勝本華蓮さんが主宰する「みんなの仏教塾」に行ってきた。
今日のテーマは「我おもう、けれど、我ありではない」。
お釈迦様が説いた仏法の根本思想を、とても平易な言葉で、解説してくださった。
要するに、人間は「自我」に執着するから、苦しいのだ。
その「自我」を構成している物質的、精神的要素は、どれも「我」ではない。いろいろな構成要素の集合体である「私」も、「我」ではない。無常であり、苦であり、非我→無我である。
この世が無常、苦、無我であることをつぶさに観察し、そこから離れ、解脱することをお釈迦様は説かれた。
面白いとおもったのは、「梵天勧請」についてのお話。
悟りを開いたお釈迦様は、悟りについて説明しても誰も理解できないだろうと考え、そのまま涅槃に入ろうとする。そこに梵天が現れて、人々に説法することをを勧める。
梵天はブラフマン、宇宙の原理である。お釈迦様は宇宙の意志と一体になった後、この世に戻ってきたのではないか、というのが勝本さんの考えである。
宇宙と一体になるということは、自己がなくなる、つまり一種の死である。
悟りの世界、「涅槃寂静」の世界は、自他の区別もない、時間、空間もない、一切の区別がない世界である。
そのような究極の世界から戻ってきて、お釈迦様は説法を始められた。
私は、アメリカの脳科学者、ジル・ボルト・テイラーの『奇跡の脳』を思い出した。
彼女は、脳卒中で倒れたとき、自分が宇宙と一体になり、自分の肉体と外界との境界がなくなった、不思議な経験を書いている。
「目に見える世界の全てが、混ざり合っていました。そしてエネルギーを放つ全ての粒々と共に、わたしたちの全てが群れをなしてひとつになり、、流れています。ものともののあいだの境界線はわかりません。なぜなら、あらゆるものが同じようなエネルギーを放射していたから。」
その感覚は、至福のときだったと、彼女は言う。
「もう孤独ではなく、淋しくもない。魂は宇宙と同じように大きく、そして、無限の海のなかで歓喜に心を躍らせていました。」
彼女の経験した感覚が、お釈迦様の悟りの世界と同じものだったかどうか分からない。
しかし、彼女は、脳卒中を起こす前と、後とでは、世界とのかかわり方が変わった。
自然の中に立つと、風の流れ、小川のせせらぎ、鳥たちのさえずり、自分を取り巻く世界の全てを感じることができるようになったという。
彼女は、脳卒中という偶然の出来事で、宇宙と一体になる経験をしたが、人間の脳は、坐禅や瞑想などの修行を積むことで、そういう状態を生み出すことができるのだろうか。