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帯とけの新撰和歌集
歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。
紀貫之 新撰和歌集 巻第四 恋雑 百六十首(二百六十七と二百六十八)
石上ふるとも雨にさはらめや 逢はむと妹にいひてしものを
(二百六十七)
(いそのかみ降ったとしても、雨に障るだろうか関係ない、逢おうと愛しい人に言ったのだから……いその上、降るとも、おとこ雨に障るだろうかあ、合おうと愛しいきみに言ったのになあ)。
言の戯れと言の心
「いそのかみ…石上…古き都…ふるの枕詞…女」「いそ…磯…石…女」「上…女の敬称」「あめ…雨…おとこ雨…おとこの果ての涙」「さはらねめや…さし障るだろうかいや関係ない…さし障るだろうなあ」「や…疑いの意を表す…反語の意を表す…詠嘆の意を表す」「あふ…逢う…合う…和合する」「ものを…のだから…のに」。
万葉集巻第四 大伴宿祢像見の歌。第四、五句「将關哉 妹似相武登(さはらめや、妹にあはむと)」。「關」は「関」の旧字体。関所の関。閉じる、さしさわる、はばむ。
歌の清げな姿は、雨が降ろうが何が降ろうが妹に逢いに行くぞという、男の決意表明。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、お雨ふれば果てるおとこの儚いさがのために、和合できるか疑問、詠嘆。
思ふよりいかにせよとか秋風に なびく浅茅の色ことになる
(二百六十八)
(惜しいと思うより他に、如何にせよと言うのか、秋風になびく浅茅の色異になるのを……君を思うより他に、どうしろと言うのよ、飽き満ちて倒れ伏す、あさはかな草の矛が色変わりするのを)。
言の戯れと言の心
「秋風…飽き風」「風…心に吹く風」「なびく…倒れ伏す…よれよれになって伏す」「浅茅…丈の低い茅…おばな・すすきと共に男…浅はかなおとこ」「矛…ほこ…つわもの…おとこ」「色…色彩…色情…色欲」。
古今和歌集 恋歌四。題しらず。よみ人しらず。女の歌として聞く。
歌の清げな姿は、人にはどうにもならない季節の移ろい。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、女にはどうしようもない浅はかなおとこのさが。
紀貫之は、おとなの男たちのために、このような歌集を編纂した。共に楽しめるかな。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。