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帯とけの新撰和歌集
歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。
紀貫之 新撰和歌集 巻第四 恋雑 百六十首(二百七十一と二百七十二)
むら鳥の立ちにし我が名いまさらに ことなしぶともしるしあらめや
(二百七十一)
(群がる鳥のように、騒がしく立ってしまった我が恋の噂、今更そんな事無い振りしても、効きめあるだろうかない……群がる女が絶った、我が汝、今更に、何事も無かった振りしても、兆しあるだろうか、そのままだろうなあ)。
言の戯れと言の心
「鳥…女」「の…比喩を表す…主語を示す」「たちにし…(噂が)立った…絶った…断った…こと尽きた」「な…名…評判…うわさ…汝…親しきものの称…これ…こいつ…おとこ」「しるし…験…(噂否定の)効きめ…(復活の)兆し」「や…反語の意を表す…詠嘆の意を表す」。
古今和歌集 恋歌三。題しらず、よみ人しらず。男の歌として聞く。
歌の清げな姿は、恋の噂が立ってしまった、今更どうしょうもない男の嘆き。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、群がるとりに絶たれたのかな、汝身絶えてしまった。男の嘆き。
今の人々に、鳥の「言の心」は女などということを、どのように知らせたらいいのか。唯そうと心得るだけのことで理屈はない。『古事記』を読みましょう。
八千矛の神が沼河ひめを、よばはむ(求婚せむ…夜這はむ)と、家に至りて、おとめ達(侍女たち)のやすむ所の、板戸を押したり、引いたりされたので、女たちは泣き騒いだ。それは、次のように詠われてある。
「青山にぬえ鳥は鳴きぬ、さのつ鳥雉はとよむ、庭つ鳥かけは鳴く、うれたくも(心痛くも)鳴くなる鳥か、この鳥も、うち止めこせね(すぐ止めさせてくれ)」。
そのとき、沼河ひめは、板戸を未だ開かず、内よりお詠いになられた。
「八千矛の神の命、ぬえ草の女にしあれば、わが心、浦渚の鳥ぞ、今こそは我鳥にあらめ、後は、汝鳥にあらむを、命はな殺せたまひそ」。
神代に、すでに、鳥の言の心は女であったと心得るしかない。
あしたづの立てる川辺を吹く風に 寄せてはかへらぬ浪かとぞ見る
(二百七十二)
(葦鶴が立っている、川辺を吹く風のために、寄せては返らない白浪かと見える……あしき女が絶てる、かは辺を吹く春風により、寄せては繰り返せない汝身かと見る)。
言の戯れと言の心
「あし…葦…悪し」「たづ…鶴…鳥…女」「たてる…(洲に)立っている…(すにより)絶った」「す…洲…女」「かは…川…女」「風…心に吹く風…春風など」「に…のために…により」「なみ…浪…白波…白汝身…絶えたおとこ」「見る…目で見る…思う」「見…覯…まぐあい」。
古今和歌集 雑歌上。法皇が西川にて「鶴洲に立てり」という題で詠ませられたので、詠んだ男の歌。
歌の清よげな姿は、川の州に立つ鶴の風情。歌は唯それだけではない。それだけでは歌ではない。
歌の心におかしきところは、あしきとり、すにて汝身を絶てり、というところ。
心におかしきところが歌の命。この歌は、「あしたづ」に絶たれたのか、「たづ」達を断って入道された法皇ご自身のことを詠んだ歌。お聞きになられた法皇、きっとお笑いになられたでしょう。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。