帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集巻第四 恋雑(二百六十五と二百六十六)

2012-08-20 00:13:34 | 古典

   



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第四 恋雑 百六十首
(二百六十五と二百六十六)

 

 人しれぬ思ひのみこそわびしけれ 我がなげきをば我のみぞしる
                                 
(二百六十五)

(ひとに知られず恋しく思うのだけは、心細くつらいことよ、我がため息をば、我だけが知っている……ひとに感知されない、思火の身こそ、みすぼらしいことよ、我が無げ気おは、我の身ぞ汁)。


 言の戯れと言の心

 「人…人々…ひと…女」「しれぬ…知られぬ…感知されぬ」「わびし…心細い…ものさびしい…みすぼらしい…つらい」「なげきをば…嘆きをば…溜息をば…嘆きおは…無げ気おは…無気力なおは」「を…対象を示す…おとこ」「のみぞしる…だけが知っている…だけが感知している…の身ぞ汁」「のみ…限定の意を表す…の身」「しる…知る…汁…身から滲み出るもの」。


 古今和歌集 恋歌二。題しらず、男の歌。


 歌の清よげな姿は、男の片思い、忍ぶ恋の溜息。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、おとこの片思火、おとこの嘆く涙。

 

 
 あかなくにまだきも月の隠るゝか 山の端にげていれずもあらなむ
                                 
(二百六十六)

(夜明けでないときに、早くも月が隠れるか、山の端逃げて入れないでほしい……飽き足りないのに、その時ではないのに、月人おとこが隠れるか、山ばの端、逃げて、入れないでおくれ)。


 言の戯れと言の心

 「あかなくに…明けないのに…飽きないのに」「月…月人壮士…男…おとこ」「かくるゝ…隠れる…隠棲する…出家する…亡くなる…逝く」「山…山ば」。

 

 古今和歌集 雑歌上。業平朝臣。男の詠んだ女歌。

 
 歌の清げな姿は、山の稜線に隠れる月を惜しむ情景。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、女の立場で、つき人おとこの隠れるのを惜しむ心情。

この歌には深い心がある。
 
 伊勢物語
(第八十二、八十三)
などより作歌事情。


 惟喬親王という方が居られた、第一皇子であったけれども母は藤原氏ではなかった。第二皇子が即位され、この幼帝を擁して藤原氏が摂政となった。その帝に皇子が誕生すると二歳で立太子させた、その頃の話。


 惟喬親王は、世情に失望されている中、体調もすぐれなかったか、年毎の花見と狩りに出かけられたが、いつもの様子ではなかった。「狩りはねんごろにもせで」「歌の返しえしたまはず」、離宮に帰って、酒を飲み語り明かそうとしたが、明けぬうちに酔って寝所の入ろうとされる。今、二十九歳の親王が童であられたころよりお仕えしていた男が、親王の出家の決意を察知したか、月人壮士が隠れようとしている、山ばの果て逃げて、入れないでくれと詠んだ。



 伝授 清原のおうな

 
 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず
  
  
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。