帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集巻第四 恋雑(二百三十五と二百三十六)

2012-08-02 00:11:01 | 古典

   



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあると
いう。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集巻第四 恋雑 百六十首
(二百三十五と二百三十六)


 つれなきを今は恋ひじと思へども 心よわくもおつる涙か
                                  
(二百三十五)

 (よそよそしく冷たいので、今はもう恋いしないと思うけれども、心弱くも落ちる涙よ……連れだってゆかないのに、今はまた乞いしようと思うけれども、心弱くも落ちる汝身唾か)。


 言の戯れと言の心

 「つれなき…よそよそしい…冷淡な…連れない」「を…ので…のに…接続詞…なあ…感嘆・詠嘆を表す」「今は…今はもう…今は又」「恋ひじ…恋しない…乞いし…乞いする」「おつる…落ちる…垂れる…強ければ放つもの、射るもの」「なみだ…目の涙…もののなみだ…汝身唾…おとこの唾」「なみ…汝身…親しきもの…おまえ…おとこ」「だ…唾…唾液…垂れ液」。


 古今和歌集 恋歌五。寛平御時、后宮歌合歌。

 
 歌の清げな姿は、失恋の涙の歌。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、なおも求めようとするけれど、心弱くも、こぼれ落ちるおとこ涙の歌。

 


 世の中の憂きもつらきも告げなくに まづしるものは涙なりけり
                                  
(二百三十六)

 (世の中の憂きも辛きも、伝えていないのに、真っ先に知っているものは涙だったのだ……夜の仲の浮きも辛きも、知らせていないのに、先ず汁ものは、汝身唾だったなあ)。


 言の戯れと言の心

 「世の中…男女の仲…夜の中」「うき…憂き…いやだと思うこと…浮き…心浮き浮きすること」「つらき…辛き…苦しき…辛抱できない」「しる…知る…汁…液」「なみだ…目の涙…汝身唾…おとこのなみだ」「けり…だったのだなあ…いま気付いての詠嘆」。


 古今和歌集 雑歌下。題しらず、よみ人しらず。

 
 歌の清げな姿は、辛い時など自然に流れ落ちる涙の歌。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、おとこの親に言われるまでもなく、浮き時、辛抱できない時、ほとばしるおとこなみだの歌。

 


 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。