『見えない薬草、見えない毒牙』の続きのようになるのですが…。
スポーツ選手の中には、お酒や遊びの誘いを断り切れずに、つぶれて行った、つぶされてしまった…なんて話は、よく聞く話ですよね。
“毒牙”に言い寄られて、
断り切れなかった…、
付いて行ってしまった…のが、運のつきだったのか…?
気がついた時点で、改めれば良かったのに…。
それとも、気がついた時点では、もう遅かったのか…。
でも、一回毒されてしまったとしても、
気がつけば、気がついた時点で、
それから変わって行けば良いだけの話。
それからでも、絶対に遅くない。
毒は抜ける。
よく昔は、「不良」や「ワル」のレッテルを貼られていたような人が、その時の自分を反省して、付き合う人や、素行などを改めて行くことによって、
人間としての深みや面白みのある、寛容で優しい人になって行かれる例も、たくさん有る。
四角四面、真面目一本で、エリート街道まっしぐら、挫折も知らないって人よりは、そういう人の方が、むしろ、人間としての“情”や温かみ、大きな度量を持っておられる場合が多い。
だから、1回“毒牙”に引っ掛かった子は、その後もダメってことは無い。
周囲も“毒牙”に引っ掛かった子とのレッテルを貼ってしまうことも無い。
大切なのは、本人が、「あれは失敗だった」、「こんなことではいけない」と気付いた時点から、どう反省し、どう改めて行けるか…だと思う。
“毒牙”とは、キッチリ切れるか…、
その分、この人は、自分にとっての“薬草”だと思った人には、怒られるのも覚悟の上で、しっかりと近づいて行けるか、どうか…。
それこそ、「おまえは一体、何をやっとんねん!アホ、ボケ!」みたいな“ノリ”で怒られたとしても、喰らい付いて行くくらいの気持ちでいても良いかもしれない。
私にも、そういう“先輩”は、いました…(^_^;)
怖くて、ビビりまくっていたけど(笑)、その分、「しっかりしなきゃ…」とか「ちゃんとやんなきゃ…」みたいな気持ちにさせられ、“腑抜け”の私を、育てて頂けました。
…昨年、よく読んだ茂木健一郎さんの本に「過去は、編集できる」と書いてあった。
脳の仕組みから考えても、その時は、悲しい記憶、辛い記憶として残るようなことであっても、その後、色んな記憶が加わることによって、その悲しい記憶や、辛い記憶も、”編集されて”、後になれば、「昔、あんなことが有ったけれど、今となれば、ああいうことも有ったから、今の自分がいる」と思えるようになることも有る。
マイナスの記憶をプラスに転じることができる…のだそうだ。
だから、過去のマイナスの記憶ばかりにとらわれていてはいけない。
大事なのは、やはり、今。
人を見る場合も、その人は、昔、どうだったかよりは、今、どうかってこと。
過去よりも、“今”と“これから”。
…山からこぼれ落ちた岩石が、川に流され、あちらこちらにぶつかっているうちに、角が取れて、丸くなり、さらに、海に流れ出る頃には、磨かれてピカピカと光る石ころになるように、
時には激流にのまれそうになりながら、あちらこちらにぶつかって、痛い思いをしたとしても、ぶつからずに、なにもせずに、ゆるやかな流れに身を任せているだけよりは、磨かれた石になれる可能性は高い…と、私は、思う。
たとえ、ぶつかったのが、“毒牙”だったとしても、それも、自分を磨くための“教材”になったかも…と思い、芯まで腐らず、また、自分というものをしっかり持って、磨きをかけて行けば良いだけのこと。
“毒牙”に引っ掛かったとしても、そこで終わっちゃいけない。
…『今までの失敗は、きょう以降の取り返しでもってすべて償える 中村天風』
“毒牙”に引っ掛かってしまったかな?と思う人も、そうでない人も…。
やはり、いつ、いかなる時も、自分を大切に、そして、“今”を大事に生きて行きたいものですね…って思います。
スポーツ選手の中には、お酒や遊びの誘いを断り切れずに、つぶれて行った、つぶされてしまった…なんて話は、よく聞く話ですよね。
“毒牙”に言い寄られて、
断り切れなかった…、
付いて行ってしまった…のが、運のつきだったのか…?
