ました

ようやくわたしの中での答えが分かったような気がしたからです

今は、わたしの心が満たされることはないということを前提に、その心と上手に付き合い、隣り合わせに感じながら生きているといった表現が一番しっくりきます

そう思えるようになったのは、身体や脳にとって必要な栄養素をサプリメントで摂取している事や、食事療法によって私自身がベストな体調でいられるように常に意識し、物理的に取り組んでいることが一番の要因だと思います

物理的にアプローチしなければ、例えアスペの概念を取り入れたところで、暗闇から抜けることは難しいと思います

決してこの孤独感や心の空虚感が0になることはないのかもしれない

多分、それはわたしがアスペだからです

けれど、今のわたしは例えこの孤独や心の空虚感がなくならかったとしても、それはそれでいい…。それでも良いんだ、幸せなんだと思えるように変化したのです

綺麗な空や、風になびく綺麗なグリーンの葉っぱを見て、美しいと思う

ほっぺにあたる気持ちの良い風を感じて、わたしの心が幸せを感じて満たされる

そんな時ほど、わたしは生きていてよかったと本当に心から思えるのです

その幸せを感じる感覚は、もしかしたら人とは違うのかもしれない…、人が幸せを感じる物事は千差万別だから

自分の幸せの感覚を、人と合わせることはないのです

社会の中に身を置くと、時にそれが分からなくなります

皆がああしているから…、こうしているから…、それが普通だから…、沢山の情報に埋もれ、時は余計な情報に埋もれ、幸せの基準のような枠に押し当てて考えがちです

周りの価値観や、概念に囚われることなく、自分が何に幸せを感じるのか、自分の物差しではかってみるといいでしょう

普段の生活や日常の中での幸せや喜びが希薄な分、自分の中でそれらを見つけた時、またそれらを感じた時の喜びは、例え一瞬だとしても、きっと普通の人が感じる何十倍もの喜びと幸せを感じるよう、そこでバランスがとれるようになっているのかなって…、

それをわたしは神様からのプレゼントだといつも思っています

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アスペと幸せ

2016年06月09日 | 発達障害

人との違和感、孤独を感じやすいアスペルガー

アスペルガーに限らず、発達障害全般・敏感な人(HSP/Highly Sensitive Person)の人達にとっては、人との価値観の違いなどによる生きづらさを感じて苦しんでいる人が多いと思う

ADHDは少し違うかもしれないけれど、アスペの傾向が強い人は特に孤独で生きていることに喜びを見出しづらいといった傾向があります(ADHDの人は友達も多く、社交的な人が多いかなって思う ←全ての人に当てはまる訳ではないと思うけれど)

悲しいことに(笑)、わたし自身もこれに当てはまります

と言うと、「何を贅沢な事を言っているんだ!!」と、顰蹙(ひんしゅく)をかうでしょうし、もちろん人からの理解などは得られません

喜びや幸せに対する感情が希薄なのかもしれません

こういった傾向が強い人は、何をしても満たされることがあまりなく、心満たされること・ものを探して彷徨います

”何をしてもあまり幸せを感じない・満たされない” 

悲しいことに、この気持ちが分かってしまう人が世の中に少なからず存在します

少数故に、さらに孤独で違和感を覚えます

大半の人は、結婚し、子供を儲け、休日には家族で買い物に出かけ、家族団欒を楽しみ、翌日からまた仕事に精を出す

またある別の日には、友人達と食事に出かけたり、自分の趣味の時間を楽しむなどして人生を充実させます

そうして自分の一生の人生を送っていく…これが普通なのでしょう

人とは違う価値観や考えが強いアスペルガーが、このふつうの枠にはまろうと努力すると悲惨です

自分が何者なのか、さらに分からなくなります つづく。

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発達障害と運動

2016年06月08日 | 発達障害

健康の為、ダイエットの為にと運動を定期的に、

継続して取り組んでいる人も多いかと思いますが、運動は健康のみならず、脳まで鍛えてくれることが近年分かってきているようです


発達障害の症状の改善にも運動は有効であるという事が書かれていて、最近サボりがちなランニングに”行かなくては!!”

と、そわそわし出してしまいながら、何故か慌ててこの本を読んでいました

脳を鍛えるには運動しかない

脳を鍛えるには運動しかない! 最新科学でわかった脳細胞の増やし方
John J. Ratey,Eric Hagerman,野中 香方子
NHK出版

途中で、ランニングしながらkindleの音声読み上げで聞けばいいではないかとようやく気づきました

ランニングも出来て、本までで読めて(聞けて)なんて効率的

 「脳を鍛えるには運動しかない」の第六章~注意欠陥障害~の項目より、一部抜粋

現在、ADHDについては医学的な研究が進み、態度の問題ではないことがはっきりしている。そうでなければ遺伝するはずがない。~略~

また、1990年にはADHDが生物学的な異常によるものだということを証明する研究が発表された。アメリカ国立精神衛生研究所のアラン・ザメトキンとその同僚によるもので、彼らはPET(陽電子放射断層撮影装置)で成人の脳の活動を測定し、注意力テストを受けているとき、ADHDの人の脳は、そうでない人の脳とはたらきが違うことを示した。

