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ゴルフの空(GET Golf Academy 主宰 松村公美子のブログです)

ゴルフレッスンのこと、スイング理論(ゴルフスイング体操)のこと、日常でのこと、色々、時々、書いています

大事なのは、“今”

2011年09月25日 | 人として思うこと
『見えない薬草、見えない毒牙』の続きのようになるのですが…。

スポーツ選手の中には、お酒や遊びの誘いを断り切れずに、つぶれて行った、つぶされてしまった…なんて話は、よく聞く話ですよね。

“毒牙”に言い寄られて、
断り切れなかった…、
付いて行ってしまった…のが、運のつきだったのか…?

気がついた時点で、改めれば良かったのに…。
それとも、気がついた時点では、もう遅かったのか…。

でも、一回毒されてしまったとしても、
気がつけば、気がついた時点で、
それから変わって行けば良いだけの話。

それからでも、絶対に遅くない。
毒は抜ける。

よく昔は、「不良」や「ワル」のレッテルを貼られていたような人が、その時の自分を反省して、付き合う人や、素行などを改めて行くことによって、
人間としての深みや面白みのある、寛容で優しい人になって行かれる例も、たくさん有る。

四角四面、真面目一本で、エリート街道まっしぐら、挫折も知らないって人よりは、そういう人の方が、むしろ、人間としての“情”や温かみ、大きな度量を持っておられる場合が多い。

だから、1回“毒牙”に引っ掛かった子は、その後もダメってことは無い。
周囲も“毒牙”に引っ掛かった子とのレッテルを貼ってしまうことも無い。

大切なのは、本人が、「あれは失敗だった」、「こんなことではいけない」と気付いた時点から、どう反省し、どう改めて行けるか…だと思う。

“毒牙”とは、キッチリ切れるか…、
その分、この人は、自分にとっての“薬草”だと思った人には、怒られるのも覚悟の上で、しっかりと近づいて行けるか、どうか…。
それこそ、「おまえは一体、何をやっとんねん!アホ、ボケ!」みたいな“ノリ”で怒られたとしても、喰らい付いて行くくらいの気持ちでいても良いかもしれない。

私にも、そういう“先輩”は、いました…(^_^;)
怖くて、ビビりまくっていたけど(笑)、その分、「しっかりしなきゃ…」とか「ちゃんとやんなきゃ…」みたいな気持ちにさせられ、“腑抜け”の私を、育てて頂けました。

…昨年、よく読んだ茂木健一郎さんの本に「過去は、編集できる」と書いてあった。
脳の仕組みから考えても、その時は、悲しい記憶、辛い記憶として残るようなことであっても、その後、色んな記憶が加わることによって、その悲しい記憶や、辛い記憶も、”編集されて”、後になれば、「昔、あんなことが有ったけれど、今となれば、ああいうことも有ったから、今の自分がいる」と思えるようになることも有る。
マイナスの記憶をプラスに転じることができる…のだそうだ。

だから、過去のマイナスの記憶ばかりにとらわれていてはいけない。

大事なのは、やはり、今。

人を見る場合も、その人は、昔、どうだったかよりは、今、どうかってこと。

過去よりも、“今”と“これから”。

…山からこぼれ落ちた岩石が、川に流され、あちらこちらにぶつかっているうちに、角が取れて、丸くなり、さらに、海に流れ出る頃には、磨かれてピカピカと光る石ころになるように、
時には激流にのまれそうになりながら、あちらこちらにぶつかって、痛い思いをしたとしても、ぶつからずに、なにもせずに、ゆるやかな流れに身を任せているだけよりは、磨かれた石になれる可能性は高い…と、私は、思う。

たとえ、ぶつかったのが、“毒牙”だったとしても、それも、自分を磨くための“教材”になったかも…と思い、芯まで腐らず、また、自分というものをしっかり持って、磨きをかけて行けば良いだけのこと。
“毒牙”に引っ掛かったとしても、そこで終わっちゃいけない。

…『今までの失敗は、きょう以降の取り返しでもってすべて償える 中村天風』

“毒牙”に引っ掛かってしまったかな?と思う人も、そうでない人も…。
やはり、いつ、いかなる時も、自分を大切に、そして、“今”を大事に生きて行きたいものですね…って思います。

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