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帯とけの新撰和歌集
歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。
紀貫之 新撰和歌集巻第四 恋雑 百六十首 (二百三十九と二百四十)
おきもせず寝もせで夜を明かしては 春のものとてながめ暮らしつ
(二百三十九)
(起きもせず寝もせずあの人が恋しく、夜を明かしては、春のものだと言って長雨眺めて、その日も暮れた……起きもせず寝もせず悶々として、夜を明かしては、張るものだからと、思いに耽って、はてた)。
歌の様を知り、言の戯れと言の心を心得て歌を聞きましょう。
「春…季節の春…青春…春情…張る」「もの…物…春雨…おとこ」「ながめ…長雨…眺め…もの思いに耽る」「雨…男雨…おとこ雨」「暮らしつ…暮らした…一日過ごした…日が暮れた…ものごとが果てた」。
古今和歌集 恋歌三。作歌の事情は「伊勢物語」にある。古今集詞書の要約によると、春弥生の一日より、人目忍んで女と言葉を交わした後に、雨がそぼ降ったので、詠んで遣った、とある。伊勢物語第二章によると、女は独り身ではなかったらしい、この真面目男、言葉を交わしただけで帰宅して後に、雨そぼふる(おとこ雨そぼふる)ので遣った歌。在原業平とおぼしき男の、少年から大人になったばかりの話である。
歌の清げな姿は、片恋した少年の悶々たる夜。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、少年の日の、春の情と張るものの顛末。
なよ竹のよのうきうへに初霜の おきゐてものを思ふころかな
(二百四十)
(弱竹のような者の、世の憂きに加えて、初霜がおりていて、もの思う秋になった頃の・気分かなあ……しなやかで強い多気の、夜の浮きひとに、初しも贈り置いて、もの思う頃の・気分かなあ)。
言の戯れと言の心
「なよ竹…弱竹…なよなよとして、しなやかなで、折れない、つよいもの…女」「の…比喩を表す」「よ…節…世…夜」「うき…憂き…辛い…浮き…浮かれた」「うへに…上に…加えて…女に」「上…貴婦人…女」「はつしも…初霜…秋のもの…白…初しも…発しも」「しも…下…おとこ…おとこのもの」「おきゐて…起き居て…起きて座って…置き居て…おりていて…贈り置いてあって…置き射て」。
古今和歌集 雑歌下。詞書によれば、寛平の御時、或る人が遣唐使の判官(三等官)に任じられた時に、東宮の侍所で男どもが酒を頂いたついでに詠んだ歌。
歌の清げな姿は、弱竹に、世の辛さ、加えてもの思う秋を迎えた頃の、不安な気分かなあ。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、しなやかで折れない竹のような夜の浮きひとに、初しも贈り置いていて、折れてもの思う頃の、虚脱した気分かなあ。
海難事故の危険や唐の事情を考えると、遣唐使の意義に疑問を持たれていた頃、任じられた三等官の本音でしょう。その後(寛平六年)に、菅原道真の提言により遣唐使は廃止された。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。