空の道を散歩

私の「仏道をならふ」の記

山歩き

2010-11-14 20:13:42 | 日記・エッセイ・コラム

 週末、自宅に帰る。暖かくて気持ちがいいので、久しぶりに山歩きをした。

 千日回峰行の行者さんにはほど遠いが、できる限り、早足で駆けるようにして歩く。自分が空っぽになるようで、気持ちがいい。いつものコースを歩くと、ちょうど1時間かかる。

 桜、楓、ケヤキ、ナンキンハゼなどの赤や黄、クロモジ、イチョウなどの黄色、カメラを持ってこなかったのが残念なほど、紅葉が見事。一番多いコナラの葉も、もう少しすると黄金色になる。

 自宅近くの里山は四季折々に花が咲いて、山歩きの楽しさが倍増する。

 春はクロモジ、ヤブツバキ、山桜、ヒサカキ、コバノミツバツツジ、モチツツジ。

 初夏には野イチゴ、タニウツギ、ウノハナ、スイカズラ、野イバラ、ニセアカシア、山藤。

 秋はいろいろな木の実と、色とりどりの落ち葉が山道を彩る。

 冬の木々は、空に伸ばした枝先にたくさんの木の芽を用意して、春を待っている。いつも歩いているうちに、冬枯れの枝を見ても、何の木か分かるようになった。

 草むらに隠れていた野ウサギや、雉に遭遇したこともある。

 メジロ、ウグイス、ヤマガラなど、小鳥も多い。

 夏の夕方になると、谷あいの空高く、ツバメが群れをなして、飛んでいる。上昇気流に乗って、遊んでいるように見える。

 山が一番美しいのは、やはり芽吹きの春から初夏にかけて。萌黄色から、緑がだんだん濃くなって、光を反射して照り輝く。

 介護生活に入る前には、自宅での仕事の合間に、毎日のように山歩きをしていた。

 住宅地近くのこんな小さな空間でも、華厳経や大日経の世界がイメージされるような、豊かな生命力にあふれていた。

 空海には、どこで何をしていたか不明の時期がある。四国や、あちこちの山を歩き回って、修行していたらしい。

 空海はこの時期に大日如来の存在を体感したのではないか。

 己を無にして山を駆け回っていると、そんなことを思ったりもした。