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帯とけの新撰和歌集
歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。
紀貫之 新撰和歌集 巻第四 恋雑 百六十首(二百六十九と二百七十)
あな恋しいまも見てしか山がつの 垣ほにおふる大和なでしこ
(二百六十九)
(あゝ恋しい、今にも見たいよ、山里人の垣根に生える大和撫子……あな恋し、今にも見たいよ、山がつの掻きほのために、感極まる山途、撫でし娘)。
言の戯れと言の心
「あな…感嘆詞…穴」「恋…乞い…求め」「見…目で見る…逢う…結婚…覯…媾…まぐあい」「てしか…願望の意を表す」「やまがつ…山賤…山里に住む人…いやしいもの」「かきほ…垣ほ…垣根…掻きほ」「かき…かく…掻く…(櫂を)かく…おしわける…おしわけすすむ」「ほ…お…おとこ」「に…場所を示す…原因理由を示す」「おふる…生える…老いる…ものごとが極まる…感極まる」「やまとなでしこ…草花の名…名は戯れる。女、大和撫でし娘子、山ばの途中の可愛い娘」。
古今和歌集 恋歌四。題しらず、よみ人しらず。男の歌として聞く。
歌の清げな姿は、山人の可愛い娘に一目惚れの恋。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、乞いし、今また合いたい、大いなる和らぎの撫でし娘。
荒れにけりあはれ幾世の宿なれや すみけむ人のおとづれもせず
(二百七十)
(荒れていたのねえ、あわれ、幾世経た宿なのかしら、住んでいた人が訪れもしない……荒れてしまったわ、あわれ幾夜経た、や門かしら、済んだ男が、お門づれもしないの)。
言の戯れと言の心
「幾世…幾夜」「あはれ…あゝ気の毒だ…あゝつらい」「やど…宿…女…屋と…や門…女」「すみける人…住んでいた人…住み通っていた男…済んでしまったおとこ」「おとづれ…音づれ…訪れ…お門連れ」。
古今和歌集 雑歌下。題しらず、よみ人しらず。女の歌として聞く。
歌の清よげな姿は、他人の家を見物した感想。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、おとこに見捨てられ荒れたやどの嘆き。
この歌の作歌事情は『伊勢物語』第五十八にある。
むかし、心つきて(思慮分別があって…心得があって)色好みな男、或る所に家を造って住んでいた。その隣にあった宮家に仕える、何ということもない女たちが、田舎のことなので、田からむとて(田を刈ろうとして…たかろうとして)、この男が居るのを見て、「いみじき好き者のしわざや(たいそうな風流者の家の造りはどうかしら……はなはだしい好き者のする技はどんなのかしら)」と言って集まって、家に入ってきたので、この男、逃げて、奥に隠れたので、女が、「荒れにけりあはれいくよのやどなれや すみけむ人のおとづれもせず」と言って、この宮に集まって来ていたので、男は、「むぐら生ひて荒れたるやどの熟れた木は かりにも鬼の巣だくなりけり」と言って、女どもを追い出したのだった。
「やど…宿…女…屋門…女」「木…男」「かり…仮…刈り…狩り…とる、あさる、むさぼる」「すだく…群がる所」「おに…鬼…女」。
歌が物語のこの場面に相応しいと感じれば、歌を紐解くことができたのである。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。