帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集巻第四 恋雑(二百六十七と二百六十八)

2012-08-21 00:01:55 | 古典

   



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第四 恋雑 百六十首
(二百六十七と二百六十八)


 石上ふるとも雨にさはらめや 逢はむと妹にいひてしものを
                                 
(二百六十七)

 (いそのかみ降ったとしても、雨に障るだろうか関係ない、逢おうと愛しい人に言ったのだから……いその上、降るとも、おとこ雨に障るだろうかあ、合おうと愛しいきみに言ったのになあ)。


 言の戯れと言の心

 「いそのかみ…石上…古き都…ふるの枕詞…女」「いそ…磯…石…女」「上…女の敬称」「あめ…雨…おとこ雨…おとこの果ての涙」「さはらねめや…さし障るだろうかいや関係ない…さし障るだろうなあ」「や…疑いの意を表す…反語の意を表す…詠嘆の意を表す」「あふ…逢う…合う…和合する」「ものを…のだから…のに」。


 万葉集巻第四 大伴宿祢像見の歌。第四、五句「将關哉 妹似相武登(さはらめや、妹にあはむと)」。「關」は「関」の旧字体。関所の関。閉じる、さしさわる、はばむ。


 歌の清げな姿は、雨が降ろうが何が降ろうが妹に逢いに行くぞという、男の決意表明。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、お雨ふれば果てるおとこの儚いさがのために、和合できるか疑問、詠嘆。

 


 思ふよりいかにせよとか秋風に なびく浅茅の色ことになる
                           
(二百六十八)

 (惜しいと思うより他に、如何にせよと言うのか、秋風になびく浅茅の色異になるのを……君を思うより他に、どうしろと言うのよ、飽き満ちて倒れ伏す、あさはかな草の矛が色変わりするのを)。


 言の戯れと言の心

 「秋風…飽き風」「風…心に吹く風」「なびく…倒れ伏す…よれよれになって伏す」「浅茅…丈の低い茅…おばな・すすきと共に男…浅はかなおとこ」「矛…ほこ…つわもの…おとこ」「色…色彩…色情…色欲」。


 古今和歌集 恋歌四。題しらず。よみ人しらず。女の歌として聞く。


 歌の清げな姿は、人にはどうにもならない季節の移ろい。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、女にはどうしようもない浅はかなおとこのさが。

 

  紀貫之は、おとなの男たちのために、このような歌集を編纂した。共に楽しめるかな。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず

 
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。