帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集巻第四 恋雑(二百五十三と二百五十四)

2012-08-13 00:05:02 | 古典

   



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第四 恋雑 百六十首
(二百五十三と二百五十四)


 木の間より影のみ見ゆる月草の うつし心はそめてしものを
                                 
(二百五十三)

 (木の間より影だけ見える月の草のよう、生の心は色に染めていたのに、色変わりする……この間より陰りの身、見える、尽き具さのよう、現に生の男心は初め色に染めていたのになあ)。


 言の戯れと言の心

 「このま…木の間…此の間…子の間」「間…女」「かげ…影…光…陰…陰り」「みゆ…見ゆ…目に見える…見ている」「見…覯…媾…まぐあい」「月草…草の名…染料…変色しやすい染料…(万葉集では)移ろう、消えるの枕詞」「つきぐさ…月人壮士の具さ…尽き具さ…尽きたおとこ」「の…比喩を表す」「うつし心…夢や幻ではない現実の心…現に生きている心」「そめ…初め…染め」「ものを…のに…のになあ(詠嘆の意を含む)…のに(色情が変わってしまうことよ)」。

 

 古今和歌集の歌ではない。よみ人しらず。女の歌として聞く。


 歌の清げな姿は、男の心変わりに、女の詠嘆。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、おとこの色情変わりに、この間の詠嘆。



 雁のくる峰の朝霧はれずのみ 思ひつきせぬ世の中の憂さ
                                  (二百五十四)
 (雁の来る峰の朝霧、晴れはしない、思い尽きない、世の中の憂さ……かりの繰る山ばの峰の浅切り、心晴れやしない、思火尽きない、夜の仲のつらさ)。

 
 言の戯れと言の心

「かり…雁…鳥…女…狩り…あさり…むさぼり」「くる…来る…繰る…繰り返す」「山…山ば」「峰…山の頂…山ばの頂上…京…絶頂」「あさきり…朝霧…朝限り…浅切り」「はれずのみ…晴れやしない…心晴れやしない」「のみ…ばかり…強調する意を表す」「世の中…男女の仲…夜の仲」「うさ…憂さ…苦しさ、厭さ、辛さ…相手の薄情さ、冷淡さ」。


 古今和歌集 雑歌下。題しらず、よみ人しらず。女の歌として聞く。


 歌の清げな姿は、世情のひどさやつらさ。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきとろは、山ばの峰でのおとこの浅ぎりによる、女の憂さ。

 


 両歌とも、歌の言葉を一義に聞く限り、表向きの意味さえ、心には伝わらない。ましてや、心におかしきところなど聞こえない。言の戯れを知らず「言の心」など何かも知らない今の人々には「くだらない歌」でしょう、路傍の石の如く捨て置かれてあるでしょう。

 当時の心得ある男たちにとっては、女のこの詠嘆は心当たりがあるので、心におかしい。そのような「絶艶之草」を集め並べたのが新撰和歌集である。
 
 「草…起草…草稿…歌の案…想」「草…女」。

 


 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず

  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。