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帯とけの新撰和歌集
歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。
紀貫之 新撰和歌集 巻第四 恋雑 百六十首(二百七十三と二百七十四)
人知れずやみなましかばわびつゝも なき名ぞとだにいはましものを
(二百七十三)
(人知れず、恋仲止めたのならば、つらいと思いながらも、事実無根の噂よとばかり言えばいいのだけれど……ひと知れず病むのならば、心細く思い、筒も、実無き汝なのねとばかり、言ったでしょうに)。
言の戯れと言の心
「やみ…止み…病み」「まし…もし何々だったら何々だっただろうに」「わびつゝ…辛いと思いながら…心細く感じつつ」「つつ…継続を表す…筒…中空…虚」「なき…無き…実の無い…虚の」「な…名…評判…噂…汝…おとこ」「ぞ…強調や断定の意を表す」「だに…だけでも…強調」「ものを…のになあ…感嘆、詠嘆の意を表す…(止めたとか病だとか公言なさるのだから)あゝ」。
古今和歌集 恋歌五。題しらず。帝とも浮名をたてた宮廷女房の歌。
歌の清げな姿は、恋の終わりの噂が立った女の嘆き。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、病故に断つと言われた女の詠嘆。
ふるさとの野中の清水ぬるけれど もとの心を知る人ぞくむ
(二百七十四)
(故郷の野中の清水温いけれど、わたしも今や愚鈍だけれど、元の心を知る人は、心を汲んで思いやりがある……古さ門の盛りで無い中のし満つ、ゆるく締まりはないけれど、元の心を知る男は、組み合う)。
言の戯れと言の心
「ふるさと…故郷…生まれ育ったところ…古里…古い女…古妻…古さ門」「と…門…女」「野中…山ばでない中…盛りで無い中」「しみづ…清水…清き女…しみつ…し満つ」「し…士…子…おとこ」「水…女」「ぬる…温…にぶい…愚鈍である…ゆるい…しまりがない」「くむ…汲む…水を汲む…心を思い遣る…組む…組み合う」。
古今和歌集 雑歌上。題しらず、よみ人しらず。初句「いにしへの」。女の歌として聞く。
歌の清よげな姿は、年を経て故郷へ帰った人の感慨のよう。歌は唯それだけではない。唯それだけでは歌ではない。
歌の心におかしきところは、くむ夫へ古妻の古さ門の感謝感激のよう。
おとこも、おんなも栄枯盛衰がある。酷使、病、老いによる衰え、原因は色々。そのような歌が並べられてある。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。