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帯とけの新撰和歌集
歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。
紀貫之 新撰和歌集 巻第四 恋雑 百六十首(二百四十九と二百五十)
葦鴨のさわぐ入江の白浪の しらすや人をかく恋ひむとは
(二百四十九)
(葦鴨の鳴き騒ぐ入江の白浪が、知らせるか、人をこのように恋しがっているとは……脚が物、さわぐ入江の、白汝身の知らないのか、人お、このように乞うているとは)。
言の戯れと言の心
「あしかもの…葦鴨の…悪し女の…脚が物」「鴨…鳥…女」「さわぐ…鳴き騒ぐ…心が騒ぐ…情念が騒ぐ」「江…女」「しらなみ…白浪…白汝身…白けたおとこ…色あせたおとこ」「な…汝…親しみを込めた対称」「しらす…知らす…知らせる…知らず…知らない」「や…疑いの意を表す…感嘆、詠嘆の意を表す」「人を…男を…おとこ」「恋…乞い」。
古今和歌集 恋歌一。題しらず、よみ人しらず。女の歌として聞く。
歌の清げな姿は、心が騒ぎ波立つ、片恋いのありさま。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、白汝身となったものを、なおも乞うありさま。
わたつみの沖つ潮あひに浮かぶ泡の 消えぬものからよるかたもなし
(二百五十)
(海原の沖の潮合に浮かぶ泡のように消えないわが命ゆえ、寄り添い頼るお方も無い……をうな腹の奥の、しほ合に浮かぶ泡のように、消えないものの、たよる形無し堅も無し)。
言の戯れと言の心
「わたつみ…海原…わたつ身…をうな腹」「海…女」「おき…沖…奥」「しほあひ…潮合…潮が合流する所…士お合い」「しほ…士ほ…子お…おとこ」「合…合流…交合」「よるかた…寄る方…寄る潟…撚る方」「よる…寄る…近寄る…頼る…撚る…強くする」「かた…潟…方…お方…方法…形…かたち…堅…堅さ」。
古今和歌集 雑歌上。題しらず、よみ人しらず。女の歌として聞く。
歌の清げな姿は、古今集の「老い」を詠んだ歌々の中にあると、身寄りも頼る人も亡くした老女の嘆きのように聞こえる。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきとろは、一過性のはかなくなったおとこのさがを難じるところ。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
新撰和歌集の原文は『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。