帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔四十二〕にげなき物

2011-04-11 00:27:35 | 古典

  



                      帯とけの枕草子〔四十二〕にげなき物



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔四十二〕にげなき物


 似つかわしくないもの、げすの家に雪のふりたる(げ衆の家に雪が降っている…下すの井へに白ゆきがふっている)。又月のさし入たるも(又、月光のさし入っているのも…股、つき人壮士のさし入っているのも)、くちおし(くやしいような感じ)。


 月のあかきにやかたなき車のあひたる(月の明るいときに屋形のない車が出会っている…月人壮士の照っているときに女っ気のない車が出会っている)。また、さる車にあめ牛かけたる(そのような車に上等の牛掛けてある…去る者に吾女、憂し、言葉に出している)。


 また、老いた女が腹おおきくして歩く、若い男を夫としているのさえ見苦しいのに、ほかの女のもとへ行ったと腹立てているよ。


 老いた男が寝ぼけている。また、そのような髭がちな者が椎の実(堅い木の実)つまんでいる。


 歯も無い女が、むめくひてすがりたる(梅食って酢っぱがっている…おとこ花の身くわえすがりついている)。


 下衆が紅の袴を着ている。


 この頃は、このような不似合いなことばかりあるでしょう。

 

靱負の佐の夜行姿(靱負の次官の、夜の巡回姿…夜のお遊び姿)、狩衣姿もまたひどく変な感じである。人に恐れられる上着(赤い袍)は、おどろおどろし(不気味な感じ)。たち彷徨うのを見つけて、あなづらはし(侮るでしょう…侮ってやろう)、「けんぎの物やある(嫌疑の者居るか!)」と、とがむ(咎めるのだ…咎めてやる)。部屋に入って居て、から薫物の香に染みた几帳にうち掛けてある袴など(空しき多気者に染み付いた氣長にかけている端下間のよう)、いみじうたづきなし(まったくどうしょうもない)。

格好いい君達が、弾正の弼(京内を取り締まる警察の次官)でいらっしゃる、ひどく見苦しい。宮の中将などが(それを兼任)されたのは、ほんとうに残念だった。

 
 言の戯れと言の心

「げす…下衆…外衆…言語圏外の衆…言の心を心得ない衆」「いへ…家…井辺…女」「雪…白ゆき…おとこの逝き」「月…月人壮士…壮士…ささらえおとこ…いい男」「屋…女」「車…しゃ…者」「うし…牛…憂し…愛し」「かける…掛ける…懸ける…欠ける」「おい…老い…追い…極まった」「梅…男木の花の身」「木丁…几帳…氣長」「うちかけ…うち掛け…射ちかけ」「はかま袴…端下間…ほと」。

 


 靱負(衛門府)や弾正(犯罪を取り締まる役所)の者どもの活躍する騒動があった。拘束、追放、逃亡者拘束などを掌る。彼らは権力(即ち道長の力)の象徴。世の中騒がしく女たちは曇り暮らしていた。この有様は、殿(道隆)亡き後、続いていた。

 

これは世情批判だけれども、女のしなやかさ(婀娜…あだ)があるでしょう。言い換えれば「したたかさ」のある嘯(うそぶき…ただ口笛吹いただけのこと)。

 


 伝授 清原のおうな

聞書  かき人しらず   (2015・8月、改定しました)


 枕草子の原文は、新 日本古典文学大系 岩波書店 枕草子による

 

 

 


帯とけの枕草子〔四十一〕七月ばかりに

2011-04-10 00:22:03 | 古典

   



                                      帯とけの枕草子〔四十一〕七月ばかりに



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔四十一〕七月ばかりに

 

  七月ばかりに風いとうふきて、雨などさはがしき日、大かたいとすゞしければ、あふぎもうちわすれたるに、あせのかすこしかゝへたるわたきぬのうすきを、いとよくひきゝてひるねしたるこそ、おかしけれ。

 

 清げな姿

七月頃に、風がひどく吹いて雨音など騒がしい日、おおよそ涼しいので、扇もふと忘れてあるとき、彼の・汗の香すこし抱えている綿衣の薄いのを、すっぽりと引き着て昼寝しているなんて、おかしけれ(すてきなことよ)。


 心におかしきところ

 夫身尽きばかりに、心風がひどく吹いて、お雨など騒がしき日、おお方涼しい心風吹くので、合う気もふと忘れているとき、彼の・汗の香すこし抱えている綿衣の薄いのを、すっぽりと引き着て昼寝しているなんて、おかしけれ(おかしいことよ)。

