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帯とけの新撰和歌集
歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。
紀貫之 新撰和歌集巻第四 恋雑 百六十首 (二百三十五と二百三十六)
つれなきを今は恋ひじと思へども 心よわくもおつる涙か
(二百三十五)
(よそよそしく冷たいので、今はもう恋いしないと思うけれども、心弱くも落ちる涙よ……連れだってゆかないのに、今はまた乞いしようと思うけれども、心弱くも落ちる汝身唾か)。
言の戯れと言の心
「つれなき…よそよそしい…冷淡な…連れない」「を…ので…のに…接続詞…なあ…感嘆・詠嘆を表す」「今は…今はもう…今は又」「恋ひじ…恋しない…乞いし…乞いする」「おつる…落ちる…垂れる…強ければ放つもの、射るもの」「なみだ…目の涙…もののなみだ…汝身唾…おとこの唾」「なみ…汝身…親しきもの…おまえ…おとこ」「だ…唾…唾液…垂れ液」。
古今和歌集 恋歌五。寛平御時、后宮歌合歌。
歌の清げな姿は、失恋の涙の歌。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、なおも求めようとするけれど、心弱くも、こぼれ落ちるおとこ涙の歌。
世の中の憂きもつらきも告げなくに まづしるものは涙なりけり
(二百三十六)
(世の中の憂きも辛きも、伝えていないのに、真っ先に知っているものは涙だったのだ……夜の仲の浮きも辛きも、知らせていないのに、先ず汁ものは、汝身唾だったなあ)。
言の戯れと言の心
「世の中…男女の仲…夜の中」「うき…憂き…いやだと思うこと…浮き…心浮き浮きすること」「つらき…辛き…苦しき…辛抱できない」「しる…知る…汁…液」「なみだ…目の涙…汝身唾…おとこのなみだ」「けり…だったのだなあ…いま気付いての詠嘆」。
古今和歌集 雑歌下。題しらず、よみ人しらず。
歌の清げな姿は、辛い時など自然に流れ落ちる涙の歌。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、おとこの親に言われるまでもなく、浮き時、辛抱できない時、ほとばしるおとこなみだの歌。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。