本日4月8日 転換期を語る『戦後70年への視点』で立花隆さんの記事が徳島新聞に
掲載されていました。少しだけ引用いたします。
聞き手=共同通信記者・関谷充人
--日本は来年、戦後70年です。大きな歴史の流れに、どう位置付けられるでしょうか。
「70年という時間は、世代が交代し、一国の歴史的記憶を完全に塗り替えてしまうような時間です。われわれは決して忘れてはならないとされてきた、あの戦争の記憶を失う瀬戸際まできていると思います。あの戦争が国民に強いた犠牲の大きさの記憶ではなく、あの戦争を始める決断をした日本の為政者たちがそろいもそろっておろかの限りとしかいいようがない決断をしたという記憶をです」
--別の決断は可能だったのでしょうか。
「一国の指導部の愚かさは一国を滅ぼすに至る。 中略 今、冷静に考えれば、いかなる犠牲を払ってでも戦争を始めるべきではなかった。あの戦争はさけられなかったのか。そんなことはありません。米国の強硬姿勢に追い詰められた最後の段階で、木戸幸一内大臣は日記にもう一つの選択肢を記しています。三国干渉のときと同様もう一度『臥薪嘗胆』を選ぶてがあるかもしれないと。今なら誰が考えてもそれが正解でしょう 中略」
--戦後日本が得たものとは何ですか。
「憲法9条でしょう。敗戦後、焼け野原の何もない状態から日本は経済的に急成長し世界的成功国家になった。これは9条によって戦争を完全に放棄したからです。戦後日本の繁栄の根本には憲法があったんです」
あとは略しますが、立花隆さんのお話はまさしくその通りと今の禿頭は納得しておりますが、数年前の禿頭であれば、自主憲法制定派でありましたので、(仏法を学ぶにつれ思想信条が変化してまいりました)道元様のおしゃっる通り、「参学眼力の及ぶばかりを見取会取するなり」だから、日々精進を怠ってはいけない、学ぶにつれ自己が変わって参ります、恐ろしいばかりです、青年時代岡潔先生にあこがれ、58歳にして玉城康四郎先生にてドカンの意味を教えていただき、65歳にして道元さまと青山先生にお会いすることができました。これからどうなるのでしょう??
そして馬医の話は?
掲載されていました。少しだけ引用いたします。
聞き手=共同通信記者・関谷充人
--日本は来年、戦後70年です。大きな歴史の流れに、どう位置付けられるでしょうか。
「70年という時間は、世代が交代し、一国の歴史的記憶を完全に塗り替えてしまうような時間です。われわれは決して忘れてはならないとされてきた、あの戦争の記憶を失う瀬戸際まできていると思います。あの戦争が国民に強いた犠牲の大きさの記憶ではなく、あの戦争を始める決断をした日本の為政者たちがそろいもそろっておろかの限りとしかいいようがない決断をしたという記憶をです」
--別の決断は可能だったのでしょうか。
「一国の指導部の愚かさは一国を滅ぼすに至る。 中略 今、冷静に考えれば、いかなる犠牲を払ってでも戦争を始めるべきではなかった。あの戦争はさけられなかったのか。そんなことはありません。米国の強硬姿勢に追い詰められた最後の段階で、木戸幸一内大臣は日記にもう一つの選択肢を記しています。三国干渉のときと同様もう一度『臥薪嘗胆』を選ぶてがあるかもしれないと。今なら誰が考えてもそれが正解でしょう 中略」
--戦後日本が得たものとは何ですか。
「憲法9条でしょう。敗戦後、焼け野原の何もない状態から日本は経済的に急成長し世界的成功国家になった。これは9条によって戦争を完全に放棄したからです。戦後日本の繁栄の根本には憲法があったんです」
あとは略しますが、立花隆さんのお話はまさしくその通りと今の禿頭は納得しておりますが、数年前の禿頭であれば、自主憲法制定派でありましたので、(仏法を学ぶにつれ思想信条が変化してまいりました)道元様のおしゃっる通り、「参学眼力の及ぶばかりを見取会取するなり」だから、日々精進を怠ってはいけない、学ぶにつれ自己が変わって参ります、恐ろしいばかりです、青年時代岡潔先生にあこがれ、58歳にして玉城康四郎先生にてドカンの意味を教えていただき、65歳にして道元さまと青山先生にお会いすることができました。これからどうなるのでしょう??
そして馬医の話は?