 言の戯れと言の心

「七月…ふみつき…初秋…夫見尽き…夫身尽き」「風…心風」「雨…おとこ雨」「日…日中」「大かた…大方…およそ…おほ方…おとこの方」「すずし…涼し…心風が涼しい…情熱冷えた」「あふぎ…逢う気…合う氣」。


 

「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし(新撰髄脳)」と、詩歌の達人藤原公任はいう。上品上に評価した優れた歌の批評では、「言葉妙にして余りのこころさえあるなり(和歌九品)」(言葉の用い方は絶妙で心におかしきところさえある)という。

 

文芸はみな同じ、「清げな姿」だけではなく、「心におかしきところ」があるのを感じ取り、ときにはある「心深い」ところを感じてこそ、読んだといえる。

 


 伝授 清原のおうな

聞書 かき人しらず   (2015・8月、改定しました)

 枕草子の原文は、新 日本古典文学大系 岩波書店 枕草子による


 


帯とけの枕草子〔四十〕むしは

2011-04-09 00:03:37 | 古典

 



                        帯とけの枕草子〔四十〕むしは



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔四十〕むしは

 
 むしは、鈴むし、ひぐらし、てふ、松むし、きりぎりす、はたおり、われから、ひをむし、蛍。
 (虫は、鈴虫、蜩、蝶、松虫、きりぎりす、はたおり、割殻、氷魚虫、蛍……腹の虫は、すすむし、一日中という待つむし、胸きりきりす、はたと折り、我から、弱むし、ほ垂る)。


 言の戯れと言の心 

「むし…虫…心身の奥底にある感情…心身の奥に棲む虫…腹の虫など」「す…女…おんな」「ひぐらし…蜩…日暮し…一日中」「てふ…蝶…と言う」「松…待つ…女」「きりぎりす…きりきりする…痛む…苦しい」「はたおり…虫の名…また折る…やっぱり折る」「折…逝」「われから…割殻…虫の名…我から…自ら」「ひをむし…氷魚虫…いかにも弱々しい小魚の名の付いた虫」「折り…逝き」。

 


 みのむし(蓑虫…身のむし)、とってもあわれである。おにのうみければ(鬼が生んだので…男似が倦んだので)、親に似てこれも、おそろしき心(恐ろしい心…ひとを不安にする心)があるだろうと、おやのあやしい皮衣着せて、「今に、秋風(女にも飽風)の吹く折りが来るだろう、待てよ」と言いおいて、他人の世界に身のむし残しておやは・逃げて逝ったのも知らず、子のむしは風の音を聞き知って、はづき(八月…八つき)ばかりになったので、「ちゝよ、ちゝよ(父よ、遅々よ、飽きはまだなのか)」とはかなげに泣く、いみじう哀也(とっても哀れである)。

 
 言の戯れと言の心

「うみ…生み…倦み…いやになる…うんざりする」

 


 ぬかづき虫、またあわれである。さる(そのような弱い)心地に道心おこして、額突きまわるのでしょうよ。思いがけず暗いところなどで、ほとめきありきたるこそおかしけれ(とぼとぼと歩いているのこそおかしいことよ……ほとめいて歩いているのこそかわいいことよ)。


 言の戯れと言の心

「ぬかづき…ひれ伏し床に額をつける…お垂る」「ほとめき…とぼとぼと…陰めき」。

 


 はへ(蝿)ほど、にくき物のうちに入れてしまうべき愛嬌のないものは他にあるかしら。人々しうかたき(擬人化して敵)にすべき大きさではないけれど。秋など(飽きたというのに)、ただよろずの物にいて、顔などに濡れた足で居たのなどよ。人の名につきたる(人の名に付いたの…人の汝に着いたの)、いとうとまし(まったく疎ましい)。


 言の戯れと言の心

「名…な…汝…親しみを込めて、おまえ」。

 

 
 夏虫、いとおかしう、らうたげ也(とっても趣があってかわいいのである)。灯火を近くにとり寄せて、物語など見るとき、さうしのうへなど(草子の上…双肢の上)で跳び歩く、いとおかし(とってもおかしい)。

 
 言の戯れと言の心

「夏…なつ…撫づ…懐つ」。

 


 ありは、いとにくけれど、かろびいみじうて、水のうへなどを、たゞあゆみにあゆみありくこそ、おかしけれ(蟻は、とってもにくらしいけれど、軽さはたいしたもので、水の上を、そのまま歩きまわるのこそ、趣があることよ……在りは、かくべつで感心するけれど、心の軽さひどく、をみなの上を、ただあゆみまわるのは、おもしろいことよ)。

