帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集巻第四 恋雑(二百六十一と二百六十二)

2012-08-17 00:07:46 | 古典

   



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第四 恋雑 百六十首
(二百六十一と二百六十二)


 綱手ひく響の灘のなのりその 名のり初めでも逢はでやまめや
                                 
(二百六十一)

 (船の綱引く響の灘の海藻なのりその、名のり初めなくても、逢はずに止められようか、やめられない……引く手あまたの、評判の、娶り難い女が、名のり、汝のり初めてからでも、合わずに止められようか、止められない)。


 言の戯れと言の心

 「つな…綱…緒…男」「ひく…引く…採る…引きぬく…娶る」「響の灘…風浪高い船の難所の名…名は戯れる。評判の娶るのは難しい女」「灘…浦…江…女」「なのりそ…海藻の名…名は戯れる。なのり磯、名のり女、汝のり女」「藻…海草…女」「磯…岩…渚…女」「な…名…汝…おとこ」「初めでも…初めなくても…初めても…初めたとしても」「あはで…逢わず…合わず…和合せず」「やまめや…止まめや…止められようか…止めるだろうか、やめない」「め…む…推量の意を表す…意志を表す」「や…疑問の意を表す…反語の意を表す」。


 古今和歌集の歌ではない。よみ人しらず。


 歌の清げな姿は、恋の初めのせつない心。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、和合の切なる願い。


 今の人々は、海草や藻がなぜ女なのかと問いたくなるでしょう。その問い自体が間違っている。論理的考察には適さない事で、言葉の色々な意味は使用例から、そうと心得るしかない。万葉集の藻に寄せて詠んだ歌を一首聞きましょう。巻第七 譬喩歌 寄藻。女の歌として聞く。

 しほ満てば流れ入る磯の草なれや 見らく少なく恋ふらくのおほき

(潮満てば流入する磯の草なのか・わたしは、見ること少なく、恋しいことが多い……しお満てば流れ入る磯の草なのか・わたしは、見ること少なく、乞うことの多い)。


 心得るしかない言の戯れと言の心

 「しほ…潮…しお…おとこ」「いそ…磯…女」「草…海草…藻…女」「見…覯…媾…まぐあい」「恋…乞い」。

 


 みやこまで響きこゆる唐琴は 浪の緒すげて風ぞ弾きける
                                 
(二百六十二)

 (都まで、響き聞こえる唐琴は、浪の弦付けて、風が弾いていたことよ……宮こまで、響き渡る空しい歓声は、汝身のお、すげて、心に吹く風が奏でていたのだなあ)。


 言の戯れと言の心

 「みやこ…都…京…宮こ…極まり至ったところ」「ひびき…音の響き…評判」「からこと…唐琴…土地の名…楽器の名…名は戯れる。空言、嘘言、空事、実は空しい事」「なみのを…浪の緒…汝身のお…おとこ」「すげて…とりつけて…穴に緒を通し付けて」「を…緒…おとこ」「風…心に吹く風…春風など」「ける…けり…詠嘆を表す」。


 古今和歌集 雑歌上。唐琴と言ふ所にてよめる、法師の歌。


 歌の清げな姿は、唐琴という所の名での遊び。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、空事の絶頂での女の空言を、汝身の緒をすげた女心に吹く風が弾いていたのだというところ。



 これらの歌は万葉集の歌とほぼ同じ文脈にある。歌の様も言の心も同じである。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず

 
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。