実家に戻るとき、長い間使っていなかったウォークマンを持って帰った。
セットされたままのテープに、パク・ヨンハの「初めて出会った日のように」が入っていた。
私も「冬ソナ」にはまった一人だが、ヨン様より、パク・ヨンハのファンになった。
ファンといっても、世の韓流ファンの女性たちのように時間もお金も熱意もないので、来日した折に出演するテレビを見るぐらい。
それでも、彼の人柄にひかれるのに十分だった。
イ・ビョンホン主演のドラマ「オールイン」の主題歌、「初めてで出会った日のように」は、曲、歌詞、歌手、三拍子そろった名曲だ。
You tubeから録音して(ダウンロードではなく、あくまでアナログ)、山歩きをしながら幾度も聞いた。
実家に帰る電車の中で、久しぶりにパク・ヨンハの歌を聴いた。
自殺したことがいまだに信じられない。
今、思うと、彼のしぐさや表情には、孤独感や悲しみのようなものがいつも漂っていたような気がする。やさし過ぎたのかもしれない。
彼の父、パク・スンイン氏が癌で亡くなったのは、それから4カ月後だ。
パク・スンイン氏が有名な音楽プロデューサーで、ソン・チャンシク、ヤン・ヒウンらのマネージャーをしていたことを、自殺関連の記事で知った。
ソン・チャンシク、ヤン・ヒウンといえば、70年代、パク・チョンヒの独裁政権時代に、検閲、発禁という弾圧をかいくぐって歌い続けた歌手たちだ。彼らの歌は、学生・労働運動の中で広がっていった。。
ソン・チャンシクの「コレ・サニャン(鯨取り)」「ウェ・ブルロ(なぜ呼ぶの)」などは、テープが伸び切ってしまうほど聞いた。
ヤン・ヒウンがギターの弾き語りで歌う、キム・ミンギ作詞・作曲の「アッチム・イッスル(朝露)」や、抵抗詩人キム・ジハの「金冠のイエス」は、日本で、韓国の民主化運動に連帯して開かれた集まりで、よく歌われた。
そんなスターたちを生み出したのが、パク・スンイン氏だったのだ。反戦、民主化の波が世界中で同時・多発的に広がった時代の、同じ団塊の世代の人だ。
一つの歌を生み出すのに、才能や技術のほかに、勇気や覚悟が必要とされた時代、最前線で働いていた人だ。そんな父親を、パク・ヨンハはとても尊敬していたそうである。
久しぶりにパク・ヨンハの歌を聴いて、いろいろ思い出した。
思えば思うほど、パク・ヨンハの自殺は、あまりにも痛ましい。