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帯とけの新撰和歌集
歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。
紀貫之 新撰和歌集巻第四 恋雑 百六十首 (二百三十三と二百三十四)
わたつみの底の心はしらねども 人をみるめはからむとぞ思ふ
(二百三十三)
(海神の底の心は知らないけれど、人を見る目は、人の命は、海藻は、刈り取ろうとだ、思っているぞ……女神の、そこの心は知れないけれど、人のお、見るめは、刈りとるぞ、絡むぞ、と思っている)。
言の戯れと言の心
「わたつみ…海…海神…女神…女」「そこ…底…其処」「人を…人間どもを…男のおを」「みるめ…海藻…見る目…見るめ…見る女」「見…目で見ること…覯…媾…まぐあい」「め…目…女」「からむ…刈らむ…刈り取ろう…駆らむ…駆りたてよう…絡む…絡みつく」。
古今集の歌ではない。
歌の清げな姿は、海難の恐ろしさ。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、女かみのめを、畏れ、怖れる、おとこのありさま。持久力、生産力など生命力に於いて「を」が「め」に優る事柄は何一つないための畏怖。
思ひきやひなの別れに衰えて あまのなはたきいさりせむとは
(二百三十四)
(思ったか思いもしなかったなあ、鄙への別れに衰えて、海人の縄を手繰り、漁をしょうとは……思ったか思いもしなかったよ、宮こ落ちしての別れに衰えて、吾女の汝は多気、座ったまま手繰られようとは)。
言の戯れと言の心
「ひな…鄙…都から遠く離れたところ…宮こ(絶頂)から落ちて遠く離れたところ」「わかれ…別れ…ものの果てでの別れ」「あま…海人…海女…吾ま…わが女」「なは…縄…網の縄…腰の縄…汝は…そこは」「名…汝…親しきものの称」「たき…たぐり…手繰り…多気…多情」「いさり…漁…ゐざり…座ったまま移動する…坐したまま手繰り寄せられる」。
古今和歌集 雑歌下に「隠岐の島に流されて侍る時によめる」とある。
歌の清げな姿は、流人の島での生活を詠じた。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、男、衰えて、ものも足腰も立たなくなったか、多情な吾女に、尻ごみするも手繰られるありさま。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。