 
 言の戯れと言の心

「あり…蟻…在り…在原…業平」「水…女」「上…女」「あゆみありく…歩き回る…女遍歴する…伊勢物語を一読すれば明らかでしょう」。

 


 おとなの女はそれなりに楽しめるでしょう。

追い詰められ苦盛り暮らしているときにこそ、笑って心晴らすために、このような文芸はある。

 


 伝授 清原のおうな

聞書  かき人しらず    (2015・8月、改定しました

 


 

 枕草子の原文は、新 日本古典文学大系 岩波書店 枕草子による


帯とけの枕草子〔三十九〕あてなるもの

2011-04-08 00:28:52 | 古典

 



                                   帯とけの枕草子〔三十九〕あてなるもの



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔三十九〕あてなるもの

あてなるもの、うす色にしらかさねのかざみ、かりのこ、けづりひにあまづらいれてあたらしきかなまりにいれたる、すいさうのずゝ、ふぢの花、梅の花に雪のふりかゝりたる、いみじううつくしきちごの、いちごなどくひたる。


  文の清げな姿

 上品で貴重なもの、薄色に白襲の汗衫。雁の卵。削り氷に甘葛入れて新しい金属の椀に入れてある。水晶の数珠。藤の花。梅の花に雪が降りかかっている。とっても可愛い幼児が苺など食っている。

 

文の心におかしきところ

 頼みとするもの(その実態)、色薄くて白々しい彼さ見、かりの子の君。削り木作りの婢に甘葛入れて新しき彼のうつわものに入れてある。水晶のすす。不死のお花。男木の花に白ゆきが降りかかっている。とっても可愛い稚児のもの、一御などがくっている。

 

言の戯れと言の心

「あて…貴て…高貴…上品…当て…頼み」「色…色彩…色情」「白かさね…白襲…表裏白の衣…白白…しらじらしい」「かざみ…汗衫…晴れ着…彼さ見…彼さ身」「さ…美称」「見…覯…媾」「かりのこ…雁の卵…かりの子…おとこ」「かり…雁…仮…刈り…狩り」「こ…卵…子…おとこ」「ひ…氷…婢…下女…ゐ…井…女」「かなまり…金椀…彼のうつわもの…女」「す…巣…洲…女」「ふぢ…藤…紫…高貴な色…不二…二つと無い…不死…逝かない」「梅の花…おとこ花」「雪…白ゆき…おとこ白逝き」「ちごの…幼子が…稚児のもの…おとこ」「の…主語を示す…のもの」「いちご…苺…一御…逸御…格別なご婦人」「御…女の敬称」「くふ…食う…くわえる」。

 


 われわれの言葉は「聞き耳」により(意味の)異なるものと宣言した上で、枕草子は書いてある。それを字義通りに読んでも「清げな姿」しか見えないでしょう。

 

枕草子を「いとをかし」または、紫式部のように「あだ(婀娜…徒)」な文芸と読む手立ては、「言の心」を心得て、男女の仲の「事の情」を知るこの時代のおとなの女たちと同じ「聞き耳」になること、それ以外に無い。



 伝授 清原のおうな

聞書  かき人しらず    (2015・8月、改訂しました)

 原文は 岩波書店  新 日本古典文学大系 枕草子による



帯とけの枕草子〔三十八〕とりは その二

2011-04-07 00:16:32 | 古典

 


                                  帯とけの枕草子
〔三十八〕とりは その二



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔三十八〕とりは その二


 鴬は、文(詩)などにも愛でたいものに作り、声をはじめ様子や姿もあれほど高貴で美しいわりには、九重のうちになかぬぞいとわろき(宮中で鳴かないのはまったよくない…九つ重ねの内に泣かないのはよくない)。人が「さなんある(そうなのよ)」と言ったのを、そうでもないと思っていたが、十年ばかり参上させてもらって聞いても、まことにやはり、その・声はしなかった。それでも、竹に近い紅梅もあり、鶯の通う処のはずである。九重を退出して聞けば、あやしい家の見所もない梅の木(男木)などには、姦しいほど来て鳴いている。夜鳴かないのは、いぎたなき(意汚き…寝汚き)心地するけれど、今さらどうしようもない。