ADHDのグループは対象グループと比べて脳のはたらきが10%低く、最も著しい違いは前頭前野に認められたのだ。そこは行動を調整していて、運動によるプラスの効果が現れやすい部位でもある。

発達障害の人にとって、脳を鍛えることは重要です必要な栄養素やサプリメントの摂取も大切ではありますが、運動の習慣をまずはつけておくことも大切かもしれません

運動により脳を鍛えることが出来き、発達障害の改善にも有効的であるということは近年の研究結果からも分かってきているようですし、その成果について実例を挙げながら、分かりやすく説明している比較的読みやすい一冊です

わたしは2013年の夏からジムに通い始め、ピーク時にはほぼ毎日のように、一日少なくても1時間の運動を必ずしていました

当時はただ健康的な体と、良い習慣を目指して、2年くらいは絶対に続けようと始めたことがきっかけでしたが、今思えばその運動こそが私の脳を鍛えていたことに繋がっていたのかと、この本を読んで改めて感じることが出来ました

(2015年の秋頃まででジムは辞めてしまったのですが

時間がないのと、自己流で走ることの膝への負担を理由に(注こういうのを言い訳とい言う)最近はあまり運動をしていませんでしたが、2年の習慣によるお陰なのか、今でも走りに行くことにさほど抵抗はありません

走ることによって、甘いものを食べたりした時と同じような幸福感・爽快感を覚えられることが自分の体感から分かっているからかもしれません

運動が脳にとってどのように良いのか、どういった効果がみられるのかをより詳しく理解することが出来るし、運動を始めるきっかけ作りには良い一冊かなと思います

近所のスーパーまで10分程度でもいいから早歩きで歩くといった、小さなことからでも一日の中に習慣として取り入れてみるとことから始めてみると、意外と続け易いかもしれません

わたしもまた少しずつでもいいから、一週間の内に運動する時間を取り入れていかないと…そう思える一冊でした

脳を鍛えるには運動しかない

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片づけられない女たちと片づけは出来るわたし

2016年06月06日 | 発達障害

”片づけられない女たち”という本がむかし流行りました→

読んだことはなくても、この本の題名を聞いたことがあるという人は多いと思います

(わたしもまだ読んでいないんですけど)

この本がきっかけで、”片付けられない” ”おっちょこちょい” ”忘れ物が多い” ”モノをよくなくす” ”不注意”などなど、自分の性格だと思い続けて長年苦しんだ理由が、実は性格ではなく障害の一つだったと気が付いたという人が沢山います

著者自身がADDであるということから、同じように悩み苦しむ人には共感して読めるのではないかと思います

ADDとはアメリカの精神医学会診断基準が定めたもので注意欠陥障害呼ばれ、ADHDとは注意欠陥に多動・衝動性が加わったものとして考えられています

ADHDの特徴として、不注意・多動性・衝動性がスペクトラム*に連動しあい、症状の出方や程度にはかなりの個人差があります

スペクトラム*…これといった障害の線引きや境界がなく、軽度重度といった症状の出方にも明確な境はないこと(わたしはよく虹色をイメージしますいくつもの色が微妙に混ざりあい重なりあって綺麗な色を出していますよね)

モデルの栗原類さんも、自らADDであると、確か告白していますよね

スペクトラムなだけに、発達障害にはかなりの個人差があり、自分の苦悩の原因が発達障害からくるものだと気づく機会はなかなか少ないと思います

もしも仮に、発達障害のことをあまりよく知らない昔の私が、”片づけられない女たち”という本を本屋さんで見かけたとしても、私には関係のない話(本)であると、間違いなく思ったことでしょう

わたしには”片付けらない”という症状が際立ってあるわけでないからです

けれど多動や注意欠陥な面はやはりあり、部屋を掃除しようと掃除道具をとりにいこうとした矢先、洗濯物が目に留まり洗濯機のスイッチをオンに、と、そこで洗濯物の衣類の中にほつれのある洋服を発見今度は裁縫セットを取りにまたリビングへすると今度は台所に乾かしてあった食器を見かけて無性に今すぐ片付けたくなり…食器棚に戻そうと扉を開けると、全ての食器の配置や食器の重なり具合がまたまた無性に気に食わなく思えてきて、わたしのなかのこだわりの配置で美しく綺麗に整理整頓し直したくなる…

あれ?掃除は?洗濯は?裁縫は?と、次から次へと対象が変化してしまい、家中眺めるとどれもが結局中途半端に進行中…なのに私は目に留まったものを見つけてはあれもしなきゃこれもしなきゃと、家中せっかちに駆け巡っているなんてことはよくあることです

(他にもおっちょこちょいネタは沢山あります

けれど、私自身このことにさほど困ってはいません生活にさほど支障はないし、せっかちと思われたり言われたりすることはたとえあったとしても

それまでの事と思える程度なのです

このことがわたしの人生の生きづらさにはならないのです

(わたしの場合は自閉症スペクトラムの方の影響が強いためか、人付き合いや集団・社会生活の方に支障をきたしていると言える笑)

それはわたしのこの症状が軽いことと、生活に支障が出るものではないからだと思います

しかし、注意欠陥、多動性、衝動性の症状が強く、そのことが仕事や生活に支障をきたしている人たち

(何故自分はこんなにもダメなんだろう?)