気がついた時点で、改めれば良かったのに…。
それとも、気がついた時点では、もう遅かったのか…。
でも、一回毒されてしまったとしても、
気がつけば、気がついた時点で、
それから変わって行けば良いだけの話。
それからでも、絶対に遅くない。
毒は抜ける。
よく昔は、「不良」や「ワル」のレッテルを貼られていたような人が、その時の自分を反省して、付き合う人や、素行などを改めて行くことによって、
人間としての深みや面白みのある、寛容で優しい人になって行かれる例も、たくさん有る。
四角四面、真面目一本で、エリート街道まっしぐら、挫折も知らないって人よりは、そういう人の方が、むしろ、人間としての“情”や温かみ、大きな度量を持っておられる場合が多い。
だから、1回“毒牙”に引っ掛かった子は、その後もダメってことは無い。
周囲も“毒牙”に引っ掛かった子とのレッテルを貼ってしまうことも無い。
大切なのは、本人が、「あれは失敗だった」、「こんなことではいけない」と気付いた時点から、どう反省し、どう改めて行けるか…だと思う。
“毒牙”とは、キッチリ切れるか…、
その分、この人は、自分にとっての“薬草”だと思った人には、怒られるのも覚悟の上で、しっかりと近づいて行けるか、どうか…。
それこそ、「おまえは一体、何をやっとんねん!アホ、ボケ!」みたいな“ノリ”で怒られたとしても、喰らい付いて行くくらいの気持ちでいても良いかもしれない。
私にも、そういう“先輩”は、いました…(^_^;)
怖くて、ビビりまくっていたけど(笑)、その分、「しっかりしなきゃ…」とか「ちゃんとやんなきゃ…」みたいな気持ちにさせられ、“腑抜け”の私を、育てて頂けました。
…昨年、よく読んだ茂木健一郎さんの本に「過去は、編集できる」と書いてあった。
脳の仕組みから考えても、その時は、悲しい記憶、辛い記憶として残るようなことであっても、その後、色んな記憶が加わることによって、その悲しい記憶や、辛い記憶も、”編集されて”、後になれば、「昔、あんなことが有ったけれど、今となれば、ああいうことも有ったから、今の自分がいる」と思えるようになることも有る。
マイナスの記憶をプラスに転じることができる…のだそうだ。
だから、過去のマイナスの記憶ばかりにとらわれていてはいけない。
大事なのは、やはり、今。
人を見る場合も、その人は、昔、どうだったかよりは、今、どうかってこと。
過去よりも、“今”と“これから”。
…山からこぼれ落ちた岩石が、川に流され、あちらこちらにぶつかっているうちに、角が取れて、丸くなり、さらに、海に流れ出る頃には、磨かれてピカピカと光る石ころになるように、
時には激流にのまれそうになりながら、あちらこちらにぶつかって、痛い思いをしたとしても、ぶつからずに、なにもせずに、ゆるやかな流れに身を任せているだけよりは、磨かれた石になれる可能性は高い…と、私は、思う。
たとえ、ぶつかったのが、“毒牙”だったとしても、それも、自分を磨くための“教材”になったかも…と思い、芯まで腐らず、また、自分というものをしっかり持って、磨きをかけて行けば良いだけのこと。
“毒牙”に引っ掛かったとしても、そこで終わっちゃいけない。
…『今までの失敗は、きょう以降の取り返しでもってすべて償える 中村天風』
“毒牙”に引っ掛かってしまったかな?と思う人も、そうでない人も…。
やはり、いつ、いかなる時も、自分を大切に、そして、“今”を大事に生きて行きたいものですね…って思います。