 夏、秋の末まで、おいごゑ(老い声…感極まった声)に鳴いて、「虫くひ」などと、ようもあらぬ物(無用の物)は名を付け替えて言われるのだ。くちをしくすごき心ちする(くやしくてものさびしい心地がする)。それも、ただ雀などのように常にある鳥ならば、そうは思わないでしょう。鴬は春なくからだろうに。年たちかへる(年立ち返る…すぐ立ち返る)など、おもしろいことに、歌にも文にも作るのは、やはり春の内(に鳴くからで)、でなければ、いかにおかしからまし(どうして鶯に趣があるでしょうか)。人の場合でも、人らしくなく世間の評価が侮りやすい者になり初めれば、他人は・謗ったりするでしょう。とび(鳶)・からす(烏)などの身の上は見入ったり聞き入ったりする人は世にいないのだ。だから鴬はたいそうなものとなったと思うのに、心ゆかぬ心ちする也(いつまでも鳴いているのは納得できない心地がする……いつまでも泣き暮すのは心晴れない気がするのである)。


 祭のかへさ(賀茂祭りの斎宮ご帰還)を見物するということで、雲林院・知足院などの前(斎宮のある紫野)に車を停めたところ、郭公(ほととぎす…且つ乞う)は忍ぶことはないのか、鳴く(泣く)ので、老い鶯が・とってもよく真似してみせて、小高い木々の中で諸共に鳴いているのよ(且つ恋う、且つ乞うと)、さすがにおかしけれ(さすがにおかしいかったことよ)。

 

言の戯れと言の心

「おい…老い…追い…感の極み」「鳴く…泣く」「うぐひす…春告げ鳥…情の春を告げる女…名は戯れる、憂く秘す、浮く泌す」「鳥…言の心は女」。


 
鶯の歌は、藤原公任撰「和漢朗詠集」より、素性法師の歌の「清げな姿」と「心におかしきところ」を聞きましょう。「心深き」ところを感じ取りましょう。

あらたまのとしたちかへるあしたより またるゝものはうぐひすのこゑ

(あらたまの年たち返る元旦の朝方より、待たれるものは春に鳴く鶯の声……新たまの疾しの立ち返る朝方より、待たれるものは、夜の浮くひすの声)。

「たま…玉…魂…二つある玉」「とし…年…疾し…早い…一瞬の快楽」。


 文(詩)にも鶯は愛でたいものに作られてある。同じく「和漢朗詠集」より、詩句の「清げな姿」と「心におかしきところ」を聞きましょう。
 鶯声誘引来花下 草色拘留座水辺

(鶯の声に誘引されて花の下に来る、草の色に拘留されて水辺に座す……浮くひすの声に誘われ引きつけられてお花ちり下る、女の色香のとりこになって、をみなのそばに座す)。「言の心」はほぼ同じ。
 「花…木の花…男花」「草…女」「色…色彩…色香…色情」「水…女」。


 

 郭公は、なおさら言いようがない。いつだったか、得意顔で鳴いているように聞こえているのに、うの花、はなたちばな(卯の花、花橘…白い花、はな立ち花)に宿りをして、なんとまあその陰に隠れているのも、ねたげなる心ばえなり(しゃくにさわる心の有様である…妬ましいような心のありさまである)。
 五月雨(さみだれ)の短夜に寝覚めして、なんとか人より先に、初声・聞こうと待っていて、夜深く鳴き(泣き)だした声が(且つ恋う且つ乞うと)もの慣れて巧みで魅力がある。いみじう心あくがれせんかたなし(たいそう心ひきつけられて、どうしようもない)。六月(晩夏…みなづき…見無尽き)になったなら、音もせずなってしまった、すべていふもおろか也(こんなことすべて言うのも愚かである)。夜鳴く(泣く)もの、何もかも愛でたい、乳児だけはそうでもない。


 言の戯れと言の心

「郭公…ほととぎす…夏にカッコウと鳴く鳥のこと、名は戯れる。且つ恋う、且つ乞う、ほと伽す」「鳥…女」「鳴く…鳥が鳴く…泣く…悲しみ苦しみに泣く…喜びに泣く…且つ乞うと泣く」。

 


 紀貫之は、「ことの心を得たらむ人は、大空の月を見るが如くに」古今集の歌を「仰ぎて」恋しくなるであろうと述べた。「ことの心」は、先ず「言の心」である。それを心得た人びとの間では、字義以外の意味でも繰り返し用いられている。ここに述べてきた春、夏、秋、冬、山、――、池、節、木、鳥等々の戯れの意味のすべてが、それぞれの「言の心」である。「事の心」と聞いて、それはおとなとなって心得る事の情のこと。

 

「言の心」「事の情」を兼ねて心得れば、歌も文も紐解けるでしょう。

 


  伝授 清原のおうな

聞書  かき人しらず   (2015・8月、改定しました)

 

  枕草子の原文は、新 日本古典文学大系 岩波書店 枕草子による