(何度やっても同じミスを繰り返してしまうのだろう?)

自分への劣等感が強まる一方で、その原因も分からずに苦しんでいる人がまだまだ沢山いるのではないかと思います

 ”おっちょこちょい”や”だらしない”とは、ある意味発達障害の人に限らず、定型発達(発達障害ではない普通の人)の人にもあるものですよね??

決して特別な症状ではないんです

だからこそ、本人の苦悩とは裏腹に、他人からは気付かれづらい、理解されづらいんです

問題は、どの程度その人の生活に影響し、本人が困っているかによると思います

生きづらさの原因はひとそれぞれです

本人が苦しんでいるのであれば、やはり早急にその原因解決の為に出来ることに取り組むことが大切だと思います

現在の病院や支援センターなどでも、その改善のための手段を正しく提供する場があまりに少ないようにも私は思えてしまうのが悲しいところですが…

そういった意味でも当事者の方が書かれた本などは、いかに生活日常をよりよく生きていくかを自身で取り組み、実践してきた、説得力のあるものが多いかと思いますので、読んだ人が実際に役立てていきやすいと思います

発達障害とは、”障害”と名前を付けられはしても、個性、特徴とも言えるべきものです症状の線引きがないことからも、そう言えますよね

しかし、それは症状を改善させてからの話です

本人が苦しくて困っていたり、(多動や衝動性により暴言や奇怪な行動で他人に迷惑をかけるほどであれば尚更)、日常生活に支障をきたして、生きづらいと感じているのであれば、個性や特徴なんですなんてのん気なことは言っていられません

発達障害の人がよりよく生きているためにも、自分自身がしっかりと生活環境の設定を自身で見直し、改善のために取り組んでいかなくてはならないのです

それは、”片付けらない”などと言われがちなADHD、ADDに限らず、自閉症、アスペルガーなどの発達障害を抱える全般の人に共通して言えることだと思います 

一人一人がそのように生きていくことで、生きづらさを抱えて生きる人が少しでも減って、更にその人の個性と才能が存分に発揮していけるようになる

そんな人たちが溢れたら、今よりもさらにより良い世の中にどんどんなっていきそう発達障害もなかなか悪くないじゃんって、そんな風に明るく思えてきます

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脳器質を逆手に考える

2016年06月05日 | 発達障害

"生きづらさ"というのはマイナスでしかないと思っていました

わたしが気づいたことは、脳に必要な栄養素がバランスよく整っているだけでも、ある程度は幸せになれるということ

(幸せを感じられるようになるということ)

私とおんなじのようなタイプの人は、日常生活の中での思考力が常にフル回転かと思います

様々なことが頭の中を駆け巡っています

それがまともで向上的な思考ならまだしも、無駄な思考のほうが多いとも言える

あの人にどう思われた?とか あんな事を言ってしまって大丈夫だったろうか?とか 無駄な心配をして、生活は常にストレスな状態に陥りがちです

急な予定変更、例えば予期しない友人や知人からのメールにもそれは当てはまります

「今日暇?」といった突然のお誘いのメールや、相談メールなど

返信するまでそわそわしてしまうし、そのことに考えを縛られると、気持ちの切り替えがうまく出来ずにすべてのことに集中力がなくなってしまいそのことに焦るなんてこともしばしば

せっかちな部分はまぁしょうがないとしても、時折見せる気分の乱高下は人生の質を低下させることは間違いないです

考える必要のないことまで考えるのは時間の無駄ですから

まず脳に必要な栄養素をしっかり行き渡らせてあげることは必須条件だと思いますが、そうする事で冷静な判断力ややる気も出てきて、精神状態は安定してきます 小さな、些細なことに悩まなくなるということは、生活の質がだいぶ変わってくるとも言えます

様々な情報に、人よりも過度に反応する脳器質はやっかいではあるけれど、そのマイナスを少しでも改善させることで、アスペルガー特有の症状を良い方向に持っていくことも出来るのです

マイナスに目を向ければ山ほどありますが、少しでも改善出来ればプラスの症状が顔を出します

"変わっている"とか、"変な人"とか、言われてもそれはそれでいいじゃないかそう思えることが大切かもしれません

 自分が変わっていることに誇りを持てていなければつらいだけです

変わっているこで、その人にしか出来ないことがきっとあるはずですから

限局された興味や関心を持つ傾向にあるアスペルガーですが、例えばその興味関心が、その人にとって最大の武器になることだってあるからです

自分を好きになるために勇気が貰える、おすすめな一冊です→変わり者でいこう

ある意味、人と違っている人が生きづらさをあまり感じずに生きていくには、自分のマイナス面をいかに出さずに、プラス面を活かせる場にいるか

つまり、自分が身を置く環境設定が大切になってくるかもしれません

社会不適合者で集団生活が苦手なアスペにとって、その”場”というのが、組織の中に身を置くことではないということは間違いないかもしれませんが

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